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『レーナの日記』みすず書房

ロシア WWⅡ 書籍・映画

100万人が死んだ『レーナの日記 レニングラード包囲戦を生きた少女』が凄絶

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世界中で数多の悲劇が起こった第二次世界大戦。
そんな中でも、甚大な被害が出たとされているのが「レニングラード包囲戦」です。

死者数最大100万人は、日本全土の民間人死者数を上回るという凄絶なもの。

そんな最中、日記を綴り続けた少女がいました。

エレーナ・ムーヒナ、愛称はレーナ。
16才のレーナの日記は、生々しい記録に満ちています。

※レニングラードは現在、サンクトペテルブルクに。ピョートル1世によって造営されロシア帝国時代の首都で、美しさで知られています

 

戦争が始まるまでは、他愛のない日記だった

1941年6月22日。
それまでクラスメートの男子と女子が言い争っただとか、そんなことが書かれていた少女レーナの日記が、この日を境に一変しました。

戦争が始まったのです。

「モロトフ同志の声明を全国民が聞いた」
この日から、レーナの関心事は戦争になりました。
ナチスドイツの侵攻を受けながら、イギリスやアメリカも協力するのだから気持ちを強く持たねばと、決意を新たにした彼女。

空襲、呼び出し、疎開、共同作業。
日常生活は戦争に塗りつぶされてゆきます。

サンクトペテルブルクに建つ冬宮殿(ロシア皇帝の冬季宮殿)

そして8月には、ドイツ軍の侵攻によって生母が44才で死亡してしまいます。レーナの家庭環境は特殊で、実母ではなく伯母が母親代わりでした。

レーナはその訃報を、育ての母である伯母から聞かされます。
長く離れていた母が、状況もわからないまま惨い死を遂げたことを知り、レーナは願います。

「恋人が欲しい! 生き延びたら永遠に結ばれようねと誓い合う恋人が欲しい……」
愛しい人を失い、愛に飢えたレーナは、恋人を作ることで心の空白を埋めたいと願うのでした。

看護士として働く時も「負傷兵の中には同い年の少年もいるだろうから、彼氏ができちゃうかも! それに私は働いて自立したい!」と前向きな態度を見せます。

極限の状況でも青春のきらめきを求める健気な16才。
しかし、彼女の目にうつるレニングラードの街は次第に戦争の色を帯びたものに変わっていきます。

子供たちが砲弾の破片を集めて遊ぶ光景が当たり前のこととなり、ラジオから流れる曲は国歌の「インターナショナル」だけ。

いつでも避難できるよう、夜でも着替えないまま床につく日々となりました。この頃、夜間の空襲や砲撃への備えは当たり前となっていたのです。

 

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老人も、若者も、男も、女も、子供も、赤ん坊までも

秋になり、ついにナチスの包囲網が完成してしまいました。
これはつまり、極端に食料が減るということ。
かつては濃い紅茶と共にケーキやパンを口にしていたのに、日記からはそんな記述が減っていきます。
反比例するかのように、配給券なしでは食べられない食料がどんどん増えていきます。

とにかく食べるものがなくなった。食料品店は、からっぽの状態。
空襲と親しい人の死に悩まされたとき、レーナはこれ以上酷いことはないと思ったかも知れません。

しかし、本当の地獄はそれからでした。

空襲が止む代わりに、砲撃が始まったのです。
悪魔のような砲弾は、老人も、若者も、男も、女も、子供も、赤ん坊までも、区別せずに殺してしまいます。

難攻不落とされたレニングラード。
本当に、陥落しないとかあるのだろうか?
そんな不安と、この復讐を必ず遂げるという怒りの間で、レーナの心は揺れ続けます。

夕暮れのペトロパヴロフスク要塞(対スウェーデンの要塞としてサンクトペテルブルク内に作られた)

 

食べたい物リストを作って自己嫌悪に陥る

冬を迎え、飢餓はいよいよ悪化。酷寒のロシアの大地です。飢餓で弱った人々の命を、寒さが容赦なく奪います。
そんな中、レーナは戦争が終わったら食べたい物リストを作ります。

大きな黒パン。
様々な具材をつめこんだピロシキ。
サワークリームをたっぷりとかけたペリメニ(ロシアの水餃子のような食べ物)。
チーズにマカロニ、ソーセージ。
ジャムをのせたクレープに、分厚いホットケーキ……こんなに食べたらとんでもないことになる! と空想にふけるのです。
なんと切ないことでしょうか。

ろくに食べるものもないまま迎えたレーナ17才の誕生日。
彼女は日記を読み返し、食べ物のことしか考えていない自分の薄っぺらさに失望してしまいます。
飢餓感とは、思考力をも奪ってしまうものでした。

1941年12月、真珠湾攻撃の報を聞き、信念らしい華やぎのないまま1942年を迎えたレーナ。
酷寒と飢餓の中、祖母アーカとママ(育ての母である伯母)が亡くなってしまいました。

それでもレーナは、1942年を生きてゆきます。
春の日射しに束の間の平穏を見いだし、僅かな食べ物の配給に喜びを見いだす日々。

その年の5月終わり、彼女の日記は途切れます。

ピョートル1世の騎馬像として知られる「青銅の騎士」

 

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あぁ、レーナの運命は…………

なんてことだ。あぁ、レーナの運命は…………と、皆が思うところ、しかし、彼女は生き延びました。
疎開して、無事戦後まで生き延びたのです!

よかった。本当によかった。
レーナはレニングラードで亡くなっていなかった。

しかし、この苦しみの日々と故郷レニングラードを去ったことは、彼女の人生に暗い影を落とし続けるのです。

なにせ、日記すら残せなかった声なき犠牲者たちは100万人とも言われています。
1942年の時点で、レーナはいつになったらこの苦しみが終わるのか、と嘆き、それから1944年1月まで実に900日間もの地獄が続きました。
人々は亡くなった人の肉を食べるまで飢えていたのです。

レニングラード包囲戦はじめ、第二次世界大戦中のソビエト連邦の犠牲は、甚大であるにも関わらず西側諸国で重視されてきませんでした。
大戦が終わると、ソ連は東側の超大国として、邪悪な国であるとみなされたからです。

冷戦の中で、ソ連の犠牲と英雄的な戦いは、忘却の彼方に追いやられました。
犠牲者約2千万人という膨大なものであるにも関わらず……。

そんな悲惨な戦いの実相を知るためにも、本書は貴重な役割を果たします。
それだけではなく、凄惨な戦時下においても、未来の彼氏ができないかと胸をときめかせ、春の日射しに喜ぶ少女の感性も本書のみどころです。

レニングラード之片隅で、懸命に日常を生きようとしたレーナの生き方。
時代も国も超え、私たちに戦争の悲惨さを伝えるのです。




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文:小檜山青

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