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その日、歴史が動いた イタリア

悪女と呼ばれるルクレツィア・ボルジア 本当に悪いのはトーチャン・ニーチャンだけじゃなくて?

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大きな長所を持つ人にはたくさんのチャンスがありますが、同時に嫉妬を浴びる機会も多くなります。「出る杭は打たれる」というやつです。
特殊な才能であったり、能力だったり、人当たりの良さだったり……その対象は色々ありますが、女性の場合は美貌がそのきっかけになりやすいですよね。
美しいがゆえに讃えられる女性もいれば、嫉妬や勝手な想像で貶められた女性もまた数知れません。
本日はその一人、日本でも有名なあの女性の生涯を見てみましょう。

1480年(日本では戦国時代・文明十二年)4月18日は、悪女として有名なルクレツィア・ボルジアが誕生した日です。

どちらかというと真っ黒なのは彼女の父や兄のほうであって、ルクレツィア自身が悪人だったかどうかははっきりしないのですが……。
本日は創作の世界ではなく、記録の中の彼女がどのような経緯をたどったのかを見ていきましょう。

 

父の都合でコロコロ変わる結婚相手

ルクレツィアの父は、後に教皇アレクサンデル6世となるロドリーゴ・ボルジアという人物でした。つまり聖職者だったわけですが、時代はルネサンス期=免罪符が乱発される少し前。他の多くの教会関係者同様に、ロドリーゴも多くの愛人を抱えていました。

ルクレツィアも、ヴァノッツァ・カタネイという愛人から生まれました。後に彼女の人生に大きく関わることになる兄・チェーザレも同じ母から生まれています。
ヴァノッツァは、ルクレツィアが2歳の頃にはロドリーゴとの仲が疎遠になっていたらしいので、母との思い出はあまりなかったでしょうけどね……。

彼女の名が記録の上に出てくるのは、11歳のときのことです。そろそろ嫁入り先を探す頃合いですね。

まずはバレンシア王国(スペインの元になった国の一つ)の貴族と婚約したのですが、より地位の高い貴族との話が持ち上がったため、父によってアッサリ破棄されています。ひでえ。
さらに、翌年ルクレツィアの父・ロドリーゴがローマ教皇に選ばれたため、イタリア国内での有力者との結婚がより望ましいと考えられました。そして、ミラノの領主であるスフォルツァ家のジョヴァンニが選ばれます。

実際の結婚は、ルクレツィア13歳のときのことでした。

 

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夫が死んでしまえばカトリックでも離婚は問題ない?

しかし、ジョヴァンニとアレクサンデル6世の相性が良くなかったのか、次第にギクシャクしていきます。

ルクレツィアを使ってより有力な家と縁戚になりたいアレクサンデル6世は、ジョヴァンニの暗殺を計画します。基本的に離婚はできないカトリックでも、夫が死んでしまえば問題はないと思ったのでしょう。

が、これをチェーザレがルクレツィアに話したために、ジョヴァンニ本人にバレて逃げられました。
現代ではチェーザレもルクレツィアも含めてボルジア家は残酷なイメージが強いですが、この時点ではそうでもなかったんですかね。

暗殺に失敗したアレクサンデル6世は、あーだこーだとゴネてルクレツィアとの離婚(結婚の無効)を承諾するようジョヴァンニに迫ります
ところがジョヴァンニはなかなか納得せず、「ルクレツィアが父や兄と関係を持っている」として訴えました。当の教皇がその父親なのに、よくそんな話をしたもんですね。

コトは教皇庁&ボルジア家vsスフォルツァ家の対立にまで及び、長引きましたが、結局ジョヴァンニが折れて結婚の無効に同意することになります。

ルクレツィアはこの騒ぎの間、とある修道院にいました。
しかし、そこでアレクサンデル6世の侍従ペドロ・カルデロンと通じていたといわれています。結婚の無効が成立した後、ペドロとその侍女の遺体が見つかっているからです。

関係を持った相手を都合が悪くなったからといってブッコロしたとしたら、完全にアレな人ですが……彼女が確実に関わっていたであろう死人がこれだけなので、あまり弁護できません。
ちょっとグロいので詳細は省略しますが、遺体の状況からしてルクレツィアが自らやったわけではなさそうですけれども。

 

浮気の仕返しで浮気……でも、アルフォンソ1世との間には6人もの子供

その後、ルクレツィアは二度目の結婚をします。次の相手は、ナポリ王の庶子アルフォンソ・ダラゴーナでした。

アルフォンソの異母姉とルクレツィアの弟が結婚していたため、二重の婚姻関係になったのですが、この結婚もすぐに終わってしまっています。2年後にアルフォンソが暗殺されてしまったからです。
夫婦仲は少なくともジョヴァンニよりは良かったようで、ロドリーゴという男の子が生まれていたのですけどね。ロドリーゴも残念ながら、この後12歳で亡くなってしまっています。

離婚と死別を経験した娘を、アレクサンデル6世は再三嫁がせることに決めました。

アルフォンソが亡くなって2年後、ルクレツィアはローマの北東にあるフェラーラの貴族アルフォンソ1世・デステと結婚しています。
二人とも不倫相手はいたものの、互いに愛情がなかったわけでもなさそうです。ルクレツィアは、アルフォンソ1世との間に6人も子供を産んでいますからね。

これは完全に私見ですが、ルクレツィアの妊娠中にアルフォンソ1世が浮気を始め、それに対してルクレツィアも仕返しに浮気をした……なんて経緯だったのではないでしょうか。順序が逆だったかもしれませんが。
また、ルクレツィアはアルフォンソ1世に嫁いでから、領地の政務にも携わり、市民から慕われていたといいます。

もしくは、6人子供ができるほど仲がうまくいっていた=ボルジア家にとってもメリットが大きいとアレクサンデル6世やチェーザレが判断したからこそ、介入されなかった……というのもありそうです。

 

黒すぎる父&兄の影響で「悪女」像が固定化していったのでは?

アルフォンソ1世との結婚は、ルクレツィアが1519年に産褥で亡くなるまで続きました。それまでのルクレツィアの夫が、結婚から数年で何らかの干渉を受けていることからしても、一番良い関係を築けていたのではないでしょうか。

はっきりわかっているルクレツィアの経歴は以上です。

創作の世界では「父や兄の命に従い、次々と男に取り入っては毒殺した」というような扱いが多いですから、意外ですよね。

あまりにも父や兄が真っ黒なため、ルクレツィアも同様だと思われて「悪女」という固定観念が肥大化していったんじゃないか、という気がしてきます。悪事に関わっていた証拠なんて残らないものですから、断定はできないですけれども。

彼女自身の考えを書いた日記や手紙があればいいんですがねえ。

長月 七紀・記

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参考:ルクレツィア・ボルジア/wikipedia

 

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