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サイバー剣豪将軍は鹿島フォースを使うのだ!【戦国浮世絵ANARCHY 2】

クセが凄い現代浮世絵で遊びたい――。

そんな我がままな願望から始めた連載【戦国浮世絵ANARCHY】。

絵師・鞘ェもんさんのご快諾を得て、第一回は「鳥居強右衛門」にクローズアップいたしました。

長篠城のスーパー足軽・強右衛門は鉄骨に磔だ!【戦国浮世絵ANARCHY】

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第二回は剣豪将軍いくで、おりゃあああああああああ!

 

お主も鹿島の太刀か

もうね。
タイミングよく大河ドラマ『麒麟がくる』が放送されたもんだから触れないわけにはいかないっしょ。

2020年2月16日放送に登場した向井理さん。

本能寺から颯爽と現れたかと思ったら、路上でガチな殺仕合を始めた細川藤孝明智光秀に向かって「やめよ」と声をかける。

そのときの台詞がカッコいいのなんの。

「お主(光秀)も“鹿島の太刀”か。同じ流派同士、ここは刀をおさめよ」

くぅうううううううううう!

鹿島の太刀と言えば、現在の茨城県鹿島市を中心に伝えられてきた剣術のことです。

光秀と藤孝、二人の構えをパッと見ただけで流派を当ててしまうのは、向井理さんが演じているのが【剣豪将軍】と呼ばれた足利義輝だから。

剣豪というと、一般的には宮本武蔵だったり佐々木小次郎だったり、あるいは伊藤一刀斎や柳生石舟斎など、『バガボンド』ワールドあたりが広がりがちですが、それ以前から当然存在していたワケです。

特にこの時代の代表的存在だったのが以下の2名。

戦国時代の剣豪ツートップ

名前が地味?

んなこと言ったら、笑ったまま真っ二つに斬られてまっせ。

詳細は卜伝と信綱の各記事に譲りますが(記事末にリンク掲載)、この両者は【兵法三大源流】を修め、その後の兵法家に強く影響を与えた方。

数多くの弟子がいて、例えば上泉信綱の【新陰流】は柳生石舟斎を経て【柳生新陰流】となり、そして塚原卜伝の【鹿島新當流】は、他ならぬこの足利義輝へ伝わったのです。

真偽の程は不明ながら、上泉信綱が伊勢の北畠具教(この方も超絶剣術マニア)を訪れたとき、足利義輝に剣を指南した――という逸話もあり、ともかく足利義輝のガチっぷりがご理解いただけるでしょうか。

しかし……その足利義輝も、最期は壮絶な死を迎えるのでして……。

それは以下のアイキャッチ画像からも推察できたでしょうか。

この先は、大河ドラマのネタバレになってしまって申し訳ないけど、気にせず続けまーす♪

 

二条御所の義輝に襲いかかる三好軍

将軍自ら刀を握って戦う――。

普通、そんなことはあり得ませんし、周囲も許さないでしょう。権力者階級の剣術はあくまで鍛錬が目的であり、武士の心得みたいなものです。

が、時は戦国。
そんな場面が実際にあったのです!

永禄八年(1565年)、京都の二条御所。

細川家や三好家と度重なる権力争いを続けてきた将軍・足利義輝が突如、三好義継らの率いる大軍に襲われるのです。

永禄の変】と呼ばれます。

旧来の戦国ファンにとっては、松永久秀(ドラマでは吉田鋼太郎さん)が襲った――そんなイメージが強いかもしれませんが、最近の研究結果では三好義継らと松永久通(久秀の息子)が中心であり、しかも殺害が目的ではなかったのでは?という見方すら提示されています。

殺害でなかったら何なの?
というと、三好勢は【御所巻】をしたのではないか?と指摘されているのです。

御所巻とは、大名が将軍に対して要求を押し付けることで、詳細は不明ながら京都の政務をめぐる権力争いあたりではないでしょうか。

※詳しくは記事末リンクの松永久秀記事でご確認を

 

襲い掛かってくる敵を斬っては刀を取り換え

いずれにせよ!

大軍に襲われ絶体絶命の足利義輝。

そのとき彼は、足利家に伝わる伝家の宝刀を畳へぶっ刺しておき、襲い掛かってくる敵を斬っては刀を取り換え、次々に切り倒していったというのです。

今回、鞘ェもんさんに頼んだのはまさにそのシーン。それがこちらだぁああああああ!

ジェダイじゃないよ!
ヨシテルだよ!

でも、フォースは持っていそうですよね……そう、これぞ鹿島フォースや!!!

と、度々鼻息が荒くなって申し訳ありませんが、まさか永禄の変がこれほどサイバーと相性良いとは想像もつきませんでした。

鞘ェもんセンスの賜物です。

斃れている人の血がまるでプレデターのような色をしているし、なにより後ろの扉も素敵じゃないですかー。

まるでBANDAI SPIRITSオフィスのようなキラキラ感! 通常の文字色は水色ベースの光なのでしょう。それが乱の発生に伴いオレンジ系の文字で【異常事態発生】というアラートが発せられる。

「家人に気づきにくかった警報もこのとおり、ひと目でわかる色彩となりました」とビフォー・アフターのように解説したくなりますが、今後もこんな感じで進めていきたいと思います。

なお、この刀を畳にぶっ刺し取っ換え引っ換え戦った――というのは江戸時代日本外史』(著:頼山陽)の創作だと見られておりますが、ルイス・フロイス『日本史』には「薙刀や刀を持って応戦した」という記述があり、激しい戦いを演じたのは間違いないと思われます。

さて、次回以降ですが……。
今んとこ決まっているのが桶狭間の戦い本能寺の変。来週以降もお楽しみに!

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絵・鞘ェもん(ツイッターサイト
文・五十嵐利休

【参考】
国史大辞典
『室町幕府全将軍・管領列伝 (星海社新書)』(→amazon

 



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