歴史に埋もれ数百年も放置されていた世界遺産・中尊寺 奥州藤原氏の無念は蓮の花に託された!?

 

そろそろ夏休みも終わりが見えてきましたね。皆様はどこかへお出かけされましたか?
今年(2016年)は「山の日」ができたこともあり、山のレジャーを選んだ人も多いでしょうか。海やプールで泳いでサッパリもいいですが、夏山の夜の涼しさも格別です。
本日は“涼”を求めて訪れる方も多そうな、あの地方の名所に関するお話を致しましょう。

天治元年(1124年)8月20日は、中尊寺金色堂が上棟した日です。

東北の観光名所として、また後述する「奥州藤原氏四代のミイラ」で有名な場所ですね。
中世の歴史ファンだけでなく一般の旅好きにとってもド定番のスポットでもありますが、本日は改めてこのお寺の縁起などを見てまいりましょう。

【TOP画像】中尊寺金色堂(レゴ)photo by Norio NAKAYAMA

 

性格は円満で人々から尊敬される そして眉毛が太い……えっ?

中尊寺を開いたのは、僧・円仁だとされています。
最澄の直弟子の中で最も優秀だった人で、浄土宗の開祖である法然に私淑され(※尊敬され模範とされ)たほど徳の高い人です。
もうちょっと詳しい記録では「性格は円満・温雅で眉の太い人」とされているのですが……えーと、人となりを説明するのに“眉毛”の記録って必要あるんか~い?(´・ω・`)
人相占いの世界では、眉の太さは意思の強さに通じるそうですが。まあ、よほどの意思がないと仏門の修行なんてできないでしょうし、当たってる……んですかね。

しかし、同寺が円仁の開基という確証はありません。
というのも、円仁が開いたとされるお寺は東北・関東に数百あるのです。有名どころでは、山形県の立石寺や、宮城県の瑞巌寺、東京都の浅草寺なども含まれます。

小さなお堂から始まったものもあるかとは思いますが、いくら何でも多すぎますよね。おそらくは、円仁自身が開いたものと、その弟子や円仁を私淑する別の僧が開いたものが混同されたのでしょう。
そんなわけで、中尊寺の実際の開基、あるいは大きくしたのは、奥州藤原氏の初代・清衡といわれています。

 

藤原氏四代の遺体や御首も鎌倉幕府には保護された?

清衡は富を築いて奥州の覇者となりました。が、そこに至るまでには血で血を洗う争いを経ておりました。
その供養と自らの極楽往生を祈るため、中尊寺を建てたとされています。平安時代らしい話ですね。

金色堂も同じく清衡によって建てられました。当時から金箔が貼られており、有名だったとか。

ついでに、奥州藤原氏のことをざっくりご紹介しておきましょう。

【テキトーにわかる奥州藤原氏四代】
初代・清衡 金色堂含む中尊寺を作った人/腰を落ち着けるまでの経緯がエグい/政治上手
二代・基衡 毛越寺を再建した人/自分が家督を継ぐとき苦労しているので、息子への継承準備を念入りに行った
三代・秀衡 義経を小さい頃も、長じてからも匿った大恩人/タイミング悪く病死
四代・泰衡 トーチャンの遺言に背いて義経を攻めたら、頼朝に激怒された上に自分も部下に裏切られて殺される デスヨネー

だいたいこんな感じです。
並べてみると、泰衡のアレっぷりが際立ちますね。秀衡はどこで教育方針を間違えてしまったのやら……。

鎌倉幕府ができてからは、意外にも中尊寺は手厚く保護されました。藤原氏四代の遺体や御首がそのまま残っているのも、保護の一環と思われます。
死んだ後の罪は問わないということですかね。世界史だと敵の墓を暴いた話はよくありますが、日本史ではあまりないですし。

 

1337年に焼失し、江戸時代に補修……ただし1853年

しかし、鎌倉幕府が終焉を迎えた後、建武四年 (1337年)に大きな火災が起き、金色堂以外の建物が焼けてしまいました。
その後もしばらく放置されていたようで、まともに補修が行われたのは、なんと江戸時代になってからのことです。

この地が仙台藩の領地になったことで、能舞台なども作られました。
といっても、能舞台が作られたのは幕末もいいところの嘉永六年(1853年)、ペリーが来航した年なんですけどね。未来を読むことはできないとはいえ、あまりにノンキすぎやしませんかね……。

いずれにせよ、既に滅びてしまった家のものだからか、賑わうとまでは行かなかったようで、松尾芭蕉が奥の細道の中で「三代の栄華も今は夢の彼方だ」(意訳)と書き残しています。ここでもディスられる泰衡。
「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んだのもむべなるかな、ですね。

首桶の中に入っていた蓮の種 「中尊寺ハス」が誕生す

中尊寺の本堂が再建されたのは、さらに時代を下って明治四十二年(1909年)のことです。それでも世間の注目を集めるには至らなかったのか、あるいは戦災のためか、長い間詳しい調査はされませんでした。

昭和二十五年(1950年)になると本格的な学術調査が始まり、藤原氏三代のミイラと泰衡の首桶、金色堂の年代測定などが行われています。

ミイラの保存状況については、詳述すると気持ち悪くなる方もいらっしゃいそうなので割愛しますね。気になる方はウィキペディア先生へどうぞ。かなりグロいので、耐性のない方は想像しないほうがいいということをここに明記させていただきます。

グロくない点で特徴的なものとしては、「人工的に処置されてミイラになったのか、自然にそうなったのかどうかがわからない」「江戸時代に棺を開けた記録がある割には傷みが少ない」、そして「泰衡の首桶に蓮の種が入っていた」ことです。

なぜそんなものを副葬品にしたのかはサッパリわかりませんが、蓮の専門家によって発芽が試みられ、発見から50年経った2000年に開花しました。
これを「中尊寺ハス」と呼び、今も現地で栽培されています。美しい桃色の花で、一般的にイメージされる蓮そのままの姿です。
首と一緒に入ってた種から咲いたと考えると、なんとも言えない気分にもなりますけどもね……。

 

中尊寺も一時は歴史に埋もれた存在だった

蓮の花は数日間しか咲きませんし、朝から咲いて午前中に終わってしまうという特性がありますので、これを目当てに観光しに行くのはなかなか難しいところです。

中尊寺のものに限らなければ、古代蓮は全国にあるので、お近くで栽培されているところを探してみてもいいかもしれません。
奥州藤原氏の時代よりさらに古いものもザラにあります。蓮すげえ。

中尊寺も一時は歴史に埋もれた存在でしたが、現在では多くの人に知られるようになりました。
泥の中から芽を出し、やがて美しい花を咲かせる蓮の姿と、何となく似ているような気もしますね。もしかしたら、泰衡の首桶に蓮の種を入れた人も、「後世の人が泰衡の無念を知ってくれますように」と願いを託したのでしょうか。

泰衡の場合は自業自得すぎて、その生涯が知られるようになっても評価が上がらないままですけどね。せめて何か一つでも褒めどころがあれば、全力で判官贔屓をさせていただくのですが。

まあ、それも今後の研究次第でしょうか。

長月 七紀・記

参考:中尊寺金色堂/Wikipedia 中尊寺/Wikipedia

 


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