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惟任光秀と安土幕府──信長の夢見た政権とは?書籍『信長を操り、見限った男 光秀』より

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今なお謎多き本能寺の変――。
その真髄を見る上で重要なのは、惟任光秀(明智光秀)と同時に織田信長という男をよく観察することであろう。

だが、この信長という人物のイメージが人によって異なっているからややこしい。

皆さんは信長に対し、どういうイメージをお持ちだろうか。

多くの方は、強烈な野心家として、物語作品に演出される覇者のイメージや、恐れ知らずの魔王の雰囲気を思い浮かべるだろう。

かつて信長といえば、近世の扉を開いた天才的な改革者と評価されることが多かった。
ところが近年の歴史研究で史料批判の機運が高まり、江戸時代の史料や近現代の物語作品ではなく、信長が生きた一六世紀の史料や同時代人の証言を基に見直されていくことになった。

すると、これまでの人物像は、後世になって作られた「キャラクター」であって、実像はかなり違っているのではないかと言うことが見えてきた。

新たな解釈では、信長を新時代を切り開いた改革者と言うよりも、「真面目な中世人」だとする評価が強いようである。
来年の大河ドラマ「麒麟がくる」でもそうした人物像で描くことになっているらしい。

 

天下布武と戦国群雄の印判

そもそも信長の評価が改まったきっかけは、何だろう?
これはどうやら「天下布武」の印判が原因であるらしい。
長い間、「天下に武を布く」と読まれてきたこの四文字。その意味は「この日本を武力で統一する」と述べているのだと解釈されてきた。

ところが、不思議なことがある。
信長はこの天下布武の印判を上杉謙信などの群雄への手紙にも使っているのだ。

考えてみて欲しい。
あなたの業界に「すべての同業他社を潰してうちがトップになります(株)」という名前の会社があったとして、まともに付き合いたいと思うだろうか。

旧説の解釈はこれと同じで、武力で日本統一するという意味なら友好的な群雄への手紙にその判子を押すわけがないだろうと言うのである。
すると、言われてみればごもっともとばかりに研究者たちがその意味を問い直した。

そして、これまでと全く異なる解釈が主流の位置を占めることになったのである。

まず「天下」とは「畿内」を指し、かつまた「武」も「足利幕府」のことであると見るのが妥当と言われるようになった。

同時代の史料に同様の用例も揃っていて非常に説得力があった。
そこから「落ちぶれた足利幕府を畿内に復活させる」と読むのが適切であると言われるようになる。

かくして信長は幕府再建に尽力した「真面目な中世人」だったと言われるようになったのだ。

信長が「天下布武」の印判を使い始めたのは、確かに畿内を逃れた足利義昭から「自分を将軍として支えてほしい」と信長に打診してからのこと。
信長自身も義昭の幕府再建計画に奔走して、大業を成功させており、その後も私利私欲にとらわれることなく将軍のため命がけの奉公を重ねている。

この点、新解釈は肯定すべき材料が揃っていると思う。

しかし、わたしは同時に旧説の解釈も並立が可能ではないかと考えてもいる。

当時の印判というのは、別にスローガンやマニフェストとして使われたわけではないからだ。これらはどちらかというと、単なるデザインやポーズと見るほうがわかりやすいのであり、そうした観点から見ると、両者は別に矛盾していないのである。

例えば、上杉謙信は軍神の名前を刻んだ獅子の印判を使った。
北条氏康は民の平穏を祈るような文章を並べた虎の印判を使い、武田信玄は龍の朱印を使っている。

いずれも何かメッセージがあってそうしているわけではなく、単なる験担ぎや格好よさを追求したものと解釈するのが妥当である。

もしあなたが、現代のやり手経営者が龍のジャンパーを着ているのを見て、
「龍は皇帝の象徴だ! かれは自分を中心とする帝国を夢見ている……危険人物は消すべきである!」
などと唱えたら、引かれてしまうこと必至であろう。

まぁ、龍のジャンパーを着て取引先の人間と顔を合わせる経営者が数多くいるとも思えないが……。

 

新解釈と史料をクロスさせてみる

ただ、史実の信長を「真面目な中世人」だと言うなら、かつて信長を信長たらしめてきた「岐阜城改称」、満を期しての「軍事上洛」、そして「安土城の建設」、「京都御馬揃え」、自らの「神格化」などの自称・事件はどのように解釈すればいいのかという疑問も浮かび上がる。

当然のことである。
そして最終的に信長が将軍・足利義昭を京都から追放したこと、そして公方衆出身の光秀に謀反された理由も再考する必要が立ち現れるはずである。

わたしは先行研究による「真面目な中世人」とされる信長の新しい人物像を基点と、これら素朴な疑問を解消すべく、根本史料を偏りなく見直していった。

すると次第に、別の解釈が可能であることが見えてきた。
そうして「すべてを素直に受け止めるなら、こう解釈するのが自然だろう」と無難な説を打ち出したわけである。

やがて、信長が「真面目な中世人」であるとともに、かれこそ日本的な「神」であることが感じ取れてきた。
すると、同時に本能寺の変の謎もざっと見通すことが可能になった。

まだこの解釈に対する批判は聞こえてこないが、論争が重ねられ、諸兄姉の多くが、そのうち同じ結論に至るだろうと思っている。わたしが導き出したのは、それぐらい当たり前で拍子抜けするような単純な答えなのである。

 

信長の政権構想

ところで信長が何を望んでいたのか?
実はまったくわかっていない。

古くは天子の地位を望んでいたなどとする突飛な説が有力だったが、「真面目な中世人」と見直されてからの歴史研究では、決定的に有力な説というのはない。

天正10年(1582)6月2日、信長は本能寺の変により横死する。
この不幸な事件の起こる一ヶ月以上前の4月25日、信長は朝廷から「三職推任」を打診されていた。信長はこれに確たる返答を表明することなく、織田政権をどうしたかったのかが、信長の言葉として残らなかった。

このため、信長の野望あるいは大志がどこを向いていたのか、無数の論争が重ねられているにも拘らず、まるで何もわかっていないのである。

「三職推任」とは、朝廷側が信長に、「太政大臣か関白か征夷大将軍」のどれでも望むものがあれば申し出て欲しいという呼びかけであり、当時の史料によれば、特に公家の勧修寺晴豊は5月4日、「もう関東を平らげたのだから、ここで征夷大将軍になるべきです」と在京する織田家臣に、将軍就任を期待する旨を伝えていた。

すると、もし本能寺の変がなかったら信長は征夷大将軍になった可能性が高く、ひょっとすると光秀はこれを阻止するため決起したのではないかとする説がある。

 

信長が征夷大将軍になるための障壁

信長が朝廷から征夷大将軍に任じられるのが、なぜいけないのだろうか。

そこには大きな障壁があった。
現将軍の立場にある足利義昭を解任する必要があったのである。これはもちろん足利幕府の解体を意味している。

もし義昭を将軍から解任したらどうなるだろうか。

当時、義昭は西国の大家・毛利の勢力圏内にある備後の鞆にあって、臨時政府のようなものを形作していた。
いわゆる「鞆幕府」である。

対する織田の勢力圏は、尾張・美濃から畿内に広がり、さらには北陸から甲信越までほぼ手中に収めつつあった。この頃の織田権力は天下政権として高く評価されている。

もし義昭が将軍解任に否を唱えて、毛利氏が支援を決意したなら、朝廷の公権力と化した信長に敵対することになるから、かれらは将軍に抗する賊徒として、朝敵に指定されてもおかしくない。

毛利氏当主の輝元は腰が座らない人物として定評があるが、もはや輝元に限らず、そこまでのリスクを負ってまで義昭を助けようという群雄はいなかった。

すでに信長は戦国最強と見られていた武田氏を滅ぼし、他に肩を並べる大名は天下になく、その勢いには、関東全域の支配を目指す北条氏政ですら、降伏の姿勢を見せつつあった。

もし信長にその気があったなら、本能寺の変を回避して、安土幕府を開いただろう。

ただ、私は信長には安土幕府を開く意思はあっても、自らが将軍になるつもりはなかったと思っている。
もちろん長男の信忠を将軍とする意欲も乏しかっただろう。

信長にはひどく甘いところがあった。その弱さが本能寺の変を招くのである。

さて、織田政権の実相と信長の大志、光秀が本能寺の変を起こした理由はすべて、拙著『信長を操り、見限った男 光秀』(河出書房新社)に記したので一読してもらいたい。

『信長を操り、見限った男 光秀(河出書房新社)』(→amazon link

本書は、惟任(明智)光秀評伝の体裁を取っている。
おそらくや誰も唱えなかった視点から織田信長という男の謎にも迫る一冊。

信長は天下人となったが、これはおよそ光秀のおかげと言ってよく、しかも後年の織田家命運は光秀の掌の上にあり、それが非常に呆気ないあっけないことから謀反を起こされ、49年の生涯を終えることになった。

一体なにがあったのか――本書では、陰謀論や黒幕説などなしに、もっと単純で当たり前の答えへと導くための情報を集め、わたしなりの思考法で読み解いている。

その是非は諸兄姉の評価に委ねるとして、誰も見たことのない信長と光秀が待っていることだけは約束する。

文:乃至政彦

1974年生まれ。歴史家。神奈川県在住。
『戦国の陣形(講談社現代新書)』(→amazon link
『戦国武将と男色(洋泉社歴史新書y)』(→amazon link
『上杉謙信の夢と野望(KKベストセラーズ)』(→amazon link
『戦う大名行列(ベスト新書)』(→amazon link
『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった(河出書房新社)』(→amazon link
『関東戦国史と御館の乱(洋泉社歴史新書y)』(→amazon link
書籍監修や講演でも活動中。

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※編集部注:本記事は著者の乃至政彦氏よりご寄稿いただいたものです

 



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