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千利休が切腹前にみずから作った茶道具が1年に10日間だけ2月に公開@名古屋

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表千家、裏千家、武者小路千家。お茶の世界の始まりはいずれも千利休(1522~1591)であることは言うまでもありません。
利休はわびさびの道を作った芸術家だけでなく、政治へのアドバイザーとしても活躍したことは有名です。
逆にその政治性から豊臣秀吉の怒りをかい、天正19年(1591)切腹を命じら、2月28日に果てました。一説には、朝鮮出兵に反対したとも言われています。
切腹前に、利休は最後の茶会を催しています。その際、自ら竹を削ってつくった茶杓が、徳川美術館が家康の遺品として保有する「千利休 泪の茶杓」です。
なぜ家康が持っているかというと、利休から直接もらったわけではありません。
利休は、最期の茶会でこれを用い、一番弟子の古田織部(1544~1615)に与えたのです。
その後、織部はこの茶杓のために長方形の窓をあけた黒漆の筒を作りました。この窓から、わずかに見える茶杓を位牌として、拝んだと伝えられています。
徳川美術館によると、この茶杓は長さ16.8センチで、「白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りにできている」とのことです。
織部は秀吉、関ヶ原と生き延びて利休と同じく茶の世界でトップに立ちます。
しかし、大坂の陣で豊臣家の延命に画策をしたのでしょうか、家康の怒りをかい、師匠の利休と同じく、切腹を命じられ果てます。
はたしてこの茶杓は、織部の死後、古田家も取りつぶされたため、織部のもっていた名物茶道具類は徳川家のものとなります。そして、家康の死後、「駿府御分物」として、尾張徳川家に分けられた宝物の一つで、尾張徳川家が実質管理する名古屋市の徳川美術館が所蔵しているのです。
同美術館では、毎年2月28日の「利休忌」の前後10日間ほどだけ、常設展示の一角で特別展示します。

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トップ画像は徳川美術館HPから引用




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