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【大久保利通】
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西郷隆盛が死んだのはアイツのせい!
このように公私両立を図りながら、日本を強い国にするべく頑張っていた大久保でしたが、いつの時代も話のかみ合わない人はいるものです。
「大久保とかいうヤツは政治を牛耳って好きなようにしている! その証拠に、アイツは同じ釜の飯を食っていた西郷隆盛を殺したじゃないか!天誅!!」という実に短絡的な理由で、大久保は殺されてしまったのです。
1878年(明治11年)5月14日。
ご存知【紀尾井坂の変】ですね。
実行犯は、どこかから話を聞きつけ「大久保は生来病弱だから、意表をつけば簡単にブッコロせる」と思ったのかもしれません。
というのも犯行後に出した文書の中に、大久保を含めた明治政府の要人をことごとくけなしている部分があるのですが、体格の良かった大隈重信でもなく、幕末の頃には暗殺をやってのけたこともある伊藤博文でもなく、大久保を狙ったのです。
まぁ、大隈重信も暴漢に襲われてますし、伊藤博文も暗殺されてしまっていますけど。
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一応、実行犯の文書には「大久保の罪」がいくつか挙げられていますが、ほとんど言いがかりのようなものでした。
現実問題、国の制度を変えるのは時間がかかるものであり、大久保自身、暗殺直前にこう言っていたぐらいです。
「明治維新は三十年でやり遂げるつもりでいないとダメだ。最初の十年は創業にあたり、次の十年は国内を整えることに集中する。ここまでを自分の仕事として、最後の十年は後進たちに任せたい」
亡くなる直前の当人は、無念でしかなかったでしょう。
借金 死後に債権者は来ず
特に「国の金を無駄遣いしているけしからん」という項目については全くの的外れでした。
大久保は公共事業の費用不足を補うため、私財を投じた上借金までしていたからです。
亡くなったときに当時のお金で8000円になっていたそうですから、今の貨幣価値にして1億円をはるかに超える借金でした。
個人的な遊興のためでなく、国のためにこれほどの借金をいとわなかった人に対してこの言い分はあまりにも失礼というものです。
ちなみに大久保が何のためにお金を借りていたのか?
債権者は知っていたらしく、死後「貸した金返せよ!」と言って来る人はいなかったとか。
当時は今のように有名人の言動についてニュースが流れるということがないので、大久保の実像がわからなかったにしても、あまりにもターゲットの絞込みがお粗末すぎです。
大久保や西郷隆盛、伊藤博文など。
明治維新で大きな役割を果たした人物がことごとく非業の死を遂げているというのは何とも切ないものですね。
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