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その日、歴史が動いた WWⅠ WWⅡ

2度の世界大戦に翻弄された最後のオーストリア皇太子オットー・フォン・ハプスブルク

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歴史を学ぶ上でネックになることの一つが、人間関係の複雑さや人名の多さですよね。
授業や教科書では次から次へと名前が出てくる一方で、「その人、いつ生まれていつ死んだの?」「性格的にはどういう人だったの?」「なんでそんなことしたの?」といった内容は、ほとんど見られません。
それだけに親しみもイメージもわかず、現実味のない存在に思えるのではないでしょうか。
しかし、あくまで人間ですから、結婚もすれば子供も孫もいることがほとんどです。今回は、その辺がちょっとだけリアルに感じられるようなお話。

1912年(大正元年)11月20日は、最後のオーストリア皇太子であるオットー・フォン・ハプスブルクが誕生した日です。

2年後の1914年には第一次世界大戦も勃発しており、何だかいろいろとギリギリな年で、さぞ苦労しただろうという予感がしますね。一言でまとめると、まさにそんな感じの人生を歩んだ人です。

両親と撮影(右下)・赤ちゃんは妹/wikipediaより引用

両親と撮影(右下)・赤ちゃんは妹/wikipediaより引用

 

2歳でサラエヴォ事件が勃発 市民同様に配給生活を送っている

オットーは、最後のオーストリア皇帝カール1世と皇后ツィタの長子です。
ツィタはブルボン家の血を引いており、当時のハプスブルク家には他に皇位継承者になれる男子がいなかったため、祖父フランツ・ヨーゼフ1世(※当時82歳)は後継者の誕生に感涙し、オットーを手元において可愛がりました。
新聞も「1970年代にはこの皇子がハプスブルク家の主になるだろう」と書き、当時オーストリア領だったハンガリーなどでも「利発で素直な皇子様」として人気を得ています。

しかし、オットーが2歳のときサラエヴォ事件が発生し、第一次世界大戦が勃発。戦中にフランツ・ヨーゼフ1世が亡くなり、カール1世が即位したためにオットーが皇太子となりましたが、皇帝一家も市民と同様の配給を受けており、ぜいたくはできませんでした。
あるとき、アメリカの記者からお菓子が贈られた際、幼い皇帝一家の兄弟はとても喜んだといいます。かわいい。

オットーを含めた幼い皇子・皇女たちは戦乱の影響で一時両親と離れ、ハンガリーで暮らしていましたが、首都ブダペストで革命が起きたため急遽脱出することになります。
この時の運転手がまたスゴイ人です。皇族兄弟が乗っていることがバレないよう、軍服に着替えたり、直接オーストリアに向かわずにスロバキア経由で480km(=新東名高速道路経由の東京~大阪府高槻市くらい)も走って帰国したりと、素晴らしい機転を利かせています。
なぜ彼の名前が公に知られていないのか不思議なほどです。

さすがにこの長距離移動は幼いオットーたちには辛かったらしく、ウィーンについた頃には爆睡していたそうです。
大物というか、子供故に状況を理解できなかったのが幸いしたのか……。

 

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陛下と呼ぶのは「パパの遺体が運ばれてからにして!」

しかし、帰国はしても、皇帝一家の状況は良いとはいえませんでした。
戦乱の悪化によりドイツのヴィルヘルム2世が退位・亡命したことを受け、オーストリアでも皇帝退位が要求されるようになったのです。
カール1世は国事不関与を宣言した後、家族とともにウィーン郊外に引っ越すことを決めました。最期まで退位宣言はしなかったものの、復帰運動を起こして失敗し、ポルトガル領のマデイラ島に流刑となっています。そのままマデイラ島で亡くなりました。

カール1世が亡くなったとき、オットーは9歳。しかし兄弟中で最年長ということで、唯一父の病気のことを伝えられ、崩御にも立ち会ったそうです。
カール1世が亡くなった直後から「陛下」と呼ばれるようになったそうですが、オットーは泣きながら「パパの遺体が運ばれてからにして!」と叫んだとか。自分の立場をしっかり理解しているのがよけい泣ける(´;ω;`)ブワッ

その後、スペイン国王アルフォンソ13世がオットーたちを受け入れてくれたことによって、マシな生活をおくることができるようになりました。
マデイラ島ではバターを買うのも困るような状態ながら、スペインでは地元の人々が支援してくれたためです。

腰を落ち着けることができるようになってから、オットーは母后ツィタの選んだ教師たちにみっちり勉強を教わることになります。
「朝6時から8時まで自習、30分休憩してから12時まで授業、午後2時から4時まで授業、5時から7時まで自習」という生活をしていたそうです。
夜は自由時間だったようで、弟妹たちと過ごしたりしていたとか。ヨーロッパらしいメリハリのつけ方という感じがしますね。

勉強の中身としては語学がかなりのウエイトを占めていて、母語であるドイツ語の他、ハンガリー・クロアチア・ラテン語の他、英・西・仏語も話せたそうです。マルチリンガルにも程があるやろー。

 

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ローマ教皇から「偉大なヨーロッパ人」と評される

その後、18歳でハプスブルク家の男子として成人式を行い、ベルギーに移り住んでルーヴェン・カトリック大学に進学しています。

1930年代ということで、またしてもヨーロッパがきな臭い感じになってくる時代でもありました。
ドイツのちょび髭はオットーを復権させてオーストリア併合の足がかりとし、傀儡君主にしたかったようですが、オットーは王政復古ができたらハプスブルク家による帝国復活を望んでいたので、手を組むことはありませんでした。
逆にハプスブルク家復活を懸念した方々の勢力によってヨーロッパを追われ、第二次世界大戦中はアメリカに亡命することになりました。その間にちょび髭によって市民権を奪われ、一時期無国籍になっていたこともあります。

一方、時代が時代なら敵同士になってたであろう連合国側は、オットーをハプスブルク家の代表として認め、仮の皇帝として遇しています。

戦後は帝位請求権と財産要求を正式に放棄したものの、オーストリア議会がやはりその血筋と影響を危ぶみ、オットーの帰国を拒みました。
そこで彼は西ドイツの国籍を取り、欧州議会の議員として働くようになります。

その後は落ち着いた暮らしができたようで、1999年に議員を退職、2007年に息子カールにハプスブルク家の家督を譲るなど、節目のこと以外はあまり知られていません。
2011年に亡くなったとき、当時のローマ教皇ベネディクト16世から「偉大なヨーロッパ人」と評されています。どこか一つの国ではなく、欧州議会の一員として働いたことを評価したものでしょう。

そんなわけで、ハプスブルク家は皇帝家でなくなっても血筋が続いています。日本でも徳川家を始めとした武家や、公家が続いているのと同じ感じですね。
ヨーロッパにも、元王家や貴族の家がたくさんあります。代表例をほんの一部だけご紹介しますね。

 

【今も続くヨーロッパ元君主の血】

◯ドイツ

・ホーエンツォレルン家(元ドイツ皇帝家)
ヴィルヘルム2世の玄孫、ゲオルク・フリードリヒ氏が家長を務めています。
現在はドイツに戻っており、「ドイツは立憲君主制が向いているだろう」と主張しているそうですが、どうでしょうね。

・ヴィッテルスバッハ家(元バイエルン王家)
最後のバイエルン王・ルートヴィヒ3世のひ孫である、フランツ・フォン・バイエルン氏が家長になっています。
フランツ氏が未婚のため、将来的には又従兄弟の家系に家長の座が移る予定だとか。
王族であっても無理に結婚しなくて良くなったという点では、歴史が変わったことをよく表している……かも。

◯ギリシャ

・グリュックスブルク家
ギリシャに王族のイメージはあまりありませんが、実は19世紀から20世紀にかけて、一時的に王国になっていたことがあります。
最後の国王はコンスタンティノス2世という人で、現在も存命中です。若かりし頃はオリンピックのセーリング(ヨット競技)の選手で金メダルを取ったことがあるという、なかなかアグレッシブな方のようですよ。

他には、実はエリザベス2世の夫であるフィリップ王配がギリシャ王室出身です。というわけで、チャールズ王太子をはじめとしたイギリス王室にも、ギリシャ王室の血が流れていることになります。
最近は一般人の妃や王配を迎える王子・王女が多数派になってきましたが、王室同士の結婚は決して歴史上だけの話じゃないんですね。

◯オスマン帝国

・オスマンオウル家
現在の当主はバヤズィット・オスマン氏で、2016年現在92歳という長命です。
不思議なことに、最後の皇帝メフメト6世以降、オスマン家では寿命が飛躍的に伸びています。医療技術の進歩の他に、帝位のプレッシャーがなくなったから……だったりして。
世の中何があるかわかりませんし、事の次第によってはまた彼らのような人々が国の代表になるかもしれません。
今のところは血を繋げていくことが最大のお仕事ということでしょうかね。

長月 七紀・記

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参考:オットー・フォン・ハプスブルク/wikipedia ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン/wikipedia フランツ・フォン・バイエルン/wikipedia コンスタンティノス2世_(ギリシャ王)/wikipedia

 




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