天然理心流

幕末・維新

幕末最強の剣術は新選組の天然理心流?荒れ狂う関東で育った殺人剣

近藤勇をはじめ、沖田総司土方歳三など。

その名を聞いて浮かんでくる言葉は圧倒的に【新選組】ですが、もう一歩踏み込んで考えてみたい「共通項」がこちらです。

天然理心流――。

新選組を支えた武の力、その源は「天然理心流」にあると言っても過言ではありません。

この剣術、とにかく強かった。

対抗できるのは薩摩しかないと思われるほどの強靭さを誇った。

ではなぜ、さほどに天然理心流は強力だったのか?

幕末に至る情勢を見ながら、その強さに迫ってみましょう。

 


幕末は、社会システムが自壊する宿命だった

260年間にわたる江戸の平和な日々は、黒船来航で崩れてしまう――。

よくある幕末の見方であり、2018年大河ドラマ『西郷どん』でもそういった趣旨のナレーションが流れていました。

しかし、そんなに単純な話でありません。

天災がしばしば襲いかかる日本列島は、社会システムが自壊してしまう宿命を背負っておりました。

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江戸幕府もまた例外ではなく、中期以降は全国いずれの地域でも藩政が行き詰まり、改革につぐ改革を実行。

しかし、いかなる名君や家臣が努力しても、その効果は自然の驚異から見れば限定的です。

そこに降り掛かってきたのが19世紀以降の外圧。

異国船という形で姿を見せるようになると、もはや隠し通せるものではなく……。

幕末を迎える前から、人々は社会システムの限界を感じていたのです。

 


絹一揆、老中を殺す

2018年正月時代劇『風雲児たち』では、草刈正雄さんが老中・田沼意次を演じました。

劇中で田沼は、社会システムが揺らいでいることを意識した台詞を述べましたが、これは史実に沿ったもので。

18世紀後半、幕府の屋台骨を揺るがすような事件が起きました。

◆郡上一揆:宝暦年間(18世紀半ば、1754年〜1758年)に発生、美濃国郡上藩金森氏改易に繋がった大規模な一揆

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◆中山道伝馬騒動:明和元年(1764年)閏12月下旬〜翌明和2年(1765年)年1月にかけて発生。主要街道の一つであった中山道沿いで発生した一揆

◆絹一揆:天明元年(1781年)、絹市に関する課税反対運動

郡上一揆の義民を讃える石碑/photo by のりまき wikipediaより引用

百姓が非武装化された江戸時代以降、一揆が起こらなかったわけではありません。

ただし、この場合のように幕府が鎮圧に手こずり、広範囲まで広がることは異例です。

絹一揆に至っては、恐ろしい結果を残しました。

一揆勢が老中首座・松平輝高が藩主を務める高崎藩に侵入。幕府はやむなく絹への課税を撤回し、しかも松平は心労のあまり急死してしまったのです。

江戸の庶民の間では、こんな噂が広がりました。

「一揆勢が老中を殺しちまったってよ」

「ひえ〜っ!」

一揆といえば、一方的に鎮圧されるものと決まっておりました。

それが一揆勢の要求が通ったばかりではなく、老中の命まで縮めてしまったのですから、その驚きたるや……。

社会変革に取り組まねばいけないと考え、経済政策に力を入れたのが老中・田沼意次でした。

しかも田沼は有能でした。彼の経済政策は一定の効果をあげ、経済を潤します。

田沼意次
田沼意次はワイロ政治家というより優秀な経済人? 評価の見直し進む

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しかし、その恩恵が庶民に届くまでには至りません。

田沼政治で潤ったのは、中間搾取する商人ばかりでした。そのため、庶民からすれば、格差が拡大する汚い時代に思えてしまいます。

田沼が賄賂まみれの汚い政治家扱いされたのは、そうした要因もありました。

 


ルール破りの「天保(甲州)騒動」

そんな中、ついにもはや世紀末状態であると思われる事件が、甲州で発生します。

天保7年(1836年)。

【天保の大飢饉】の影響を受け、甲州は大変な状態でした。

至るところに餓死者、流行病に罹った患者、行き倒れ、捨て子が溢れ、まさに地獄のような光景。

そんな甲州の郡内で一揆が発生するのですが、この一揆はそれまでのルールを破るものでした。

どういうことか?

まずは、それまでの一揆のルールを見てみましょう。

・武器携帯の禁止

・百姓らしい、蓑や笠といった衣装を着用すること

・放火や盗みといった違法行為や暴力は行使しない

一揆というよりデモというイメージではないでしょうか。

太平の世である江戸時代の一揆は、戦国時代と異なり、あくまで為政者の慈悲にお願いすることでした。

それが甲州騒動ではまるで違うものとなります。

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