日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

歴史ウォーカー

四世紀を超え、今、戦国の城と権力に圧迫される!徳川美術館『天下人の城』展レポート

更新日:

徳川美術館(名古屋市)にて、特別展「天下人の城」展が絶賛開催中です(2017年7月15日から9月10日)。

天下人である織田信長豊臣秀吉徳川家康たちは一体どのような城を築いていたのか?
新発見の書状をはじめ、歴史ファンの興味を惹く様々な展示品が集っており、武将ジャパンでもイベントブログの運営に参加させていただいておりました。

この特別展の展示レポートを、不肖・小檜山が担当させていただきます。

天下人の城(7/15-9/10)が通常の歴史イベントとは一線を画する3つの理由

概要および展示物の目玉については、既に上記の記事もございますので、合わせてご覧いただければ幸い。

今回のレポートでは
「モノや城を通して、天下がどのように移ったのか」
そこを中心にご報告させていただきます。

目玉展示であっても敢えて取り上げてないものもございますので、ご了承ください。

 

天下布武前夜 神秘の霧がかかる暗さ

「天下人の城」展——そう銘打つからには、天下人にゆかりのある城からスタートをするハズ。

本展において最初に登場する城は、織田信長が生まれた城・勝幡城「3・中島郡勝幡古城絵図」です。

あの信長が生まれた城ですから、もしも現存していたらさぞや話題になっていただろうに、なんとこの城は現在、川の底。
いきなり主役級の城が水没しているという展開に驚かされます。

城というのは堅固なようで実は失われやすい——この実感は、本展を鑑賞していくと、何度も気づかされる点です。

会場内の様子(写真はいずれも記者会見・内覧会において、主催者から撮影許可を得たものです。展示品の詳細については皆様ご自身でお確かめくださるよう、イメージ画像とお考えいただければ幸いです)

次に登場する城は「7尾州名護屋慶長以前古図」。現在の名古屋城とはまるで違いますが、これこそが今回の展示にとっては原点となるものです。

スタートしたばかりの展示室は少し薄暗いです。
展示品保護のために照明を暗くしているとか、物理的な問題ではありません。
川霧がかかっているかのように、どこかぼんやりとしていて、新しい時代にはまだ早い、朝日が昇る前のような暗さがあります。

暗さの正体は何か?
人々の心の中に人ならざるものへの恐怖心がある。そういう神秘の霧がまだかかっていることを感じます。

たとえば「29脇差 無名 号 あざ丸」。
ゾッとする由来のある刀ですが、前半に展示されているものの中には、このような話がつきまとっているのです。

これが先に進むと、また違ってきます。
うす暗い神秘の霧から顔を出すのが、「31織田信長画像(模本)」。
教科書でもおなじみ、日本の歴史を知る人であれば誰もが一度は目にしたことがあるはずの絵です。

その織田信長が劇的な勝利をおさめたのが「桶狭間の戦い」というのは言うまでもありませんね。のちの天下人となる徳川家康にとっても重要なターニングポイントとなります。

 

スポンサーリンク

「付城合戦」としての桶狭間

「桶狭間の戦い」が持つ「付城合戦」としての性格を示すのが「34本地鳴海古城跡之図」。

同展示はじめ、このコーナーは部屋全体が謎解きのようです。
結果はわかっていても、展開が実はわからない部分が多い。
そんな「桶狭間の戦い」の謎を解くためのヒントが展示されています。

たとえば開戦に至るまでの道ですが、織田・今川両者ともに国境沿いの城をめぐって攻防があったことが「35織田信長書状一霊軒・花井右衛門尉兵衛宛」からもわかります。

今川義元の上洛という天下取りレースで起きたという印象は、結果的に歴史上でのターニングポイントになったことからの後付ということですね。
大河ドラマ『おんな城主直虎』でも「なんだかまた戦だって」と今川方の井伊一族が、そう大きく構えるわけでもなく出陣していました。
特別な一戦になったのは、結果が出た後である、と。

そんな国境をめぐる戦いで、まさかの討ち死にをしてしまった今川義元。
「36今川義元木像
「37松井宗信木像
これらの像が何となく悲しげな表情に見えてしまうのは、気のせいでしょうか。

木像から城に戻ると、「38沓掛城」、「39 大高城」、「40 鷲津砦・丸根砦」と、ドドドッと目の前に前線の城が出てきますよ!
富永商太画伯のイラストとともに、火花が散るような城の攻防を想像してください。

さて、前述の通り合戦があれば火花が散り、当然、大勢の犠牲が出ます。
「41今川義元旧位牌
「42 桶狭間合戦戦死者位牌
お悔やみゾーンです。今年の大河『おんな城主直虎』ファンも必見の展示品が続きます。

桶狭間の戦いでは、実は織田方の死者もかなり多かったことがわかる「43/44桶狭間合戦討死者書上」。
この展示は大注目です。
解説にある通り、「織田・六角同盟の可能性」を示唆したものなのですね! ゾクゾクするような新説が湯気をあげてたちのぼるまさに画期的な内容です。
「なんだあ、ただの鐙じゃん」
なんて素通り禁止ですよ、解説を含めて目に焼き付けてください。

次に目に入ってくるのは「45脇差 銘 亀王丸 号 蜘蛛切丸」、「46刀 名物 銘 義元左門字(こちらは後期8/16~の展示)」ですね。

こちらも解説でおわかりの通り、信長と義元の刀が450年を経て並んで展示されるとか、あのゲーム『刀剣乱舞』でおなじみの刀であるとか。やはり豪華な目玉展示です。

それにしても信長が行った左門字へのカスタマイズが大胆なまでに衝撃的です。
自分にあわせたサイズに摺り上げ、刀の茎に桶狭間戦勝記念を象嵌するなんて。私のような小心者だとちょっと戸惑って結局やめてしまうような大胆な行動を、物に対してもするのだなあと驚かされます。

清須城関連では「47・48名古屋城本丸御殿の黒木書院の襖絵」に注目です。
清須城から移されたもので、まだシンプルでそんなに贅沢なものではありません。
展示後半の絢爛豪華な襖絵戸比較するとより楽しめます。

 

スポンサーリンク

信長、理想の城を目指す

桶狭間の勝利によって、まだ若い信長は最高のスタートを切ります。
デビュー作には作家の傾向が詰まっていると言われますが、そこで注目したいのが「53小牧山城木製模型」でしょう。

千田嘉博先生監修・富永商太画伯による復元画にも注目です。

応援団ブログより引用(富永商太・絵、千田嘉博・監修)

小牧山城は「岐阜城に移る前のプロトタイプかな」と思ってしまいがちではあるのですが、当時の信長からすれば「いつ岐阜を取れるのか?」なんて、そもそも本当にそんなことができるのかどうかも不明なわけで、実際には渾身のデビュー城というわけです。

渾身のデビュー城ですので、
「54春日井郡小牧村古城絵図」では土塁。
「55小牧新町遺跡など出土品」では城下町。
全力気合いでもって理想の城を作りたいと邁進する信長像が見えて来ます。

展示は既に多数ありましたけれども、ここからが本格的に「天下人の城」スタートです。

「57小牧山城主郭出土品」です。
いいんですよー、この出土品いいんです。中でも「灰釉猿型水滴」がいいんです。レプリカを売りに出されたら買っちゃうぞ!と声を大にして叫びたいぐらいですね。

これは後述しますが、このあとの展示は「レプリカをただでもらえるにしても、家に置くのは厳しい」物ばかりですので、机や掌に置きたい、ちんまりした愛くるしさを愛でてください。
この水滴にせよ、見せるよりも日常で使うことを想定した物ですので、昔の人の生活感があります。

さて、デビュー城でも気を抜かなかった信長が、次にさらにビッグな城を作れるとなれば、これはもう大変なことになると思います。
その結果が「59-61濃州熱美郡岐阜図、濃州岐阜之図、岐阜城図」から始まる岐阜城コーナーです。

「63岐阜城伝織田信長居館跡出土品
出土品も素晴らしいのですが、千田嘉博先生の講座で紹介された復元画(富永商太・絵)がこれまたインパクト大。

天下人の城応援団ブログより引用(富永商太・絵、千田嘉博監修)

千田嘉博先生の名言「岐阜城は増築しまくり温泉旅館」が納得できます。
やりたいことを全部詰め込んで迷走気味になる、ありがちなことです。工事する側も暮らす側もなかなか大変だったのではないかと思います。

そしてこの岐阜城。
大変画期的なシステムがあったそうです。
信長は城内の立ち入りエリア制限を設けていたのです。

このシステムは、現代のオフィスビルにおいてもよく見かけるものです。
社員証をドアの前にかざすと、権限がない社員は立ち入りができない。社員の権限によって立ち入り可能なエリアが分けられている。
もちろん当時ですから、社員証ではなく顔パスです。技術は違っていても発想としては現在のセキュリティと同じわけで、やっぱり信長のセンスは抜群だと感じました。

岐阜城も築いて絶好調の信長。
東の武田勝頼のも「長篠の戦い」で大打撃を与えます。
「74, 75長篠合戦図屏風」は見応え満点。
信長の天下取りへの道のりを想像しつつ、蓬左文庫から徳川美術館に移動しましょう。

 

安土城の迫力に圧倒される! これが信長の集大成

小牧山城もいい。
岐阜城もやりたいことを詰め込んだ。
そんな信長にとって集大成とも言えるのが、安土城です。
「76近江国蒲生郡安土城之図」から同コーナーが始まります!

城が主役ならば、重要な脇役はこちら。
「78-80安土城伝米蔵跡出土金箔押鯱瓦片およびその復元 安土城伝米蔵跡出土金箔押瓦片
「81, 82安土城搦手道湖辺部出土金箔押瓦
金色に輝いています!

金箔瓦というのは日本独特のもの。その日本でも織豊期限定のもの。
今更言うまでもありませんが、大変珍しいのです。

金箔でありとあらゆるものを飾ろうという発想は、権力者ならば思いつくことでしょう。
世界各地の宮殿に、金ぴかの部屋はあります。

しかし、それを敢えて屋外の雨風にさらされる屋根につけようとまで考えたとしたら、普通は「メンテナンスが大変だし、金ばかりかかって、防御的には全く意味がないな」と、ブレーキがかかると思うんですよ。

ところが信長はそうではない。
俺の城を荘厳にするためなら、何でもやってしまう。そしてアイデアを実行できる財力もあれば、職人だっている。
改めて信長凄いな、と小心者の私としては、圧迫感すら覚えてしまう。常人ならば躊躇するところを飛び越えるという点。そこが凄いを通り越してもはや恐ろしい、と戦慄してしまいます。

当時の地方では「ちょっと奮発して屋根を瓦にしようかな」くらいの頃に、信長は金箔瓦ですからね。安土城を遠方から訪れて瓦がキラキラ光っているのを見たら、さぞや衝撃を受けたことでしょう。
こういう、当時も今も鑑賞者を驚かせる、インパクト重視の展示品が増えてきます。

この展示室に入ると、チラシにも登場する「83, 84唐物茶壺 松花・金花」が嬉しそうに出迎えてくれます。
既にチラシや紹介で見て、優美で貴重なものだという前知識がある方も多いでしょう。
しかし、現物を見るとまた驚くはずです。

デカイ。
とてつもなくデカイ。
紹介頁では可愛らしいオリジナルキャラクターがおります。
彼女らが立ち上がると実は八頭身身長190センチの姉妹だった。例えるならばそんな驚きがあります。

松花・金花「姉妹」(馬渕まり絵)

前述の小牧山城から出てきたお猿さんの水滴について、私はレプリカがあれば欲しいと思いました。
しかしこの茶壺姉妹は……ちょっと。

物が悪いのではないのです。こんな立派な物をどこに置けばいいのか全く想像すらできないのです! 第二章の展示室は、ことごとく展示品が豪華過ぎて、私のような庶民には手が出ない!
日常品とは異なり、誰かに見せること、そしてその見た人がどう反応するか?ということを計算した物が増えてきます。
それと同時に、見た人が真似したくなるような、新しい価値観を想像している。

モノと芸術の力による天下取りです。

ギラついた権力といえば「86安土御献立十六日之夕膳」もかなり乙です。
こちらは再現メニュー「信長御膳」もあり、実際に我々も隣の宝善亭で食することができるのですが、ともかくボリュームが凄い!

「ようこそ、織田信長です。俺はこれだけの財力と勢力圏を持っています」
そう来客を歓迎しつつ、お前に俺と戦えるだけの力はあるのかな、と圧迫する。まさに食べる権力なのです。

しかしご存知の通り、信長の天下は唐突な終幕を迎えます。

その結果として分配された刀である「92津田遠江長光」、小牧・長久手の戦いを勃発させたとも言われる刀「101鯰尾藤四郎」があるわけですが、ここで気づきました。

「あざ丸や蜘蛛切丸と比べると、名前にロマンが感じられない気がする……」

この頃になると、嘘か本当かわからない由来よりも、作者・所有者・形状といったスペック情報が名前になるのですね。
刀剣の神秘性の低下というより、人々が刀剣に神秘よりも実用性を求めるようになった結果ではないでしょうか。
人の動向や意識というのは物にも反映されてゆくものです。

 

迫り来る黄金の迫力! 秀吉の天下はまさに「黄金時代」だ

次は秀吉の権力です。

大坂城を運ぶ大工事の様子がうかがえる史料がたくさんありますが、ぱっと見てインパクトがあるといえば「110大坂城図屏風」(前期のみ)ですね。
屏風そのものももちろん見応えがありますが、富永画伯の極楽橋再現図が素晴らしい!
いいですねえ、この豪華さ。絵の中に入って渡ってみたくなります。

大坂城極楽橋復元図(富永商太・絵、千田嘉博監修)

そして次は出ました、「111~115大坂城出土金箔瓦」です。
信長のものと秀吉のものでは金箔の張り方が違うのですが、性質的にも異なってきます。信長は子息のみに許可していたのを、秀吉は有力大名にも使えるようにしたわけです。上田城、仙台城といった東国の城でも発掘されています。

「西国の連中ってああいうチャラチャラしたのが好きだよな。武士の本分歯質実剛健だよね。金箔瓦なんて俺はいらないよ」
内心そんなふうにちょっと引いて見ていた東国大名も、秀吉が金箔瓦を有力大名のステータスシンボルとして使わせるようにしたら「使いたくもなるし、いざ使ってみたらきっと晴れがましい気分になった」……そういう心の葛藤を想像してしまう。

金箔瓦というのは一発屋と言いますか、この時期にしかないわけです。
モノとして見たら趣味が悪いけれども、付加価値があるからこそ手を出してしまう。
権威ってそういうものだと思います。

こんなギラついた時代がいよいよ極まったな、というのが「117純金天目(前期のみ)/118真珠付純金団扇(後期8/16~の展示)」でしょう。
現物を見ると「冗談でしょう、正気ですか」と思わず言いたくなるくらい、ともかくの金まみれです。
キラキラです。輝きが目に刺さります。

日本人はわびさびを好むとか、見えない部分でお洒落をするとか、そういう価値観がいろいろと言われがちですが、ともかくそういう考え方はこの当時の天下人には関係ないわけです。ここまで露骨に金装飾をこれみよがしにしているは、お洒落というよりも、もはや剥き出しの力すら感じます。
アメリカのラッパーか!
そんなツッコミがアタマに浮かぶ方もおられるかもしれませんね。

聚楽第ゾーンは、これまた金箔瓦でキラキラ。
「124〜127聚楽第行幸記」からは城が戦闘から社交と政治の場に変遷してゆく過程がわかります。

そして「128〜129織田信雄・松平忠吉」コーナーです。
「残念な息子」イメージが強い信雄は、「実はそんなに出来が悪くなかったよ」という紹介ですね。
よくよく考えてみれば、当時の信雄と秀吉は経験的に大卒と現場歴何十年のベテランの対決です。両者経験の差を考慮すれば、これはもう仕方のないことですよね。

 

シンプル、洗練……高級感あふれる家康ホワイト

伏見城ゾーンからは、かなり圧倒的です。
今までももちろん迫力満点でしたが、ここはその中でも素晴らしい。

三英傑である信長・秀吉・家康、それぞれの最高傑作ともいえる安土城・大坂城・江戸城の復元画を比較できます。戦国の世を生きてきて、自分たちが考える最強の城を作ったわけです。

「147江戸始図」(前期のみ、後期はパネル展示)をご覧ください。
まず外観からして差があります。
家康の江戸城は真っ白。私たちが「日本の城」と言われたら、真っ先に思いつくような形です。
現代の私たちにとっては見慣れてしまったがゆえに無個性に見えかねない江戸城ですが、信長と秀吉と比較することで個性が見えて来ます。

地味なようでいて、センスがいい。
信長や秀吉と比較すると、家康にはどうしても地味でつまらないというイメージがつきまといます。
家康の美的センスはどうか?と問われたところで、なかなか個性を思いつけない。私もそう考えていましたが、それは違うわけです。信長・秀吉とは違う、自分なりのセンスを家康は考えてちゃんと答えを出していたんですね。

家康が天下人として君臨し、さらにその子孫がそれを継承し、天下にあまねく広めたため、それが日本人の標準になってしまった。
だからこそ家康のセンスは日本人にとって平均点のようで、面白みがないと感じるのではないか、という仮説を思いついたのですが、いかがでしょうか。

ではその家康のセンスはどんなものか?という話に戻しまして。

カラフルな安土城・大坂城・極楽橋復元図を見てから江戸城復元図を見ると、清潔感が有りシンプル、かつ都会的で洗練されていると私は感じました。

初めてiPhoneを見た時、カラフルで個性的なデザインの携帯端末に慣れていた私の目には、とても地味でつまらないものに映りました。
江戸城の復元図から受けた印象もそれと似ています。シンプルだけれども、見れば見るほど魅力的に思えてきて、しかも脅威のハイスペック。
スティーブ・ジョブスが見ても納得できそうな美意識だと思いました。

徳川美術館の史彦学芸員

今まで城の壁が白いのは「ごく当たり前のことじゃないか」と思っていたのですね。
それが実は家康のシンプルで洗練されたセンスがあったからこそ……そしてそれが標準になったのか、と思うと感慨深いものがあります。
「こんなに素晴らしい城の復元画なら毎日見ても飽きないのに、ここでしか見られないなんて」
そう嘆く人が出てきても全くおかしくはありませんね。

ただ、そこは抜かりなく、ミュージアムショップでは三英傑最高傑作の城を網羅した、千田先生の監修と富永画伯のセンスが光るクリアファイルを販売しています。
この復元画をさりげなく毎日眺めることができるという、歴史ファンなら何としても入手したいお土産です。
自分で愛用してよし、贈ってよし! よろしければミュージアムショップにてお買い上げをm(_ _)m

シンプルなセンスを発揮した江戸城の次に紹介するのは、その対極ともいえる「156大野城図(修築不審届図控)」です。
この時代ともなると各地で家康好みのフォロワーになっている頃、ここまで個性の塊のような城を作るというのは凄い!! じっくりと見てください。

 

天下人の城、総決算! 太平の時代を迎えた城

徳川時代の城図が多くある中、展示品も天下太平の時代になります。

ここからは地元の名古屋城が中心です。
豪華な調度品もたくさんありますが、信長・秀吉時代の威嚇するようなギラつきは抑えられて、同じ金色のものであっても、豪華ながら落ち着きが出てきます。

例えば「184花鳥図屏風」。インテリアとして普段使いできる程度の豪華さが保たれつつ、高級感があります。
「169大坂の陣図屏風」の解説からもあきらかなように、名古屋城は途中から性格が変わった城です。

対大坂方の戦闘的な城から、平時暮らしやすい場所へと工事中に変わった、と。

変更の理由はもちろん大坂の陣であり、家康がやり残した仕事を終えたからこそ。
「170真田信繁自筆書状(後期8/16~の展示)」、「171大坂真田丸図」の前には、私が呼びかけなくとも『真田丸』ロスを抱えた人々が集うことでしょう。おのおの方、抜かりなく。

じゃあそろそろ義直はじめとする尾張藩主の話かな、と思いますよね。
ところが次のコーナーはいわば加藤清正ファンクラブ「清正伝説」なんです。

そもそも名古屋城には、城主の像はなくて清正の銅像が二体もあるのです。黒田長政担当の場所にある岩まで、大きいから「清正公大岩」と呼ばれています。

黒田長政が担当したのに巨石であるがゆえに加藤清正の手柄とされている「清正石」

もう清正公しか見えない、あとはどうでもいい、そんな扱いです。
築城に参加したのは他にも大勢いたのに、一体これはどういうことでしょうか。

そんな清正伝説が「195, 196加藤清正書状、瀧川豊前守ら宛 名古屋城天守台隅石拓本」です。
これなんかかなり大胆なものでして、そういうところが受けた気がしますよね。他にも清正伝説の品々があります。

清正は他の大名と何が違うかと言いますと、言い値で買い物をし、景気よく振る舞ったようです。
そう言われると納得します。
要するに、求人条件がよかったと。他の店が時給800円なのに、加藤清正オーナー店だけが1800円だったら、現代人でも彼を「ここのオーナーは神!」と崇めそうではないですか。

この清正伝説では、彼だけではなく他の人々の姿も見えています。
清正を持ち上げる名古屋の人々です。
今まで見てきて、城の持ち主であり主である天下人たちの姿が見えてきました。しかし、城のために石を運び、汗を流した民の姿はわかりませんでした。それが、気前のいい清正に喝采を送るという形で存在を見せたわけです。

 

天下人の城から、人々の城へ

「204~206名古屋城の金の鯱のパーツで作った棗(なつめ)、五徳、前立て」です。

これはいわば廃材リサイクルですから、原価は極めて安い。ある意味黄金天目とは対極のものです。
では何に価値を見いだしたかというと、プレミア感ですね。

こういう心理は現在でもありまして、例えばクラウドファンディング。
出資者の名前をエンドクレジットに掲載するとか、あるいはロゴ入りマグカップがもらえるとか。原価を考えたらああいうのにお金を出す意味があるとは思えないかもしれないけれども、出資者は夢とロマンと満足感を買えるわけです。
即物的なものに金をかけていた時代から、価値観がまた一歩進みました。

そして同時に、もはや殿様だけでは城を維持できない。
城は「みんなの城」になっていくのです。

迎えた明治維新、政庁としての機能を失った城は、完全に市民のものとなります。
城は、天下人から私たちの手に渡されたのです。
その姿をかつての藩主・慶勝が残したのが「207~215名古屋城の生写真コレクション」です。

名古屋城は幸運でした。
明治維新のあとに破壊された城は多く、復元しようにも当時の姿が残されていない、そんな城もあるのです。
しかし、幸運は続きませんでした。
「221, 222名古屋城天守鯱鱗破片・旧本丸御殿瓦」です。名古屋城が空襲にあったという知識はありましたが、今回、目の前で燃えているのを見るようなショックを受けました。名古屋城の石垣には、天守が倒壊した場所に焼けた痕が残ります。

水没した勝幡城から始まり、焼け落ちた名古屋城で終わるこの展覧会。
「天下人の城」が主役でありながら、実は城とは実に儚いのだと思わされました。

天下人である信長・秀吉・家康が最高傑作を目指して作った安土城・大坂城・江戸城も、当時の姿では残されていません。
地震、台風といった天災。
火災や戦争といった人災。
一国一城令や明治維新といった政治。
木造の高層建築であり、戦いに巻き込まれる運命を想定されていた建造物とはいえ、その見た目の荘厳さとは裏腹に儚いものなのです。

破壊され、姿を変えてもなお、城が饒舌に語りかけ、私たちに様々な琴を教えてくれること。そのことは、今回の展示を見てよくわかりました。

今日まで残された城も、復元された城も、遺構のみの城も、図面だけが残された城も、皆私たちの大切な遺産です。今こうして私たちが保全や復元に取り組む姿を、数百年後の未来に生きる人たちが見ています。この素晴らしい宝をどう残し、守るのか。そのことを考えるきっかけにもなる、城への愛に満ちた展示でした。

城だけではなく、天下人にまつわるモノ、美的センスの変遷も楽しく見ることができました。
特に第二章からは、天下人たちがモノを通じて人々に衝撃を与え、流行を生み出し、それまでの常識まで変えてしまった過程を見ることができました。これぞまさに、美的センスによる天下取りです。

これほどまでにストーリー性に富み、時代の変化を感じさせ、解説が充実している展示は初めてです。
この企画に関わった全ての人に敬意と感謝を捧げます。

そうそう、展示を見終えて帰る前に、是非ともミュージアムショップにお立ち寄りください。
復元画と三英傑のイラストが素敵なクリアファイル、そして『歴史REAL 天下人の城』を是非ともお買い上げください。
これを買わずに帰るのは、名古屋城を作りながら鯱を載せ忘れるようなもの。旅の土産も、おのおの方ぬかりなく!

文・小檜山 青

スポンサーリンク

【参考】徳川美術館・特別展「天下人の城」

 




1位 西郷隆盛49年の生涯!


2位 ホントは熱い!徳川家康


3位 意外と優しい!? 織田信長さん


4位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


5位 毛利元就の中国制覇物語


6位 伊達政宗さんは史実も最高!


7位 最上義光 名将の証明


8位 最期は切ない豊臣秀吉


9位 史実の井伊直虎とは?


10位 もしも戦国武将がサッカー日本代表だったら?


武将ジャパン・TOPページへ戻る



-歴史ウォーカー

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.