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その日、歴史が動いた

うどんの味は地域の歴史 関東と関西の差は、ダシと土壌の違いから

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2017年久々の飯テロ警報を申し上げます。
7月2日は「うどんの日」だそうです。

蕎麦と同じく、温かくても冷たくても美味しく、更には家庭でも店舗でも、国内どこでも気軽に楽しめる麺類としておなじみですよね。
しかし、です。その発祥となると、これが意外なほど不鮮明でありまして……本日は、うどんの歴史を見て参りましょう。

 

中国からの伝来説と日本で生まれた説がある

うどんは、大まかに分けて「中国から伝わった」系の説と「日本で生まれた」説があります。
バリエーションが多いのは、やはり前者ですね。

例えば、こんな感じで
「奈良時代に遣唐使が伝えた”混飩(こんとん)”という食べ物が変化した」
「平安時代に空海が唐から四国にうどんを伝え、讃岐うどんになった」
「鎌倉時代に中国から蕎麦・饅頭などと一緒にうどんも伝わった」
などのように古代~中世で伝わったとされています。

「うどん」という言葉自体は、南北朝時代に出てきたとされています。
ただし、江戸時代には「うどん」以外に「うんどん」という呼び名もあったといい、実際、明治初期の辞書に「“うどん”は“うんどん”の略である」と書かれたものもあります。
ですので「うどん」で統一されたのは、少なくとも明治中期以降のことなのでしょう。もちろん地域差もあるかもしれませんが。

 

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ソバとウドンの差よりも、ダシとツユの違い

「関東そば」に対する「関西うどん」というイメージも依然として根強いですが、絶対的なものでもありません。
立ち食い“そば”屋さんでもうどんを扱っていることは珍しくありませんよね。

歴史的に見ても、丹波地方(京都中部~兵庫県北東部あたり)でも蕎麦作りは盛んでしたし、江戸時代には信州から近畿北部に蕎麦が伝わって好まれたといわれています。
その逆に、江戸でもうどんはよく食べられていました。

これは、どちらかというと「だし・つゆ」の差から来たイメージだと思われます。現在でもたまに論争じみた話題になりますが、「関東は黒くて濃い味のつゆ」「関西は薄味で透き通ったつゆ」ですよね。
うどんを食べるときよく引き合いに出される気がするので、ついでに考察してみましょう。

ポイントは「だしの材料」と「土壌の違い」です。

 

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関東と関西 ダシの差は野菜の質も影響している!?

東日本では鎌倉時代から鰹が好まれており、江戸時代に鰹節が生まれてからは、鰹だしがデフォルトになっていました。そのため、蕎麦のつゆも鰹だしを用いたのです。
一方、西日本で昆布だしが好まれるようになったのは、鎌倉時代に津軽の安藤氏が北海道産の昆布を出荷していたからでした。

また、関東は石灰質な土壌のため野菜の筋が目立ちやすく、それに負けない濃い味付けが好まれるようになります。
関西は赤土が多い土地が多数派のため、野菜が柔らかくなり、素材の味がそのまま伝わるように薄い味付けを好むのが定着したのだとか。

これらが複合的に重なり、
「関東は濃い色や味付けが多い→それに負けない風味を持つ蕎麦」
「関西は薄い味・薄い色をつけることが多い→よりシンプルな味のうどん」
が好まれるようになったのでしょうね。

冷害になりやすかった東日本では、蕎麦のほうが育てやすかったことも理由になっていそうです。

他には、
「東日本=武家社会=肉体労働=塩分補給が必須」
「近畿=公家・商人社会=頭脳労働=塩分控えめでも良い」
という状況が影響した可能性もあるかもしれませんね。あるいは気候の差による塩分摂取量の差とか?
同じ西日本でも、九州や四国はまた違った味付けが好まれているような気がしますが、その辺はまた機会を改めるということで。

 

水の少ない讃岐は麦の育成に向いていた

さて、うどんといえば、やはり讃岐うどんの話題は欠かせません。
上記の通りうどんの発祥説の一つにも入っていますしね。

これまた起源は確定していないのですが、讃岐でうどんが好まれるようになった理由はいくつか考えられます。

・いりこ(鰯煮干し)の産地だったため
上記の通り、関西では古くから昆布だしが好まれました。そしてそれは元々北海道からの輸入品(国内ですが)で高価なものでした。江戸時代あたりにはだいぶ緩和されましたが、それまでは東西問わず、煮干しを使ってダシを取ることが多かったです。
讃岐はいりこの産地だったため、安価につゆを作ることが可能でした。

・乾燥した土地柄
現代でも、香川県は水不足になりやすい土地として有名です。
近代以前も、讃岐の人々は水不足に悩まされていました。そのため稲が不作になることも珍しくなく、二毛作として麦を育てることが多かったので、うどんが作られるようになったというわけです。
具体的にいつ頃讃岐=うどんになったのかはわかりませんが、製粉技術が広まった(挽臼が普及した)のは江戸時代のことなので、讃岐の庶民にまでうどんが浸透したのはその辺でしょうね。
これは、全国的にうどんが食べられるようになった時期とも符合します。

ダシやツユの種類を突き詰めるとキリがなく、とにかく食べ物は美味しくいただくのが一番。
麺だけだと栄養が偏りやすいので、天ぷらやその他具材と食べるのがいいですね。夏バテ防止にもなりますし。

長月 七紀・記

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参考:うどん/Wikipedia

 




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