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その日、歴史が動いた 幕末・維新

幕末混乱期の日本にも輸入されたガトリング砲が飛行機に使われるようになった理由

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歴史の授業では人や事件にスポットが当たることが多いですけれども、モノの変遷や背景を探るのも面白いものです。
一見単純なモノでも、それが生まれるまでの経緯などからさまざまなことがわかりますからね。
本日は少々物騒な方面のお話の中から、そんな感じのとあるモノに関するお話です。

1818年(日本では江戸時代・文政元年)9月12日は、発明家のリチャード・ジョーダン・ガトリングが誕生した日です。

名前でピンときた方も多そうですね。
恐ろしい兵器の代表例、「ガトリングガン」の発明者です。
こんな物を生み出した人はさぞかし恐ろしい性格をしている……と思いきや、実はそうでもなかったりします。

リチャード・ジョーダン・ガトリング/wikipediaより引用

リチャード・ジョーダン・ガトリング/wikipediaより引用

【TOP画像】ガトリング砲/wikipediaより引用

 

戦場の死者は、戦死より病死が多い

リチャードは21歳の頃から発明に携わっておりました。
が、自身が取り組んだものは先に特許を取られていたりして、発明家だけでは生計をたてられず、しばらくは職を転々。種まき機を発明した後は充分な利益が得られるようになり、いよいよ発明が本職となります。27歳の時です。

しかし、29歳で天然痘にかかって危うく死にかけました。
運よく生還した後、薬学に興味を持って大学に入り、医学博士を取得。やはりもともと頭が良かったんでしょうね。
ただし、資格を取る頃には興味がなくなってしまったのか、医師になることはありませんでした。

一方で、人の命について学んだことは、リチャードに別の視点を生み出しました。

彼が40代前半の頃に南北戦争が起きます。
そこでリチャードは「戦場の死者は、戦死より病死が多い」ということに気付きました。基本的に不衛生な場所ですから、傷病兵が伝染病にかかったりして亡くなるケースが珍しくなかったのです。

リチャードとほぼ同時期に、この点に注目したフローレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争で野戦病院の整備をしたり、アンリ・デュナンがイタリア統一戦争の惨状に眉をひそめ、赤十字社を発足させたりしていますね。
それぞれの活動については、以下の記事でどうぞ。
ロシアのクリミア半島侵攻 その歴史から振り返る【その日、歴史が動いた】
赤十字社を創設したアンリ、その名言 「なぜ、敵も味方も助けるのか?」「人類は皆兄弟だからだ」

 

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種まき機の構造を応用してガトリングガンを発明した

誰が見ても人道的な活動をしたナイチンゲールとデュナンに対し、リチャードは一味も二味も違いました。
なんと種まき機の構造を応用してガトリングガンを作ったのです。当時のガトリングガンは手回し式で、長い銃身をいくつも束ねたものに大砲の台をつけたような形でした。

「戦死者を減らすために武器を作る」というのは矛盾しているように感じますが、彼いわく「1人で100人分の戦力になるような武器があれば、全体の兵数が減って死者も減るだろう」という考えだったとか。
これは“例の兵器”に対するアメリカ人の考えとも共通するかもしれませんね。

そして試作の後、リチャードは1862年にガトリングガン・カンパニーという会社を作り、この兵器の事業化を試みます。

とかいうといかにも戦争でトントン拍子に企業がデカくなった――と想像してしまいがちですが、最初に作った6台のガトリングガンは開業年の末に起きた火事で焼けてしまいました。幸先が悪いですね。

リチャードは諦めず、他の会社に依頼して13台のガトリングガンを製作。1870年にその特許をコルト社(リボルバーを発明したサミュエル・コルトの会社)に売るまで、彼は同カンパニーの経営を続けたのでした。

本職は武器開発ではなく、発明家のリチャードですから、他にも特許を取った製品はあります。

トイレや自転車、羊毛の蒸気洗浄機、空気圧駆動などの発明も行い、特許をとりましたが、事業家としてはさほど……といったところのようで、裕福ではあっても、いわゆる大金持ちではなかったようです。

1867年のガトリング砲/wikipediaより引用

1867年のガトリング砲/wikipediaより引用

 

河井継之助がイギリスの武器商人から購入

さて、そんなこんなで19世紀半ばに生まれたガトリングガンですが、実は発明からさほど経っていない時期に、日本で使われたことがあります。
1867年に始まった戊辰戦争です。

より正しくいえば北越戦争でして。長岡藩の家老・河井継之助がイギリスの武器商人から購入し、新政府軍を迎え討つのに使いました。かなり前、河井を扱ったテレビ番組で再現映像が流れていた気がするのですが……スイマセン番組のタイトルが思い出せません(´・ω・`)

他にアームストロング砲(大砲)やエンフィールド銃・スナイドル銃(両方とも歩兵用の小銃)も買っており、河井の慧眼たるや。残念ながら、勝敗には寄与できませんでしたが……。
これは当時の状況もさることながら、ガトリングガンの特性や目的が大きく影響しています。

ガトリングガンは「まとまって突撃してくる敵を一掃する」目的で作られているからです。「一騎当千」ならぬ「一台当千」といったところでしょうか。
そのため、最初はまとまっているとしても、すぐに兵が散開してしまう野戦では、効果を発揮しにくいのです。

もしも「籠城戦、もしくは高所から攻め手を迎え討つ」といった状況であれば、もっと活躍していたかもしれません。この時代になると大砲もかなり発達していますので、あとは双方の装備状況によりますが、まあそれはどの戦争でも同じです。

河井継之助/wikipediaより引用

河井継之助/wikipediaより引用

 

「数撃ちゃ当たる」の飛行機に重宝されて

このため、欧米でもガトリングガンは一時期使われなくなりました。
日本では西南戦争で使われた形跡があるものの、あとは日清・日露戦争で「敵からぶんどりました」という記録のみ。
1920年の尼港事件では、日本人居留地殲滅のために使われたそうですが……この事件は本気で気分が悪くなるので、ここでは扱いません。興味本位でググるとまず間違いなく後悔するでしょうから、あらゆる方面に耐性のある方以外はお控えになったほうがよろしいかと。

ガトリングガンが再び注目されるのは、戦争で飛行機が使われるようになってからです。戦闘機(空中で飛行機同士の戦闘をするタイプ)の場合、空中での撃ち合いになるため、「数撃ちゃ当たる」ことが重視されました。この目的に対し、ガトリングガンの構造は最適だったのです。
飛行機に搭載するために構造が変更され、第二次世界大戦末期のドイツで「リヴォルヴァーカノン」というものができています。これは銃というより砲ですが、元ネタはガトリングガンですから、こまけえこたあいいんだよということで。

後に飛行機に搭載されるように……/wikipediaより引用

後に飛行機に搭載されるように……/wikipediaより引用

そして第二次世界大戦後、アメリカでガトリングガンをより進化させた「バルカン砲」と呼ばれるタイプができました。輪切りにした蓮根の穴から弾が出るような感じのアレです。現在「ガトリングガン」というと、こちらを思い浮かべる人のほうが多いでしょうね。
陸軍博物館の倉庫にあった初代のガトリングガンに、電動モーターをつけて試作したんだとか。古いものを文化財扱いしないあたり、さすがアメリカというかなんというか。

現在では、バルカン砲の類型が方々で配備されています。威力のほうは……形状からしても拳銃の比じゃないというか、想像するだけでも恐ろしいものです。
対人で使われることがないよう祈るばかりです。

長月 七紀・記



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参考:リチャード・ジョーダン・ガトリング/wikipedia ガトリング砲/wikipedia 河井継之助/wikipedia

 

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