ヤングマガジンの人気漫画『センゴク』に登場した明智光秀をご覧になり、その不気味さに驚かれた方は少なくないでしょう。
戦国武将とは思えないほどサイケデリックな出で立ち。
凡人には理解し難い哲学のような言葉。
それでいて戦場へ出ると得意の鉄砲術で敵を倒しまくる――。
『なぜ、あんなに鉄砲が得意なのか?』
と思ったら、その根拠となる記述が『明智軍記』第3話「明智光秀鉄砲誉事付諸国勘合事」にも登場します。
原文を確認されたい方は以下の記事をご覧いただくとして、
◆『明智軍記』現代語訳と原文 第3話「明智光秀鉄砲誉事付諸国勘合事」
本稿では【光秀の鉄砲術】について見てみましょう。
もしかしたら大河ドラマ『麒麟がくる』でもクローズアップされるかもしれません。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
光秀の鉄砲術に驚き実演させた義景
明智光秀の鉄砲術はどれほど凄かったのか?
これには幕末の館林藩士・岡谷繁実も関心を持っていたようで、自著『名将言行録』において次のようにまとめています。
「義景、光秀が加賀一揆の時、鳥銃にて余多(あまた)の敵を打落したるを感じ、其技を一覧すべしとあり」
なんでも「加賀の一揆を鎮圧する際、明智身光秀が銃で敵を倒しまくったことについて、朝倉義景が”一体どんな技なんだ?”と驚いた」というんですね。
確かに戦国大名でしたら、そんな情報を耳にして、放っておけるわけがない。
義景はさっそく光秀に実演をお願いし、約45m離れた的へ弾を100発撃ってみる――という腕前を披露することになるのですが、そういった内容は『明智軍記』第3話でまるまる掲載されています。
併せて見てみましょう。
弓と同じ的を狙って百発百中が……
『明智軍記』第3話、鉄砲の記述部分を少し詳しく見てみましょう。
永禄5年(1558年)9月20日、朝倉軍が加賀の一揆鎮圧に向かいます。
この戦闘は【永禄の一揆】と呼ばれ、明智光秀が大活躍するのですが、その際、多大なる威力を発揮したのが鉄砲でした。
-
-
永禄の一揆で光秀ら明智三人衆が躍進!超わかる明智軍記 第2話前編
続きを見る
光秀は鳥銃(マスケット銃の中国語訳)で多くの敵を撃破――。
その報告を聞いた朝倉義景が「鉄砲が伝来して数十年になるが、そこまで使いこなしている人は珍しい」として感心し、「ぜひ目の前で撃ってみてはくれぬか?」と光秀にお願いしたのです。
居候の身から朝倉家に仕官していた光秀に、それを断ることなどできない……というより自身の腕をアピールできる絶好の機会でしょう。
光秀は、一乗谷の「安養寺」近くの馬場に安土を築き、そこに1尺四方(1辺の長さ約30cmの正方形)の的を置きました。
的の中央には目標となる黒丸が描かれており、射抜けば大成功!
実は「弓」にも使われる的でした。
果たして光秀は、いかほどの成果だったのか?
射撃……スタート!
鉄砲から、的までの距離は25間(約45.5m)です。
光秀はそこで、午前10時から12時までの2時間で100発も発射!
単純計算、1時間で50発ですから、1分に1発ですね。
弾込めなどの準備は、おそらく明智光春や明智光忠に任せ、光秀本人は手渡される銃の引き金を次々にひいていったのでしょう。
実は織田信長も、戦場で最前線に出て、次々に鉄砲を発射した経験があります。
そのときは家臣たちが弾込めなどの準備をしていたことが『信長公記』にも記述されており、同時期の光秀がチャレンジしていたとしても何ら不思議ではありません。
ともかく100発撃って、結果はどうなったか?
※続きは次ページへ