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東海道新幹線産みの親「不屈の春雷―十河信二とその時代」が波乱万丈すぎる

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リニアができるのも新幹線のおかげ。2014年で開業50周年となった東海道新幹線の生みの親は、元国鉄総裁の十河信二という人物でした。十河(そごう)は、のちに関東大震災後の帝都復興を担当したことで知られる当時の鉄道院総裁の後藤新平と出会い、鉄道院に入ります。

そして1923年(大正12年)に発生した関東大震災では後藤の懐刀として復興に携わり、その後の戦争中は中国東北部・満州の満鉄などで過ごし、戦後は愛媛県の市長に就任。紆余曲折を経て71歳で国鉄総裁となった後は、夢の超特急新幹線の実現に走る続けた男。それが十河なのです。

「待っていてもラチはあかない。早朝に若槻邸に無断で押しかけろ」

この十河の人生を追うノンフィクション『不屈の春雷―十河信二とその時代』(上下巻、各巻1800円、ウェッジ)が、元日経記者のジャーナリスト牧久氏の筆でまとめられ、9月20日発売されました。

本のもとになっているのは、十河が故郷の愛媛県西条市に寄贈した大量の資料。

関東大震災後の復興では、理想的な防災町づくりを進める後藤とともに尽力しますが、さまざまな抵抗勢力によって挫折します(この後藤の計画がきちんと進んでいれば、東京大空襲などでの被害はかなり軽減されたはずです)。

現在でも、東日本大震災の復興が第一と政治家は言っていますが、実のところどうなのでしょう?という感覚を持つことがしばしばですが。。。(以下、上巻の第6章)

「待っていてもラチはあかない。早朝に若槻邸に無断で押しかけろ」。十河はある日の午前5時、牛込の若槻内相邸に一人で乗り込んだ。
(略)
「新内閣は帝都復興をおやりになる方針なのですか。それともこれまでの計画を変更、もしくは中止しようと考えているんですか」
(略)
「なぜそんな質問をするのか。許し難い。帝都の復興は早急に実現したいと決意している。当たり前のことではないか」
「大臣がその決意を持っていることを今初めて理解した。(略)大臣にどんな決意があるか知らないが、それが実際の言動となって外に顕れて来ない限り国民は知る由もない。待てど暮らせどなんの反応もないではないか」

うーん。まるで21世紀の現在にも普通に聞こえてくる会話のようです……。

若槻とは若槻礼次郎さんのことです/国立国会図書館蔵

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現地の軍トップも戦争化を止めようとしたものの

また、関東軍作戦参謀の石原完爾をバックアップして、戦争の拡大をとめようとしたことなどの知られざる秘話(下巻第14章)も載っています。

例えば盧溝橋事件では、日本側も終息させようという動きがありました。

事件発生二日後、天津軍参謀長の橋本群(当時大佐)が訪ねてきた。司令官の田代完一郎は重病の床にあり、橋本が司令官代理として天津軍の総責任者だった。
「演習中の日本軍を銃撃したのは、中共八路軍に買収された地方民兵であることが判明した。八路軍は買収した農民やごろつきを使って銃撃させたのだ。彼らの銃撃にアワを食った日本軍が、宋哲元の正規軍だと誤解して反撃した。事態を穏便に収拾するには、彼らを逆買収するに限る。だがそれには金がいる。東京の参謀本部に打電して必要機密費を要請したが、資金に余裕はないと素っ気ない返電がきた。何か便法はないものだろうか。二百万か三百万円あれば十分だと確信している。(略)」

十河は即座に「そのくらいの金なら私が努力して何とか工面する」と約束した。(略)
十河は直ぐに地元、金城銀行の総経理、周作民を訪ねた。
「それは日本の為のみならう、中国にとっても極めて有利な措置です。三百万円なら私が個人で負担します。速やかに民兵を逆買収して事態を収拾してください」
(略)
事件四日後の同十一日には停戦協定が成立した。攻撃していた天津軍も本隊に復帰した。この経過は天津軍から軍中央へ、大使館から外務省へ逐一、連絡電報を打った。ところが停戦が成立したその日に、日本の近衛内閣は盧溝橋事件を「北支事変」と命名し、内地、朝鮮から三個師団、満州からも二個師団の増派を決定したのである。

なんたることか・・・という感じですね。十河は即、帰国して、近衛総理に面会して詰め寄るのですが、なんと、総理はもちろん陸軍大臣にまで、上記のような事情と情報がどこかで遮断されて、伝わっていなかったのです。

十河信二記念館/

愛媛県西条市にある十河信二記念館/鉄道歴史パーク in SAIJOより引用

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技術的良心を発揮して、技術的信念に基づいて検討してほしい

1956年に「新幹線計画」、当時は「広軌鉄道計画の試案」が、国鉄の常務理事会に提出されました。ここが新幹線のスタートになるわけですが、このときの計画が、国営だけに、なんとも保守的だったのです。(下巻、第17章)

このときの広軌の最高速度は170キロ。
それに対して、たいして手間と改良のいらない狭軌案は130キロと、その差はわずか40キロで、この差だと、東京ー大阪間では1時間半しか変わりません。

今も、リニア反対論者が「乗り換えなどの時間を考慮すると新幹線と総時間が変わらないから反対」というのと同じで、このときも現場や役人たちが「楽な狭軌案」でお茶を濁そうとしたのです。

それに対して十河は怒りをぶつけます。

「君たちは技術に忠実でない。技術的良心を発揮して、技術的信念に基づいて検討してほしい」

いいセリフですね。

それが今では時速300キロクラスですからね。技術を信じて、適切な負荷をかけることがリーダーには求められるのでしょう。

歴史マニアだけでなく、鉄オタ、リニアマニアは必読です。

 

歴史作家 恵美嘉樹・記

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