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浅井・朝倉家

浅井万福丸(信長を裏切った長政の息子)に襲いかかる過酷な処置は当たり前?

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世界史も皆殺しがデフォだった

世界史でも「かつて王様になった人間は自分の親兄弟を含めた血縁者を皆殺しにするのが当たり前だった」なんて時代もあります。

だいたい中世くらいの話です。

ヨーロッパでの記録が多いですが、オスマン帝国でもだいたい同じようなことをやってましたので、一時期においては”世界の常識”レベルの話でした。

こういうことを知ると、現代の庶民に生まれて良かったと思いますね。

信長は自分が織田家を継ぐときにもさんざん苦労していますし、家中の統一でも手こずっておりますので、この手の”戦後処理”を徹底しています。

信長が尾張統一に費やした14年間~1552年から1565年までの軌跡【年表付】

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それでも一度きちんと謝ってきた相手は許したり、血縁者やお気に入りには相当甘いんですけどね。

松永久秀はどっちなんだって?

使える人だったから勘弁していたのでしょう。

なにより松永久秀は、最近の研究で人物像がかなり変わってきており、武人としても文化人としても相当デキるタイプだったと目されております。ゆえに、信長は二度目の裏切り後も信長は許そうとしていたぐらいです。

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岐阜を追い出された龍興は何度かの激突の末に……

面白いところでは斎藤龍興でしょうか。

岐阜を追い出された後、何度も信長へ仕掛けて、そして尽く跳ね返されています。

結局、朝倉義景を頼り、同家が滅亡するタイミングの【刀根坂の戦い】で討ち死にしました。

この辺、漫画『センゴク』でも非常に面白く描かれておりましたね。

斎藤龍興(道三の孫)が信長に敗北! 国を追われてネチネチ攻撃やり返す

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浅井家については、三姉妹を助けて血筋だけでも残したあたりが粋な計らいとも取れます。

代々武士の家に生まれたからこそ、血が続くだけでも充分な栄誉であることがわかっていたのでしょう。

皆殺しにすると周辺から余計反発を招く――そう考えたからかもしれませんけども、こういう清濁併せ呑むというか臨機応変なところもまた織田信長の魅力ではないでしょうか。

結論:NOBUさん、カッコエエ!

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
戦国大名系譜人名事典 西国編(新人物往来社)』(→amazon
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon
浅井万福丸/wikipedia

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