ベルギー王国が欧州で独自のポジションを築いているのはナポレオン戦争がキッカケだった!?

 

どんな国にも、様々な紆余曲折があるものです。
しかし、自分たちの意見ではなく、他国の都合によってアレコレ振り回されたのでは(#^ω^)ピキピキどころではありません。
本日はそういった歴史を歩みながらも、現代ではしっかりと地に足をつけている(はずの)国のお話。

1830年(日本では江戸時代・天保元年)8月25日は、ベルギーがオランダから独立した日です。

チョコレートや小便小僧、フランダースの犬、エルキュール・ポアロの出身地などで有名な国ですね。
酒好きな方々の中には、「ビールの国」という印象もあるでしょうか。

隣同士に限らず、一つの国が分離しようとなると、並大抵ではないドタバタが繰り広げられます。
ベルギーとオランダの場合は一体なにがどうなって、分離の道を選んだのでしょうか。

【TOP画像】ベルギー国章/wikipediaより引用

 

新旧石器時代から豊かな地だった

ベルギーの地には、旧石器時代から人が定住していたといわれています。
農耕・漁業を営んでいるうちに、新石器時代に入って牧畜や新しい農業技術も導入。それに従って地域は富んでいき、地中海貿易で得たと思しき物品もいくつか見つかっています。エジプト産のビーズもあるそうですが、当時はどんな航路だったんでしょうね。

紀元前6世紀頃にはケルト人(中央アジアからヨーロッパに移ってきた民族・現在はイギリス北部などに住んでいる)がライン川沿いにやってきて、火葬や鉄器が伝わり、社会が多様化していきます。

やがてローマ帝国の時代になり、ユリウス・カエサルがこの地にやってきました。彼がこの地に住む人々を「ベルガエ族」と呼んだため、「ベルギー」の語源となっています。

一時はローマ帝国の一部に組み込まれましたが、ゲルマン系フランク族の侵入により、ベルギーの南側にあった都市がどんどん奪われていきました。
これにより、今でもベルギー南部はロマンス語系(フランス語などに近い言葉)のワロン語、北部はドイツ語などに近いゲルマン系のフランデレン語が主流。他に歴史の流れによってフランス語やドイツ語を話す人々もいます。
外務省のホームページでは、より大きなくくりでオランダ語・フランス語・ドイツ語と記載されていますね。

これだけ時間が経っているのに、全土共通で使えるような「ベルギー語」を作ろうと考えなかったのは不思議なものですが、後述のように他国の間で行ったり来たりを繰り返してきたため、おそらくその時間的猶予や同意が得られなかったのでしょう。

 

9世紀にフランク王国が揺らぎ、ノルマン人に侵略され

ローマ帝国が滅びた後、ベルギーはフランク王国に組み込まれます。ドイツ・フランスの原型となった国です。

しかし、9世紀にフランク王国が不穏な空気になり、東西に別れようとしたのと同時に、ベルギーはノルマン人(おおむねヴァイキングと同義)の侵略を受け始めてしまいます。これに対抗すべく、各地の有力者による都市国家のようなものが成立。このときの都市国家は、現在でもベルギーの主要な都市となっています。
有名どころでは、例の犬で有名な「フランドル」がこの時期にリネン(麻)製品の輸出によって利益を上げ、大きな町になっています。

ただし、中世社会で「町が儲かる」とは、「お偉いさんしか儲からない」とほぼ同義です。
フランドルでもそれは同じで、一般人はお偉いさんほどのうまみを感じてはいません。そこで、イングランド王・エドワード3世の支援を受けたフランドル市民たちは、領主に対して反乱を起こします。

と、これがアッサリ鎮圧され、今度はブルゴーニュ公国の飛び地になってしまいました。

「何でそうなるん?(´・ω・`)」
と思ってしまいますが、これは当時のベルギーの領主とブルゴーニュ公家が縁戚だったからです。
「嫁の実家に跡継ぎがいない? じゃあ俺が王様兼務してやんよ」みたいな感じです。よくある話ですね。

 

フランス王国に喧嘩を売って、ものの見事に返り討ち

ブルゴーニュ公国は、現在フランスワインの産地の一つとして有名なところです。当時はフランス中東部にあった国のことをさします。
ただ、飛び地というのは、支配者にとってむずがゆいもの。「領地を繋げたい!」と考えたブルゴーニュ公は、間に位置するフランス王国領をもぎ取ろうとケンカを売りました。
そしてものの見事に返り討ちに遭い、最終的にブルゴーニュ公国自体が霧消してしまいます。欲出すから……(´・ω・`)

フランドル伯からブルゴーニュ公へとパスされたベルギーの所有権は、またしても旧主の縁者のものとなりました。このときベルギーを領有する権利を得たのは、世界史でお馴染みのハプスブルク家。同家がオーストリア系とスペイン系に別れた後は、後者に支配されるようになります。

しかし、スペインもハプスブルク家も、ベルギーとはあまり共通点のないところです。当然ながら、あちこちから不満が噴き出し、まず現在のオランダにあたる地域が反乱を起こしました。ただ、それでもベルギーはしばらくハプスブルク家に支配される道を選びます。
オランダがプロテスタントであり、ベルギーとハプスブルク家がカトリックだったということが大きく影響しています。また宗教か。

そうだ! 中立国を作って戦争を防ごう!

独立を試みて失敗するベルギーにチャンスが訪れたのはその数年後。

キッカケは、フランス革命及びナポレオン戦争です。

ナポレオンによってあっちこっちを引っかき回されたフランス以外のヨーロッパ諸国は、「もうあんな目に遭うのは御免だから、この辺に中立国を作って戦争を防ごう!」(超略)と考えました。

ナポレオン・ほんと色んなところに登場しますね/wikipediaより引用

ナポレオン・ほんと色んなところに登場しますね/wikipediaより引用

そこで建国されたのが「ネーデルラント連合王国」。現在のオランダ・ベルギーをまとめた国です。

が、この措置はベルギー人にとって、受け入れがたいものでした。
理由は、ネーデルラント連合王国の王様がオランダ人で、プロテスタントだったからです。上記の通り、ベルギーはカトリックが主体ですから、王様が外国人の上に異宗派とくれば、不満が溜まるのも仕方のないこと。
そこでベルギーが独立を選んだのが、1830年のこの日(8/25)というわけです。

王様にはドイツの小国・ザクセン=コーブルク=ゴータ家のレオポルドという人を迎えました。この人は当時のイギリス国王・ヴィクトリア女王の叔父ということもあり、国際社会にも受け入れられやすかったと思われます。
オランダはゴネましたが、「1839年には永世中立国になる」という条件付きで独立を認められていますので、比較的早く片付いたといっても良いでしょう。

 

EU本部や国際決済機関などが置かれ独自の地位を築いている

かくして独立を得たベルギー。今日に至るまで王国として歩んでおります。

もちろん独立後、すべてがスンナリうまくいったワケではありません。
二度の世界大戦ではドイツに近いおかげでいろいろと損な役割になっていますし、ベルギー自身は2代目の国王・レオポルド2世の時代に植民地にしたコンゴで、かなり残酷なことをやっています。あまりに酷い&当時の写真が出てきてしまうので、ここで詳細を述べる気にならないほどです。

例によってグロくない表現に留めるとすれば、【映画「ホテル・ルワンダ」に描かれていることの遠因が旧主国のベルギーである】くらいでしょうか。

国内では、言語の違いによる対立も解決しておらず、数年前に公共テレビ局がふざけて「ベルギー北部が独立しました」なんてニュースを流し、大混乱に陥ったこともあります。
ちょっとやり過ぎじゃないですかね……。

その一方で、オランダ・ルクセンブルクとベネルクス同盟を結んだり、EUの本部がベルギーの首都・ブリュッセルに置かれたり、金融の国際決済機関であるユーロクリアがあったりと、国際社会で独自の位置に立っている国でもあります。

日本との関係も悪くありませんし、中立国の安心感を保っていてほしいものです。

長月 七紀・記

参考:ベルギー/wikipedia ベルギー王国/外務省

 








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