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桜の木の下に500年前の武士の魂が眠る 千葉県の国府台の秘話

更新日:

ウォーカー桜前線もすっかり北上し、いよいよ春の気配が濃くなってきましたね。消費税アップも間近ですので、今年の春はあまり嬉しくない人も多いかもしれませんが。
こんにちは、「その日、歴史が動いた」を担当させていただいております長月です。本日は日付がはっきり出てこないお話のため、いつものコーナーから出張して参りました。

桜の美しさは今や日本のみならず、海外からも高い評価を得ているのは皆さんご存知の通りです。
特に桜吹雪の動画に関するコメントでは「ここは天国なのか」「日本ではこんなに綺麗な景色が毎年見られるの!?」「オーマイゴッド!」などなど、この世のものとは思えないという意見が多く見られます。
日本人ではここまでの反応をする人は少数派ですが、自然に散る前に雨が降って花びらが落ちてしまうことが多いため、やはり桜吹雪を見られるとちょっとトクした気分になりますよね。

桜

美しいだけでない 日本人ならわかる桜の「怖い」感覚

しかし、昔の日本人では海外の方と同じように、桜の美しさを空恐ろしいと感じた人もいました。
一番有名なのは梶井基次郎の小説「桜の樹の下には」でしょう。”桜の樹の下には屍体が埋まっている!”というどこからどう見ても電波な一文から始まる短編ですが、その後に続く表現がグロテスクながらも美しく、都市伝説的に知られている文章です。

坂口安吾の小説「桜の森の満開の下」でもやはり桜と狂気・死を主軸とした物語になっており、こちらは映画化もされていたため、同じように「桜には死体がつきもの」というイメージができあがっていったようです。
坂口は戦中を生き抜いた人だったのですが、東京大空襲の犠牲者のご遺体を上野に集めて荼毘に付した際、桜が満開だったところを見て「逃げ出したくなるような静寂」であると感じたことからこの小説を書いたのだとか。

とはいえ、桜と狂気を結びつけた文章は平安時代からありますので、先祖代々見慣れるまでは日本人でも恐ろしさを感じるほうが多数派だったのかもしれません。
平安初期のイケメンとして名高い在原業平の歌にこんなのがあります。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」
(適当訳)「この世に桜というものがなかったら、心穏やかに春を過ごせたろうになあ」
ということは、桜があるせいで気分が落ち着かない・狂おしいほどだと言いたかったと見ることもできますよね。
ちょうど「花」の意味が梅から桜に移るくらいの時代ですから、業平は余計そう感じたのかもしれません。

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桜の木の下にある意味で埋まっている合戦地跡

さて、実はここまでが前置きです。
全ての桜の木の下に死体が埋まっているわけではありませんが、千葉県にガチでそうなっていそうな場所があります。市川市の里見公園です。”国府台(こうのだい)合戦”といえばピンとくる方もおられるでしょうか。
といってもこの戦い自体が教科書に載ってないどころか、かなりの戦国フリークでないとご存じないと思いますので、「その日」と同じくテキトーにご紹介しましょう。

大きな地図で見る
ここは現在も高台になっておりまして、戦国時代には現在の地名と同じ「国府台城」という城がありました。江戸幕府どころかまだ家康が来る前の時代に、この城はあっちこっちの大名に取り合われていて、その一連の戦を国府台合戦と呼んでいます。

大別して天文七年(1538年)の戦いを第一次、永禄六年・七年(1563・1564)の戦いを第二次と呼んでいます。後者は近年まで混同されて1つの戦いとみなされていたため第二次までになっているのですが、今後研究が進んだら永禄七年のほうを第三次と呼ぶかもしれませんね。

主役の大名家自体がマイナーなので詳細は省きますけども、こんな間隔でかつ同じ場所で戦をしていれば、当然戦死者はあっちこっちで出ます。特に永禄七年の戦いでは5000人討死したといわれていますので、そこかしこにきちんと弔われなかった遺体があってもおかしくはないわけです。(当時の人口や動員能力から考えて、この数字はかなり盛っている可能性が高いですが)
しかも江戸時代が折り返すまで彼らを慰める者はほとんどおらず、慰霊のための塚やお墓が建てられたのは文正十二年(1829年)のことでした。遠忌ってレベルじゃねーぞ!

そして昭和年間に入ってから一帯が里見公園として整備され、桜や市川市の花であるバラが植えられたのですが、おそらく戦国時代の遺体発掘などはしていないと思われるため、もしかしたら……?というわけです。
といっても昼間は花見の名所としてのほうが有名ですし、周辺は住宅地の中に学校や病院、お寺が点在しているごく普通の場所ですけどもね。

ただ、冷やかしで夜中に行くと近隣のご迷惑になったり新たな都市伝説の主人公になってしまうかもしれませんので、軽い気持ちで行くのはよしたほうがいいでしょう。城跡が公園になっているところは多々ありますし、同様に忘れ去られてしまったご遺体が残っているところも多いでしょうから、里見公園だけの話ではありませんが。
というか、ロクにお経も上げてもらえず250年も放置され、その後は物見遊山で来た人たちにギャーギャー言われながら自分の上をうろつかれたとしたら、化けて出てきて「どけやゴルァ!!」ぐらいは言いたくなりそうですよね。
”ファラオの呪い”ではありませんが、やはり死者の眠りは妨げないほうがよさそうです。

長月 七紀・記

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参考:http://ja.m.wikipedia.org/wiki/国府台合戦
   http://www.city.ichikawa.lg.jp/gre04/1111000001.html




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