『日本国紀』(著:百田尚樹/幻冬舎)

文化・芸術

もしも史学科の大学生が『日本国紀』スタイルで卒論を書いたら?

百田尚樹氏の『日本国紀』が依然として話題ですね。

歴史本では異例の大ヒットとなった『応仁の乱』。
その著者・呉座勇一先生をはじめ、多くの方が百田氏の記述に疑義を呈しております。

騒動は、発行元の幻冬舎社長・見城氏にも飛び火し、今ふたたび何かと騒がしくなっております。

兎にも角にも『日本国紀』は
【参考文献の提示がない】
ということで、発行当初からその内容の是非が問われておりました。

大手版元を通じて、教科書的信頼性を伴った「歴史書」や「通史」をアピールする以上、社会的責任も小さくありません。

だからこそ数多のサイトやTwitterで検証が行なわれているのでしょう。

論壇net
LITERA
弁護士ドットコム

細かい考証については、上記に譲るとして……。

本サイトでは少し趣向を変え、
「もしも史学科の大学生が『日本国紀』スタイルで卒論を書いたらどうなる?」
という視点で本書を考えてみたいと思います。

なお、私は大学で東アジア史を専攻し、卒論テーマは『清代の政治』でした。

結論だけ先に言っておきます。
もしも今回の執筆スタイルで論文を書こうものなら、教官から真顔でこってりと叱られ、まず卒業出来ません。

 

歴史研究は「ストーリー」に引っ張られがち

歴史にロマンを感じ、いざ大学で学び始めた学生たち。
彼らはまず、教官から笑顔で一撃くらいます。

「きみたちが学びたい、ロマンあふれる歴史と、学問は別です」

遡れば教官だって『信長の野望』や『横山三国志』に触発されたっていうのに、いざ教える立場になったら「それとは別ものだからね」と釘を刺さねばなりません。

まぁ、当たり前ですよね。
例えば、藤村シシン先生は『聖闘士星矢』から入って、古代ギリシャの研究者になりました。

藤村シシン『古代ギリシャのリアル』が空前絶後のぉおおおお~極彩色!

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北村紗衣先生も、映画がきっかけでシェイクスピア研究者になっています。

追っかけから始めて何が悪い『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』

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日本史については、大河ドラマをはじめとした人気の歴史コンテンツ。
そのお陰で歴史の道が開かれた――という方がいれば、辛い思いをする研究者もおられます。

例えば最上義光

最上義光の研究者は、大河ドラマ『独眼竜政宗』の視聴者……だけでなくコーエーゲームのファンから、かつてこう言われることがありました。

「あんな悪党の研究をして、得られることはあるんですか?」

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悪党とは何の冗談を?
と思われるかもしれませんが、それでも可愛い表現を選んだほうです。

最上義光が一般の方から酷く思われていた理由。それは、大河ドラマにおける原田芳雄さんの怪演が、あまりにもインパクトで、強烈なイメージが定着してしまったんですね。

司馬遼太郎氏は偉大すぎる作家です。
それゆえ彼の創作が史実扱いされて、トンデモナイ誤解が流布しているという現状もあります。

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作家の創作をもとに銅像が建てられてしまったこともあるのですから、こりゃあ大問題です。

学問ではなく一般社会では、もともと
【ヒストリーはストーリーに侵食されやすい】
という構造的問題があるのですね。

 

海外でも昔からある問題でして

同問題は、なにも日本だけのことではありません。

「曹操はずるい奴だから墓を大量に作っただろう!」
そんな話が流されてしまい、トンデモナイことになっていた中国。

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イギリスでは、シェイクスピア作品の影響で、
「リチャード三世なんて最低最悪の男でしょ!」
なんて長いこと誤解されてきました。

リチャード3世
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偉大なストーリーはあくまで文学の枠内で楽しまれるべきであり、ヒストリーと混同することは危険なのです。

こうした意識は良質な大河ドラマでも反映されつつあり、『八重の桜』や『真田丸』のような作品では、過去作品のあやまちを正し、ストーリーに組み込むことをやってのけてもおります。

前述の中国やイギリスでも同じこと。
『ローグ・ワン』に出演していた名優・姜文(チアン・ウェン)主演の曹操映画が制作中です。

 

イギリスでは1951年ジョセフィン・テイの『時の娘』発表以来、リチャード三世は見直されております。

フィリッパ・グレゴリ原作『白薔薇の女王』およびそのドラマ版では、史実ベースのリチャード三世像が反映されています。

 

かように世界的に見ても、
【ストーリーにしっかりとヒストリーが反映される時代】
になりつつあり、同時に、創作物と歴史の峻別も進んでいるのです。

そんな状況の最中、作家が歴史書だとして名のある版元さんから本を出す……この時点でプロの研究者さんや一般の歴史ファンの方々が『日本国紀』に対して複雑な思いを抱くのは致し方ないことでありましょう。

 

漢文なくして日本史なし

作者の百田氏は漢文廃止論を唱えたことがあると、今回の騒動を機に知りました。

百田尚樹氏「中国文化は日本人に合わぬ。漢文の授業廃止を」

その記事の中で百田氏はこう述べています。

そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。子供の頃から誰でも知っている「中国4000年」という言葉も、あの国への無意味な憧れを生んでいます。

そうじゃないんですよ……。

なぜ、国語で漢文を習うのか?

漢文知識がないと日本史を勉強するうえで、壁にぶちあたるから。
江戸時代以前、上流階級および知識人は漢文をマスターしないと話になりませんでした。

むしろ武士でありながら俳句を詠んでいると、
「エー、そんな町人みたいな趣味ありえなくね?」
ってなります。

鬼の副長・歳三がオシャレに俳句を楽しんでいた~今ならインスタ派?

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何かと小馬鹿にされがちな儒教だって、江戸時代までは武家の必須教育でした。

儒教とは
日本史に欠かせない「儒教」って一体何なん?誰が考えどう広まった?

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会津藩の藩校である「日新館」は、清から贈呈された孔子像が自慢の種だったほどです。

日新館
授業中でもケンカ上等!会津藩校「日新館」はやはり武士の学校です

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漢文のルーツは中国かもしれません。
その中国渡来のものを尊いと思ってきたのは日本の歴史です。

実は漢文は、中国史を学ぶ上で、役に立たないこともあります。なぜなら時代の変遷に添って文法も変化しているのです。

例えば日本の漢文の授業で習った内容は、確かに唐や宋あたりまではカバーできます。

ところが明、清あたりの史料を読むとなると、
「これはむしろ、現代中国語の知識で読んだほうがてっとり早いわ……」
ということになったりします。

中国の方からも
「日本人の習う漢文って何あれ? あんなもん中国人でも意味わからん」
という意見があるようです。

それでも日本の史料が漢文に依存している以上、歴史を学ぶ上で必須。

「漢文廃止論を唱えてしまう方」が日本史の歴史書を出版するというのは、大きな矛盾を孕んでいるのです。
【次ページでは本書最大の問題点・参考文献について】

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