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アヘンを吸う中国人/wikipediaより引用

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日本がアヘンでボロボロにならなかったのは明治政府とオランダのお陰?

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「規則は破るためにある」なんてのは、名言ならぬ迷言。現実的に考えて、それが許されるケースはごくわずかですよね。
そもそも「多数の人間がうまくやっていくための決まり事」が社会の規則ですから、守るべきものはやはり遵守すべきでしょう。
本日はそんな規則の中でも、特に破ったらまずいモノのお話です。

明治元年(1868年)閏4月19日は、明治政府がアヘンの売買・喫煙を禁止した日です。

アヘン自体は、使いようによって毒にも薬にもなり得るもの。
それ故に、アレなおクスリとしての用途以外に、有効的な利用法もいくつか存在します。
とはいえ、それには「専門家が扱う」という大前提がつきます。おクスリ、ダメ、ゼッタイ。

 

紀元前3000年以上も前から存在 エジプトでも鎮痛剤に使っていた

アヘンが採れるケシは、紀元前3400年頃から栽培されていたことがわかっています。
少なくとも紀元前1500年には、エジプトでアヘンが製造されていた記録も存在します。当時は鎮痛剤として使われていたそうですから、はじめは民間療法として広まったのでしょうか。

現在でもケシ→アヘン→モルヒネ→ヘロインの順で精製して医薬品になりますので、エジプト人の先見性たるや……未来人と言ってもいいくらいですね。

やがて、ケシの栽培とアヘンは地中海沿岸地域にも広がっていきます。
ギリシア神話では、豊穣の女神デメテルがアヘンを発見したとされ、やはり医学的に利用されました。
しかし、西ローマ帝国が滅びたあたりで、地中海世界ではアヘンの利用が一時途絶えたようです。

一方、5世紀頃になると、イスラム世界から、インド・中国・アフリカ中部にも広まっていきました。イスラムの商人は、アヘンを薬とみなしていたそうですから、行く先々で「これを飲めば痛みが収まる」といった触れ込みで売っていたのでしょうね。

古来、病気と怪我は人類共通の恐怖。
どこの国でも「大枚はたいてでも苦しみから逃れたい」と思う人は一定以上いたハズです。

中国には、シルクロードを通じて伝わったともいわれています。
中国とアヘンというと例の戦争ですが、清王朝末期までは流通がそれほど多くなかったこともあり、医療用として適切に使われていたようです。
むしろ、長い間用いていたからこそ、吸引などの使い方も広く知られてしまっていたのでしょうか。

 

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11世紀頃にヨーロッパへ広まり、危険視されるように

視線を一度西洋へ戻しましょう。

やはりイスラム商人を通じて、11世紀あたりからヨーロッパにも再びアヘンが伝わりました。
しかし、やがて依存性が明らかになっていき、危険視されるようにもなっていきます。

これはまた個人的な予測ですが、「ちょっとでも痛い・苦しいのは嫌だ」と考えて、大量もしくは頻繁にアヘンを飲んでしまった人がたくさんいたのではないでしょうか。
現代でも、用法・容量を超えて薬を飲んでしまう人というのはいますし。

これに目をつけて、アヘンの依存性を悪用して儲ける国も出てきました。
その最大の例が、皆さんよくご存じのイギリスによる清への大量輸出です。
実は他にオランダ・トルコなども、アヘン貿易で儲けていました。

ちなみに、アヘン貿易は日本でもやっていたことがあります。
日本では鎌倉時代辺りから「アヘンというものが薬になるらしい」ということは伝わっていました。室町時代に南蛮貿易によって種が入ってきて、栽培もされたものの、量産はされなかった(できなかった)ことから、中毒患者を出すまでには至らなかったようです。

江戸時代には山梨・和歌山・大阪あたりでケシの栽培が行われていました。生産量が少なかったこともあり、きちんと医療用に使われていたようです。

恐ろしいことに、犯罪者への自白剤に使ったこともあるとか。おそらくは、獄死した罪人の中に薬物中毒で死んだ人もいたのでしょうね……合掌。

 

外国人居留地から密輸され、日本でも中毒者が現れる

アヘン戦争後に日本では、オランダからアヘンの功罪に関する資料をもらっていました。
このため国内で研究が進み、開国した頃には「アヘンの輸入は厳禁」という認識ができ、条約にも明記されたというわけです。

しかし、医師が医療目的で使う分には制限されず、日本国内のコレラ患者に対し、アヘンを処方するということはあったようです。どういう理屈で効くんですかね。

また、催眠効果を利用したこともありました。
徳川慶喜が朝廷との折衝で神経をすり減らし、今でいう睡眠障害らしき状態になっていたとき、アヘンを使って睡眠を取らせたといいます。

中国ほど庶民へと広がらなかったのは、輸入量が多くなかったことや、煙を吸うのではなく飲用していたからですかね。
アヘンは精製の度合いによってかなり毒性が変わるようですし、アヘンに限らず摂取方法によって効き目が変わるというのは珍しいことではありません。

そんな感じでアヘンに敏感になっていた日本ですが、開国してからは少々事情が異なってきます。
外国人居留地で西洋人がアヘンを密輸したり、清から来た中国人が持ち込んだりして、日本人のアヘン中毒死が増えてしまったのです。

これを重く見た明治政府が、被害が全国へ及ぶ前に禁制に乗り出したのでした。
その一例が明治元年(1868年)閏4月19日で、このとき既に「アヘンは命を縮めるからダメ」と明記されています。

そして、年を経るごとに使用・売買・生産について規制が進んでいき、国内にいる外国人にも適用され、何とか拡大を防ぐことができました。
……別のおクスリはありましたけども……まあその辺はあまり楽しくないお話なので、やめておきましょう。

横浜・関内の外国人居留地/wikipediaより引用

 

医療用以外のアヘン使用は国際的に禁止

一方で明治政府はアヘンの医療用途に目をつけ、独占販売で儲けることにしました。
販売は許可を得た薬局のみで、購入目的は医療用途のみ。さらに購入者と栽培農家も登録制としたのです。

これは日清戦争後、台湾を統治するときにも行われました。
台湾でも清と同様にアヘン常習者が多くなっていたため、急に禁止すると離脱症状に陥る者が多発するであろうこと、そこにつけこむ密売人が現れるなどの問題が発生すると思われたからです。

そこで、既に中毒になっているものには制限付きで販売を認めました。さらに、台湾内でのケシ栽培が禁止し、少しずつアヘンの常用者を減らしていったのです。

満州でも同じような政策が採られましたが、中国軍も生産・流通させていたようなので、効果の程はどのくらいだったものか。
朝鮮半島でも、1919年に取り締まりを始めています。

現在でも、医療用以外のアヘン使用は国際的に禁じられています。
というか、現代においてはもっと安全で安価な娯楽がたくさんあるので、わざわざお縄になるようなモノに手を出さなくてもいいと思うんですがね。

一時の快楽、しかも反動で苦しむ上にとっ捕まるようなモノのために、この先何十年もある人生と、その間に体験できる楽しいことや面白いことを全部捨てるだなんて、実にもったいない話です。

というわけで、やはり「おクスリ、ダメ、絶対」。

長月 七紀・記

・アヘンを吸ったら何がどうやばいのか?歴女医・馬渕まり先生の記事もご参考にどうぞ
【関連記事】阿片戦争にみる英国と麻薬乱用の恐ろしさ~ケシを吸ったらサヨウナラ

・更には、英国は如何にして清とのアヘン戦争を始め、どうケジメをつけさせたか?
【関連記事】アヘン戦争はナゼ始まり、どうやって終わった? 恐ろしすぎる英国のヤリ方と不平等条約

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参考:アヘン/wikipedia 台湾阿片令/wikipedia 万国阿片条約/wikipedia 大麻/wikipedia

 

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