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やっぱり天才!? 織田信長の生涯とは

織田家 歴史ウォーカー

織田信秀(信長の父)が築城し、亡くなった末森城が熱い! 尾張・名古屋で楽しむ歴史旅

更新日:

名古屋市千種区にある末森城

織田信長にはお父さんがいました。えっ?当たり前だって?
ではその名前は知っていますか。
答えは織田信秀(のぶひで)。
信長は、秀吉や光秀をはじめ部下に「秀」の字をあげるのが好きだったのですが、お父さんの名前を与えていたのです。

この信秀が築城して、亡くなったのが名古屋市千種区にある末森城跡(末盛とも書く)です。

名古屋駅から地下鉄でわずか7駅13分でつく、知る人ぞ知る、穴場の歴史スポットです。

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名古屋駅から末森城跡までの道のり

こんにちは。

東海地方に住む歴史大好き人、小春部かなかです。以後、お見知りおきを。

末森城跡へは、名古屋駅から地下鉄・東山線で7駅目の覚王山駅へ行きます。

わずか13分で到着です。(240円)

住みたい場所No.1覚王山

覚王山といっても、地元の人以外には初めて聞く名前だと思います。

ところが東海人にとっては、憧れの地なんです。

住みたい街ランキングでダントツの1位(参考:スーモ)。

ゆるやかな丘が広がる街で、おしゃれなカフェなどが並ぶ高級住宅街です。東京なら代官山のようなイメージでしょうか。

覚王山駅から末森城へ

覚王山駅の8番出口から出て左側(東側)へ歩きます。

一つ目の交差点(末盛通2)をこえたら左側に城山公園という小さめの公園があるので、公園にそってさらに進みます。

鳥居がでてくる

左手にこんもりとした小山が見えます。それが末森城跡です。

城跡には、現在、城山八幡宮という神社と愛知学院大大学院校舎となっている昭和塾堂が鎮座しています。左手に石造りの鳥居と「城山八幡宮」の石碑が立っています。横には、ありました!末森城跡の看板も!

鳥居をくぐり階段をのぼる前に城の概略を紹介します。

末森城のデータ

名称 末森城(末盛城)
築城 天文17年(1548年)ごろ
スタイル 平山城
城主 織田信秀→織田信勝(信行)=信秀の息子、信長の弟
歴史 織田信秀が同じ名古屋市内の古渡城から移ってきた。東の今川氏や松平氏に備えるためとされている。
天文21年(1552年)に信秀が死ぬと、息子の信勝が城主となった。しかし、信勝は兄の信長に反抗したため、清須城にて謀殺された。
その後、廃城となったとされているが、信長の家臣の佐久間信盛が居城したとも伝わる。
遺構からは新しい時代の馬出しなどが整備されていることから、小牧・長久手の戦い(天正12年=1584年)の頃に、織田信雄(信長の息子)・徳川家康連合軍によって手が加えられたと考えられている。
入場時間 いつでも。無料
参考 新修名古屋市史資料編考古2(2013年) http://www.shiroyama.or.jp/ (城山八幡宮)

 

 

末盛城を歩こう!

幅15メートルの巨大な堀

階段をのぼるといきなり正面にステキな空堀が現れました!

堀の幅は最大約15メートル。

えいっと堀の底に降りて見上げると、本丸ははるか上。正面には土の壁(切岸)がデンとそびえています。

高さは約8〰10メートルほど。

堀から一度、道に戻り、堀を越える橋をわたると、もうひとつ階段があります。

このルートは現在は表参道ですが、城があったときはなかった道です。

先が見えないくらい急な階段をのぼると、そこは本丸があるのです。ワクワクします。

あれ?駐車場。。。

駐車場が本丸です

そうなのです。本丸は現在、神社の駐車場(参拝客は1時間まで無料)となっています。

駐車場の先に神社の本殿があります。

本殿があるところは一段高く、いっけんすると、そちらが本丸なのかと誤解してしまいがちですので注意しましょう。

この駐車場が中心部です。(駐車場などの造成に伴い本丸を一段低く下げてしまったようです)

中学生の信長も見た?父信秀の野望の視線とは

駐車場かと早まってはいけません。

階段をのぼって右側に、「末森城跡」の石碑が立っています。

さらにその横は木が切られて、東側に視界が開けています。これはお城ファンへの神社さまの大サービス!

今見ると、東山動物園のタワーが見えます。

コチラの方向は、信秀が侵略しようとした三河の方向なのです。

当時、嫡男の信長は那古野城(現在の名古屋城と同じ場所)の城主でした。1546年、13歳で元服した信長ですが、この末森城ができたときはまだ15歳。

末森城が当主のいる本拠の城ですから、当然、信長もこの城を何度も訪れたはずです。

信秀が腕を信長の肩にがしっと回して、一緒に夢と野望を語りながら東からのぼる朝日を眺めていたかも、なんて想像してしまいました。

城の建物はないけど

見ての通り、駐車場で、お城らしい建物や石垣(土の城です)は見当たりません。

しかし、この場所にたしかに織田信秀がいたのだということは目をつぶって確かめたいものです。

城山八幡宮にあった謎の「三日月堀」

せっかくですから、ちゃんと城山八幡宮へお参りをしましょう。

さらっと門をくぐったあなた!

スト―-ーーーップ!!!!

足早にお清めの手水(ちょうず)や本殿に向かっては、城マニアとしてはもったいない。

今や、一切の痕跡はありませんが、門をくぐったすぐ先に、

 

「三日月堀」

 

が存在していたのです。

 

三日月堀とは、文字通り、三日月のような半円を描く堀です。

この堀があることは「丸馬出し」という信秀より新しい時代のお城のパーツがあったことを意味します。

武田氏の城でよく見られる堀のため、

「なぜ織田氏の、それも古い時代の城に存在するのか」

と謎とされてきました。

しかし、上のデータにも書きましたが、近年のお城の研究によって、「馬出し」などの存在も明らかになり、信秀の死後すぐに廃城となったのではなく、小牧長久手の頃にも使われていたとかんがえられるようになりました。

謎は謎ではなくなったのですが、この三日月堀は昭和2年(1927年)の実測図に載るだけで現在は存在しません。

ザンネンながら、神社がこの場所に移転してきたときに埋められてしまったようです。(発掘調査は行われていません)

この神社のある一角の呼び名(本丸や二の丸など)はありません。

二の丸は、あとで書く別のところです。

今は、駐車場と神社は一体化していますが、古い実測図などを見ると、この2つの曲輪は堀で分断されて、今の神社の入り口程度の狭い土橋でつながれていた、双子の曲輪のようです。

これは私見になりますが、

江戸時代のお城でも、本丸の中に、政治をする表空間と、プライベートの奥空間にわけています。

末森城でも、駐車場の曲輪が表空間、神社の曲輪が奥空間と双子の曲輪で、本丸としていたのかもしれません。

なお駐車場の本丸の規模は、東西約50メートル、南北約60メートル。神社の境内も同じく、東西約50メートル、南北約60メートルとほぼ同じです。

 

堀や馬出しも現存

さて、お参りを済ましたら、一度門を出て、本殿に向かって左側(西側)へ歩いてみましょう。

フェンス越しですが、幅10メートル以上ある深い空堀が巡っているのを観察できます。

フェンスにそって数歩歩くと正面に小屋のある平地があることに気づくでしょう。

ここも馬出しとなっている曲輪ですので、まわりからじっくりと観察するのが城マニアの習性です。

神社をめぐる堀沿いに北側まで行くと、大きな木があります。

 

境内の西北、本殿裏手の参道沿いには連理木と呼ばれる古木があります。

この木は自生のアベマキが古くなったもので、幹周り4m、根回り4m70cm、樹高15m、名古屋市内最大のアベマキです。地上約3mの所から二幹に分かれ、6m程で再び合一して連理となり、そこから上にも枝を出しています。

連理木は一つの枝が他の枝とつらなり、木目が通じたもので、古来吉兆とされています。

「比翼連理の契り」といわれ、目と翼を一つずつしか持たず常に一体となって飛ぶ雌雄の鳥のことを比翼といい、枝と枝がくっついて一つに合一したものを連理といいます。(城山八幡宮のHPより引用)

 

というように、縁結びのパワースポットですので、ご希望がある人は忘れずにこの木までおいでください。

木のまわりには根を守るために木の高台となっているのですが、これが堀を観察するのにもってこい!

かなり重武装な堀であることが見て取れます。

 

戦国時代を住宅街で体感できる大迫力の堀と切岸

さて、また社殿の前の入り口まで戻って、今度はそのまま東に歩きましょう。

この入口の両側は、かつては堀がギリギリまで迫っていて、大迫力の土橋状態だったはずですが、今は参拝者の安全のためでしょうか、埋められてしまっています。

しかし、東側の道にそっていくと、途中からかつての堀がドンと現れます。最初に駐車場から見た高さ8メートルの土の壁の下へとつながっているわけです。

上から見ると怖いけど、下から見上げると、難攻不落ぶりにまた怖くなります。

お休みの日だったからか、地元の小学生たちが土の壁にへばりついてのぼろうとしていましたが、見ていてもドキドキします。気をつけてくださいませ。

このまま歩くと最初の橋と階段のところへ戻ります。

せっかくなので、もう一度、階段をのぼってみましょう。

今度は駐車場を左(西)へ向かいます。

さきほどからチラチラと見える,大正ロマン風のステキな古い建物があります。

ここは、愛知学院大の校舎として使われている(普段は使っていないようです)建物です。

封鎖されていて中に入ることはできませんが、この本丸から西南に伸びた曲輪が「二の丸」です。

古地図をみると、本来、この城に入るには、二の丸からのぼり、土橋などで厳重なチェックをうけた上で、本丸に入れるという登城ルートだったようです。

 

以上で、信長のお父さんの城・末森城をおおまかに紹介しました。

小一時間ほどでまわれる上に、迫力の堀と切岸、工夫された馬出しの配置など、見どころはたくさんあります。

 

名古屋に来て、歴史旅しようよ。ネッ!

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小春部かなか・文・写真・絵

 

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