石川五右衛門

石川五右衛門/wikipediaより引用

戦国時代

実在した戦国時代の大泥棒・石川五右衛門 なぜ釜茹で刑に処されのか

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死刑は免れない五右衛門の重ねた罪

何はともあれ、五右衛門が捕縛→処刑されたのは事実。

逮捕したのは五奉行の一人・前田玄以ですが、漫画『センゴク』でお馴染み・仙石秀久が捕らえたという伝説もあります。

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いずれにせよ「たったそれだけで死刑か?」という気がしなくもないですよね。

実は五右衛門には前科があり、それまでに窃盗や殺人を繰り返していたとされ、処刑も仕方のない話でした。

今で言えば、

・連続殺人
・不法侵入
・窃盗
・強盗

あたりですかね。

現代の刑法ですと、死刑になるのは【放火・連続殺人・強盗殺人】など特定の犯罪と【永山基準】ですから、おそらくどの時代の法律でも極刑は避けられないと思われます。

ただし、このときは母親や一味の人間も道連れに遭っていて、合計20人ほどが処刑されたと言います。

場所は、イヤな意味でお馴染みの京都・三条河原でした。

処刑の有様は詳しく描写すると具合が悪くなってしまわれる方もいそうなので割愛しますね。

歌川国貞作の絵がよく知られているかもしれません。

釜茹での刑に処される石川五右衛門(歌川国貞作)/wikipediaより引用

 

辞世の句は?

ラストに、辞世の句と伝えられている歌に注目してみましょう。

「石川や 浜の真砂まさごは 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」

これは古今和歌集にあるの本歌取り(パロディみたいなもの)と言われています。

オリジナルは以下の句です。

「わが恋は よむとも尽きじ 荒磯海ありそうみの 浜の真砂は よみ尽くすとも」

恋歌をもじって辞世の句にするとは、なかなか皮肉が効いて……じゃない、教養がうかがえますね。

本当に五右衛門が詠んだのかどうか。確かめられないのが残念ですね。

仮に、五右衛門作だったとしても、さすがに釜に入れられてから歌を詠む余裕はなかったでしょうから、判決が下って処刑までの間に、誰かに言い残したかあるいは書き付けが見つかったか。

その場合は「大名家の元家臣」説が信憑性を帯びてきますが、はてさて。

 

秀吉も耄碌もうろくしていた頃だっただけに……

ついでに、こんな処刑方法になったのは当時の豊臣秀吉が耄碌まっしぐらだったと目されていることも少し関係しているようです。

年号から何となく予測がついた方もいるかもしれませんが、誰も得しない朝鮮の役前半戦【文禄の役】最中のことでした。

このときはまだ、一応日本側が勝ってました。

喜ぶのは一部の武家だけで、庶民としては「日本が平和になったのに、なぜ太閤様はわざわざ海を渡って戦をするんやろ。アホちゃうか」と思っていたことは想像に難くありません。

戦となれば、当然、働き盛りの男達は兵として駆り出されてしまい、治安が悪くなるのも自然の流れ。

五右衛門が繰り返した窃盗その他は、この状況を嘲笑うかのようでもありました。

そのため秀吉は、斬首でもその他の極刑でもなく、釜茹でを選んだのではないかということです。

それにしたって残酷過ぎて、噂が広まれば支持率の低下は免れないでしょう。

秀吉の暴走ストッパーだった弟の豊臣秀長はすでに他界していたので、誰も止められなかったんでしょうか。

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【参考】
国史大辞典
戦国人名辞典編集委員会『戦国人名事典』(→amazon
石川五右衛門/Wikipedia

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