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その日、歴史が動いた

ビールは実に6000年の歴史 はじめは「液体のパン」だった!?

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成人済みの皆様、お酒はお好きですか?
日本人は遺伝子的にアルコールを受け付けない人も多いですし、無理強いはよくありませんが、「お酒は飲めないけど、飲み会の雰囲気は好き」という方もいらっしゃいますよね。
今回は飲み会のとき真っ先にオーダーする方も多い、あのお酒の歴史をかいつまんでお話ししてみたいと思います。

4月23日は「ビールの日」です。

ドイツで「ビール純粋令」という法律が施行されたことから来ているのですが、その辺のお話は以前しています(左記リンクを参照)ので、今回はビールそのものの歴史をみていきましょう。

 

紀元前4000年代のメソポタミアで作られていた

ビールは、少なくとも紀元前4000年代のメソポタミアで作られていたと記録されています。
当時のビールの作り方は2つ仮説が立てられており、地域や時代によってどちらか、あるいは併存していたかもしれません。

一つは、麦を一度発芽させて粉にし、パンのように焼いてから、水に浸して発酵させて作るというものです。
特に大麦の場合、そのままパンにしようとしても製粉が難しかったため、どうにかして食べやすくしようとした結果がこのやり方だと推定されています。

もう一つは、麦芽と麦に酵母を加えて発酵させるという方法です。
こちらは現在のビール製法に近いもので、風味の添加や保存性アップのために、さまざまなハーブが使われていました。
中東の厳しい気候では、そういった工夫が欠かせなかったでしょうね。

この他、中国でも紀元前3000年頃にはビールを作っていた……かもしれないと推定されています。
ビールに限らず、発酵を経て作られるものは偶然見つかることも多いので、どこでやっていてもおかしくはないですね。

こんな感じで、ビールの始まりは「麦を食べやすく処理する」ことだったといえます。
ヨーロッパにビールが伝わった後も同じで、「液体のパン」とも呼ばれました。最初はお酒ではなく食べ物扱いだったんですね。

現在でもドイツや一部の国では、10代半ばから条件付きでビールを飲めることがありますが、おそらくこの流れからきているのでしょう。
とはいえ、未成年がアルコールを摂取することの弊害も判明していますから、見直したほうがいい気もしますが……。

ヨーロッパと中東地域では、他にもビールの認識に相違点がありました。

 

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ローマでは「辺境の野蛮人がバカスカ飲むもの」扱い

中東ではパンと同様に日常的な食事に供されるものでした。一方、古い時代のヨーロッパでは、「ビールは収穫祭で飲める特別な飲み物」とみなされたのです。

これは、ヨーロッパと中東の気候差が大きく影響しているのでしょう。中東も決して穏やかな気候ではありませんが、古い時代のヨーロッパでは、食料の消費を計画的に行わないと、最悪の場合村や町が丸ごと飢えてしまいます。
日常的に食べるパンを優先するために、「ビールはお祝い品」とみなすようになったと思われます。

古代ヨーロッパといえばローマ帝国も欠かせませんが、現在のイタリアや地中海沿岸のヨーロッパ諸国同様、ビールよりもワインが主流でした。

これには、ローマ時代の価値観が大きく影響したと考えられています。
ローマ帝国での日常的な飲み物といえばワインでしたし、ローマの中央部からすれば「ビールなんて辺境の野蛮人がバカスカ飲むもの」という偏見があったからです。

また、当時のワインは糖分がアルコールに転化しきっておらず、かなり甘い飲み物だったために水割りにするのが当たり前だった……というのも理由の一つです。ハイソなローマ人からすれば「飲み物は水割りにするのが上品な作法であり、ビールのようにそのまま飲むものなんて野蛮」という認識でした。
ギリシアあたりでも似たような価値観だったようです。

 

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ゲルマン人のフランク王国でビールが広がる

一方、ビールが広まったドイツや北欧諸国では、そもそもワインの原料となるぶどうが育ちにくい気候ですから、ワインがあまり広まりませんでした。
輸入するにしたって超高級品になってしまいますからね。
これだけ温暖化が叫ばれている現代でも、ワインを造れるほどのぶどうが採れるのはドイツ南部あたりまでので、いわんや古代をや。

なんだか歴史というより地理の話になってきましたが、地政学ということでここはひとつ。

ヨーロッパでもう少しビールが一般化するのは、ビールを好んでいたゲルマン人によって、フランク王国ができてからです。フランク王国はフランスやドイツの元になった国ですので、何となく納得できますね。

この頃になるとワインの作り方が改良され、甘さが減ってアルコール度数が増しました。
そのため、より度数の低いビールは「子供でも飲めるもの」、ワインは「オトナが飲むもの」とみなされるようになります。

また、ビールが「液体のパン」であることから、キリスト教の修道院では巡礼者への施しの一つとして、ビールを作るようになりました。現代でも、特にベルギーの修道院ビールは有名ですね。一部の基準を満たしたものは「トラピストビール」とも呼ばれます。
日本では「シメイ」という銘柄が手に入りやすく、おなじみでしょうか。

修道院ではビールの保存性や味の改良のため、発酵途中にハーブなどをよく添加するようになりました。
修道院以外で作っているベルギービールにも、ハーブやフルーツを加えたものが多いのは、おそらくこの影響かと思われます。
現代では保存性のためというよりは、伝統を守るため・そういった味を楽しむ人が多いために使い続けているのでしょうね。

こちらの代表格は「ヒューガルデン・ホワイト」でしょうか。
「ビールは苦いもの」というトラウマがある方には、ぜひ飲んでみていただきたい銘柄です。最近は日本のバーやスーパー・酒販店でもよく見かけるようになりましたしね。

 

イギリスやアイルランドでは独自の発展

さて、ビールで有名な国といえば、イギリスやアイルランドも欠かせません。
この辺で主流なのは、正確にいうと「エールビール」というタイプで、日本で馴染みのある「ラガービール」とは違うのですけれども……その辺まで触れると非常に長くなってしまいますので、ご興味のある向きだけお調べください。

イギリスやアイルランドでは、ヨーロッパの大陸側とは違った経緯でビールが広まっています。

元々ブリテン島付近では「ミード」というはちみつを発酵させたお酒が飲まれていました。しかし、人口が増えて森が切り拓かれたために蜜蜂が減り、ミードをたくさん作ることができなくなってしまいます。また、はちみつを甘味料として使うことが多くなったのも理由の一つです。
これは紀元前の話なのですけれども、そんなに古い時代から環境破壊とその弊害があったんですね。

「他に酒を造れる材料はないか」
と試行錯誤を繰り返した結果、行き当たったのが大麦の発酵によるビール製造でした。

最初はやはりおいしいものではなく、「庶民がミードの代わりに飲むもの」とされていました。
5世紀頃からは大陸同様にキリスト教の修道院でビールが作られるようになっていきます。

その頃のイギリスでは、業者はもちろんのこと「ビールは家庭で作るもの」という概念があり、主婦の嗜みの一つともされました。昔の日本でいえば味噌みたいな立ち位置ですかね。

その後、酵母の研究や技術の発展、各国のニーズや伝統などが掛け合わさって、数え切れないほどのビールが世に生まれました。
日本でも大手メーカーの他、各都道府県にさまざまな地ビールがありますよね。最近ではメジャーなスーパーであれば、外国のビールや国内の地ビールを置いていることも珍しくなくなりました。

日本では「最近の若者は酒を飲まない」といわれてきていますが、イギリスやフランスでも「度数の高いお酒より、軽く飲めるビールがいい」といったソフト化(?)が進んでいるそうです。逆に考えれば、外国の方と付き合うときに、ビールの話題で盛り上がれる……かもしれません。
苦味が控えめなものやビアカクテルなど、飲みやすい方法もありますので、ビールに親しんでおくのも良さそうです。

長月 七紀・記
【関連記事】どんだけビール好きなんだ!ドイツ人の情熱を表す法律「ビール純粋令」制定

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参考:ビール/wikipedia イギリスのビール/wikipedia

 




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