五稜郭の模型

幕末・維新

ロシアの南下を警戒!幕末の蝦夷地(北海道)は危機に晒されていた?

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幕末の蝦夷地警備
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陣屋もあった

五稜郭と四稜郭だけが、こうした建造物ではありません。

函館市内には、三稜郭、七稜郭とみなせるものがあります。函館のものは、幕府軍が築いたものと推察されます。

しかし、実はこれだけではないのです。

蝦夷地には、奥羽六藩や松前藩が築いたとみられる、警備のための陣屋跡が各地にありました。

そうした跡は、歴史の流れの中、建物は壊されて跡も消され、ひっそりと消えていったものも多いのです。

とはいえ、全てが消えてしまったわけではなく、保存されて見学できる場所もあります。

白老にある白老仙台藩陣屋跡は「仙台藩白老元陣屋資料館」として整備されています。

戸切地の戸切地陣屋は、整備事業が行われており、見学もできます(参考:北斗市歴史年表)。

国指定史跡に指定された陣屋も存在します。

 

幕末の南樺太警備

幕末期、幕府は南樺太の警備も行っておりました。

彼らの認識では、南樺太を「北蝦夷地」とみなしていたのです。

例えば安政元年(1854年)。

秋田藩が樺太警備を命じられました。

安政3年(1856年)から、シラヌシ(白主/のちの好仁村、現シェブニノ)とクシュンコタンに、夏期のみ警備をつけることになったのです。

会津藩は、京都守護職となったため途中で抜けるものの、さらには仙台藩・鶴岡藩(庄内藩)も加わり、幕府は南樺太の警備を行いました。

南樺太にも、こうした奥羽諸藩の陣屋が残されたのです。

 

明治維新後に一転して

ロシアへの備えとして不十分とは言えるものの、まったくの無警戒でもなかった――それが幕府の蝦夷地政策です。

それがノーガードとなってしまうのは、戊辰戦争が原因です。

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この戦乱期、会津藩と庄内藩は蝦夷地をプロイセンに割譲することを条件に、支援を取り付けようとしました。

「あまりに酷い外交政策だ」と非難される行為ですが、そもそも蝦夷地に警備空白の状況を作ってしまったのは、戊辰戦争を仕掛けた側といえるのではないでしょうか。

この争いの中、蝦夷地は、最後まで屈しなかった幕臣たちが希望をつなぐ場所となりました。

彼らは松前藩を蹴散らし、幕臣として最後の望みを繋いだのです。

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そして戦争が終結し、明治維新となってから、北海道と名を変えた蝦夷地と、東北出身者の関係は別の縁でつながれます。

東北諸藩の人々は、蝦夷地警備の経験もあることだからと、屯田兵として北海道開拓に従事させられます。

そもそも戦争敗者として、他に行き場もありません。

過酷な北の大地。

現代のように整備のされてない、荒涼とした野原。

条件は日本で最悪と言っていいでしょう。

彼らに蝦夷地の滞在経験があったとかそういうことではなく、戊辰戦争の敗者ゆえに開拓で苦労するのは自業自得――新政府側にはそんな考え方があったと目されます。

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開拓と流刑をセットにした一石二鳥の待遇=屯田兵。

大人気作品『ゴールデンカムイ』には、中央への不満を露骨に漏らし、その冷淡さを怒る人物が出てきます。

『ゴールデンカムイ』単行本10巻収録第97話より土方のセリフ

「旭川の発展をもたらした『上川道路』
札幌と旭川を結ぶ道路脇には…
おびただしい死体が埋まっている
ヒグマと狼に怯えながら寒さと飢えに苦しみ
死んでいった囚人たちだ」
「樺戸集監に収容されたのは
戊辰戦争や西南戦争で負けた国事犯と呼ばれる武士たちだ
勝てば官軍
負ければ賊軍
戦争というのは負けてはいかんのだ」

『ゴールデンカムイ』単行本14巻収録第131話より鶴見中尉のセリフ

「蝗害も暴動も 中央の人間がこんな地の果てまで確かめに来ることはまず無い 中央なんぞいつだって事後報告で充分だ」

北海道の歴史があまり語られないため、

『この人たち、何でこんなに怒っているの?』

と疑問を感じる方がおられるかもしれません。

しかしそこには、幕末から繋がる歴史があったのです。

江戸幕府も、異国船の脅威に対して重い腰を本格的にあげたのは、江戸に近い浦賀に黒船がやって来てから。

明治政府は、北海道開拓を東北出身者中心にぶん投げているように思える。

中央はあまりに冷たいのではないか?

そんな無関心への怒りが、劇中の彼らの胸中にあったとしても無理のないことではないでしょうか。

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文:小檜山青

【参考文献】
『絵図にみる幕末の北辺防備: 五稜郭と城郭・陣屋・台場』(→amazon
『幕末維新の城 権威の象徴か、実戦の要塞か (中公新書)』(→amazon
『会津藩 (シリーズ藩物語)』(→amazon
『松前藩 (シリーズ藩物語)』(→amazon

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