藤田伝吾

絵・小久ヒロ

明智家

藤田伝吾(光秀の腹心)と順慶の関係が明智家の命運を握っていた!?

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極めて良好だった筒井と明智の関係だが

天正(1573-1593年)に入ってからの光秀は、丹波攻めなどで優れた功績を残します。

一方の順慶も明智に従う形で大和を平定。両者の関係は極めて良好だったようで、主従関係にありながら友人に近い仲の良さだったとも伝わります。

残念ながら、伝吾が二人の仲を近づけた具体的なエピソードは残されていませんが、両者の関係が良好であり、伝吾が重臣として光秀に信頼されていることから、取次役として大いに活躍したのは間違いないでしょう。

ただし、その一方で藤田伝吾の軍事的功績は、ほとんどよくわかっていません。

順慶の取次だけを担っていたとは考えられないので、おそらく光秀の丹波攻めなどには従軍していたでしょう。

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一度は敗走させられながら、後に調略で崩して制覇――その働きは織田信長にも認められ、明智光秀は綺羅星の如き織田家臣団の中でも、アタマ一つ抜けている状態でした。

当然ながら明智の重臣らも出世を果たし明智秀満斎藤利三らも城を与えられています。

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もしかしたら藤田伝吾もあと少しで城持ちになれていたかもしれません。

しかし、その時期は永遠にやってきませんでした。

そうです。

他ならぬ明智軍が【本能寺の変】を起こしたからです。

 

光忠を大将とする第二陣の将として襲撃

天正10年(1582年)6月2日――。

光秀は突如として信長に反旗を翻し【本能寺の変】を引き起こしました。

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決行にあたって親しい家臣らには事前に計画を打ち明け、そのうちの一人が藤田伝吾だったとされます。

後世に伝わる伝吾の功績は極めて少ないものの、この点から光秀の信任を得る人物だったことはわかります。

また、記録によっては「明智姓」の名乗りも認められていたと言われています。

本能寺の変での伝吾は、明智光忠を大将とする第二陣の将として襲撃部隊を指揮。信長だけでなく、後継者である織田信忠も自刃に追い込み、ひとまずクーデターを成功させました。

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その後、光秀は自身の勢力を増大させ、来るべき織田家臣団らとの戦に備えようとしました。

そこで最初に目を付けたのが、姻戚関係にあり親交も厚い細川藤孝と、何度も名前が登場している筒井順慶です。

順慶と光秀の関係性については、本能寺直前、順慶が東国に国替えされるという通達が内々にあり、それに反感を抱いた光秀がクーデターを起こした――そう推測されるほど強固なものです。

順慶も当然ながら本能寺の一件についてはすぐに情報をキャッチしており、上京を切り上げて即座に大和へ帰還しました。

間もなく光秀から誘いがあったと推測され、ここで取次を務めたのもやはり藤田伝吾でしょう。

混乱の中、記録は残されておりませんが、明智政権の左右を占う大事な局面で、伝吾ほど妥当な人物はいなかったに違いありません。

 

秀吉か、光秀か 迷う順慶を説得すべし

結論から申しますと、明智光秀は、細川と筒井の二大勢力を味方陣営に引き入れることは叶いませんでした。

特に順慶に関しては、光秀がわざわざ洞ヶ峠まで出向いて彼を迎えようとしたものの、そこにたどり着くことなく兵を返したことが伝説となり、いつしか日和見をすることが

【洞ヶ峠を決め込む】

という故事になるほど有名な一件となります。

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実際のところ、順慶は最後まで光秀と秀吉のどちらに味方するかを迷っていました。

まず、事件からスグに伝吾が筒井のもとへ派遣され、援軍要請を行ったと見られ、4日には順慶の命令で大和衆の一部を応援として光秀のもとへ向かわせます。

この時点では、光秀の味方といえるでしょう。

ところが、です。翌日に援軍が帰国してしまうのです。

順慶は彼らを光秀のもとへ向かわせず、呼び戻してしまいました。

「順慶は織田信孝に味方するのではないか」

そんな噂が洛中で流れる中、順慶は再度、明智への援軍を派遣。がしかし、9日にはまたもや彼らを呼び戻してしまったのです。

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