前田利家の妻・まつ(芳春院)は戦国一の女房か? 「槍の又左」を百万石にまで押し上げた奥方の手腕

 

歴史上に限らず有名人は、成功した点だけがクローズアップされがちです。
実際には、成功に至るまでにとんでもない苦労をしていることも多いですし、成功した後、不幸に向かってまっしぐらなんてこともままあるのですが……。本日はその一例に分類されてしまいそうな、とある大名の妻のお話です。

天文十六年(1547年)7月9日は、前田利家の妻・まつが誕生した日です。

ねねと並んで、戦国武将の妻としては屈指の知名度ですよね。夫婦で大河ドラマの主役にもなりましたし。
あらためて、この日本史上指折りの女傑、かつ苦労人の生涯を追いかけてみましょう。

【TOP画像】まつの石碑(尾山神社/石川県金沢市)/Wikipediaより引用

 

まつと利家はイトコ同士だった

まつは、織田家臣・篠原主計(かずえ)という人の娘として生まれました。母親が再婚したり、伯母に引き取られたり、幼い頃からなかなか苦労しています。
当時の織田家は信長の父・信秀の急死により代替わりしたばかりでしたし、まだ幼いまつも不穏な空気を感じ取っていたのではないでしょうか。

しかし、伯母に引き取られたことで、まつは生涯の伴侶と出会うことになります。
伯母の息子が他ならぬ将来の夫・前田利家だったのです。まつと利家はいとこ同士なんですね。歳は一回り違いますが。

当時の利家はいろんな意味でブイブイいわせていた頃ですから、もしかしたら第一印象は粗忽な面が目立ってあまり良くなかったかもしれません。しかし、信長が家督争いや身内との戦いで勝利を収めていく中に、必ずその勇姿がありました。
若様を支える武士として、まつは利家を頼もしく思っていったことでしょう。

そんなこんなで出会いから8年ほど経ち、まつは利家の正室となります。翌年には長女・幸姫も生まれ、順風満帆かに見えました。

 

利家が信長お気に入りの茶坊主をブッコロス!

が、ここで思わぬトラブルが起きます。

利家が日頃から仲の悪かった茶坊主を怒りに任せてブッコロしてしまい、織田家を追い出されてしまったのです(笄斬り・笄事件などと呼ばれる/詳しくはコチラの漫画を)。このため、まつも乳飲み子を抱えて大変な苦労をしました。

コチラの漫画『戦国ブギウギ』に笄事件の顛末が記されております

利家もただ信長の怒りが解けるのを待っていたわけではありません。
何とか早く許してもらおうと、桶狭間の戦いで勝手に参戦して首を挙げましたが、最初は帰参させてもらえません。その翌年の戦で敵の豪傑を討ち取ってようやく許してもらえています。
この間は夫婦揃って食べるものにも苦労したでしょうに、よく幸姫が生き残れたものです。

ちなみに、利家が織田家に帰参した翌年のお正月に、後の初代加賀藩主・利長が生まれています。
愛の力って偉大ですね(ということにしておこう)

その後も次々と子宝に恵まれ、最終的には二男九女の母となりました。
時代や立場からすると「利家に」子供が多いのはおかしくありませんが、一人の女性が十一人も出産したのは稀有な例です。現代だったら、もしかしたらドクターストップがかかるんじゃないでしょうか。
しかも、乳幼児の死亡率が高かったこの時代に、夭折した人が一人しかいません。どんだけ健康なんですかね。
利家・まつ夫妻を子宝の神として祀ったらご利益がありそうです。

 

柴田勝家と羽柴秀吉「賤ヶ岳の戦い」の間に立たされて

政治・軍事的には、趨勢の移り変わりによって、利家も苦しい立場に追い込まれることはありました。

特に大きかったのは、信長亡き後、利家が柴田勝家についていた頃です。勝家は秀吉と対立していましたから、必然的に利家と秀吉も「賤ヶ岳の戦い」では敵対することとなりました。
ですが、利家とまつは、自分たちの四女・豪姫(後に宇喜多秀家の妻)を秀吉の養女にしていました。それ以前からも浅からぬ付き合いがあり、夫婦揃って親友同士という間柄だったのです。

それだけに、利家は非常に悩んだことでしょう。

利家は戦場から離れ(羽柴軍を攻撃することはなく)、結果的に柴田勝家は秀吉に負けることとなりますが、このときまつは『私が何とかできるかもしれない』と考え、大胆な行動に出ます。なんと自ら秀吉の元へ出向いて、和議を取り付けてきたというのです。さぞかし秀吉も驚いたでしょうねえ。

その後、豊臣政権が樹立した後は、特に秀頼が生まれてからまつの存在感が増していきます。利家が秀頼の傅役になったことで、まつも乳母のような扱いになったのです。傅役も乳母も権力者の子供を支え、教育する大切な役目ですから、秀吉にとってこの夫婦がいかに信頼厚い人物だったかがわかります。

イラスト・富永商太

イラスト・富永商太

 

醍醐の花見に夫婦で出席 一番の想い出になったかも

秀吉自身による生前葬ともいえる醍醐の花見では、まつの席はねねや秀吉の側室たちと並んで用意されていました。

ここで「秀吉から盃を受ける順番をめぐって、松の丸殿(京極高次の妹)と淀殿がケンカした」というしょーもないエピソードがあるのですが、それに対してまつは「歳の順でいえば、ねね様の次は私ですね」と茶目っ気たっぷりに仲裁してみせたとか。
この花見は、秀吉と秀頼の他には女性ばかりで、唯一同席を許されていたのは利家だったといいますから、妻の機転に鼻が高かったことでしょう。
前田夫妻と秀吉にとって一番の想い出になったかもしれません。

秀吉が亡くなり、利家もその半年後に世を去ると、まつを含めた前田家の人々は窮地に立たされます。利長は父に代わって五大老の一人になりましたが、家康や三成の仲裁はできませんでした。
その上、反三成派からは旗頭扱いにされるのですから、たまったものではありません。

利家はそれを見越して「ワシが死んだ後、三年は上方を離れてはならん」と言い遺していたのですが、利長は国元の金沢に帰ってしまったため、余計事態が悪化します。
この隙に、前田家を快く思わない者たちが家康へ「利長殿が帰国したのは、アナタに一矢報いる支度のためですよ」と吹き込んでしまったのです。

前田利家/Wikipediaより引用

 

自ら人質として江戸へ出向く、加賀百万石サバイバル

もちろん家康は真に受けたわけではないでしょうが、これを口実に前田家をつついてみることにしました。

家康が「一戦やる気なら相手になるよ?^^」(超訳)という雰囲気を出してきたことに対し、前田家の人々は真っ二つに割れてしまいます。

ここでまつは、文字通り捨て身の手段に出ました。

自ら人質として江戸に降り、家を守ろうとしたのです。次男の利政が西軍についてしまったため、それでもビミョーな立場になってしまいましたが。カーチャンをもっと大事にしてやれよ(´・ω・`)

それでもまつは息子を見捨てず、利政を許してくれるよう幕府に頼み込んだりしています。結局それも反故にされ、ショックで寝込んでしまうのですが……。

こういうときは国元に送り返されるのがセオリーですが、前述の経緯のためか、金沢には戻らせてもらえませんでした。保養先には伊勢や京が指定されています。
この時点ではまだねねが存命中ですから、多少手紙のやり取りくらいはあったかもしれません。

まつが金沢に戻れたのは、息子の利長が亡くなった後、大坂冬の陣の年(慶長十九年・1614年)でした。こんな理由では、決して嬉しくはなかったでしょうね……。

 

織田軍団のオールスタが眠る京都大徳寺

それから三年後、まつも71年の生涯を閉じることになりました。

遺骨は、金沢と京都に分骨されています。戦国時代の人物で複数お墓がある例は珍しくありませんが、まつのように天寿を全うした女性で、いくつも墓所があるというのはなかなかレアですね。
例によって私見ですが、京都のお墓が大徳寺に作られていることが大きなカギかと思われます。戦国ファンの方なら、そろそろピンときたでしょうか。

何を隠そう、大徳寺は信長をはじめ、利家とまつが若き日々をともに過ごした人々のお墓が多くあるお寺なのです。

信長は総見院、豊臣秀長が大光院、黒田官兵衛が龍光院、世代が離れて細川忠興・ガラシャ夫妻が高桐院と、全盛期の織田軍団がそのまま収まったという感すらあります。

他の人のお墓もありますし、織田家全員のお墓がここにあるというわけでもないのですが、「墓場で運動会」ならぬ、墓場で軍議でもやっていそうです。

上記の通り、利家亡き後の(も?)まつには苦しいことがたくさんありましたが、これなら寂しくないかもしれませんね。

京都市北区にある大徳寺/Wikipediaより引用

長月 七紀・記

参考:芳春院/Wikipedia 今日は何の日?徒然日記

 








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