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絵・富永商太

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軍師黒田官兵衛も参戦した「三木城の干し殺し」付け城が整備され公開!

更新日:

織田信長の中国方面軍の司令となった豊臣秀吉は、軍師黒田官兵衛とともに、毛利の攻略を進めていた。

そのとき、その背後の味方だった別所長治が突然の寝返り!
これを受け、秀吉は天正六年(1587)二月に別所一族が籠る東播州の三木城を攻囲する。攻囲戦は力攻めを避け、三木城を孤立させるために、付城と呼ばれた臨時に築造された30に及ぶ砦が設けられ持久戦を展開した。

外からの補給を封鎖して、餓死させるという壮絶な作戦である。官兵衛も当初は加わったが、すぐに播磨で荒木村重の謀反が発生、村重を説得する使者として村重の居城・伊丹城へと向かっている。
この三木城を中心に30の付城が展開された兵庫県三木市は市内全体が戦跡といえるが、この度、付城のうち秀吉の本陣となった同市与呂木、平井・安福田地区の平井山付城跡が、本陣跡へ登る階段などが整備され、11月17日から一般公開された。

秀吉の本陣となった付城の平井山

秀吉の本陣となった付城の平井山

平井山山中に残る付城の築堤跡

平井山山中に残る付城の築堤跡

新しくたてられた秀吉本陣跡の説明板

新しくたてられた秀吉本陣跡の説明板

本陣跡は国史跡で、段状の平坦地群や土塁跡を見ることができる。主郭があった最上部まで登れば、対面する三木城跡 の丘陵を望む事ができる。

平井山付城主郭から望む三木城跡がある丘陵

平井山付城主郭から望む三木城跡がある丘陵

景観は、その後の中国大返しへとつづく中国地方進攻半ばの秀吉の気分をあじわさせてくれる。

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