安芸城

長宗我部家 れきしクン

戦国四国覇者のライバル・安芸国虎~元親を追い込みながら自害で果てるまで

どうも、こんにちは!
「れきしクン」こと長谷川ヨシテルと申します。

第11回目を迎える当連載。
「全国的には知られてないけど、ある地域ではバツグンの知名度を誇る戦国武将」というテーマでお送りしております。

過去にピックアップした“マイナーご当地武将”たちは、こんな感じ。

今回ご紹介するのは、レペゼン高知県安芸市の「安芸国虎(あき くにとら)」さんです!

 

安芸国虎 高知県安芸市で絶大な支持!

とにかく名前がめちゃくちゃカッコいい!

「安藝國虎」と書くこともあり、この時点で「あ〜知ってる知ってる」という方は、おそらく高知出身か『信長の野望』プレイヤーでしょう。

ということで『信長の野望』(シリーズは私が一番ハマった『革新』)から、安芸国虎さんの能力データを引用したいと思います。

コチラです!

【信長の野望 革新】

安芸国虎データ

統率64
武勇68
知略32
政治42

うーーーーむ、弱い……(笑)。

しかし、です!
地元の安芸市では絶大な支持を得ています。

実は昨年2019年は、安芸国虎さんの没後450年にあたり、安芸市立歴史民俗資料館では『安藝國虎没後450年記念展』を開催。

地元の高知新聞でも“安芸の英雄”として取り上げられました。

また、安芸市にある超有名なうどん屋さん(なんとパリに支店も!)の名は「国虎屋」です。由来はもちろん安芸国虎さんですね。

手打ち麺と特製味噌ベースの出汁に、ゴボウやニラや豚肉が合わせられた力強いうどんだそうで。その力強さのイメージとなったのも、そう、 安芸国虎さんなのです!

同じく安芸市観光協会サイトより引用/ちなみにアッシが安芸市を訪れた時は、営業時間外だったため食べられず……orz

地元では、とにかく人気抜群。かつては「国虎祭り」が行われ、安芸国虎さん扮する武者行列も実施されただけでなく、昨年の特別展では『安芸国虎450回忌 人形劇 国虎物語』まで開催されました。

なんとも愛されているご当地武将ではありませんか。

そんな安芸市が誇る……あ、今更ながら安芸市ってどの辺にあるかご存知でしょうか?(笑)

野球が好きな方、特に阪神タイガースが好きな方は、春と秋にファーム(二軍)のキャンプが安芸タイガース球場で行われているので見慣れているかもしれません。

高知龍馬空港から東に約20km、高知駅からは東に約35kmの辺り……って、地図をご覧いただいた方が早いですね。

こうして高知県の地図を見ると、おそらく戦国ファンの皆様はあの方を思い浮かべましょう。

長宗我部元親ちょうそかべもとちか――。

岡豊城おこうじょう(南国市)や浦戸城うらど(高知市)を拠点として四国統一を成し遂げた人物です(遂げてない説も)。

長宗我部元親61年の生涯まとめ! 一代王国が夢と散るまで【四国戦国譚】

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安芸国虎さんは、この四国が誇る名将“長宗我部元親の最大のライバル”であり、長宗我部家から安芸を守るために戦い、家臣や領民のために散ったと伝わるお方であります。

それでは安芸国虎さんの人生に迫って行きましょう!

 

「土佐七雄」とは?

土佐国とさのくに戦国大名というと長宗我部家がダントツ有名。

しかし元親が天正3年(1575年)に四国を統一するまでは群雄割拠であり、大きな勢力が7つありました。

「土佐七雄」と称され、そのメンバーは次の通りです。

土佐七雄ザックリ勢力図 (wiki画像を編集)

赤字:長宗我部家に攻められ滅亡した勢力
青字:長宗我部家に飲み込まれた勢力

以下に「土佐七雄」の概略を掲載させていただきますね。

ちょっと長くなりますので、飛ばし読みされれても大丈夫です!

長宗我部家

領地:長岡郡3,000貫

長宗我部兼序ちょうそかべかねつぐ(元親の祖父)が永正5年(1508年)に本山家・大平家・吉良家・山田家に岡豊城を攻められ滅亡。

一条家に落ち延びた息子の長宗我部国親ちょうそかべくにちか(元親の父)が後に岡豊城に復帰して勢力を伸ばし、長宗我部元親が土佐国を統一する。

○系譜メモ:長宗我部兼序―国親―元親

香宗我部こうそかべ

領地:香美かみ郡4,000貫

大永6年(1526年)に東の安芸家に攻められ大敗。
西の長宗我部家からも圧力を受けたため、弘治4年(1558年)に香宗我部親泰こうそかべちかやす(長宗我部国親の三男・元親の弟)が養子に入り、長宗我部家に飲み込まれる。

※香宗我部家の代わりに香美郡の「山田家」(香宗我部家の親戚)を入れる場合も

大平家

領地:高岡郡4,000貫

天文15年(1546年)に一条家に蓮池はすいけ城(土佐市)を攻め落とされる。

小領地を与えられていたものの、謀反を疑われ永禄9年(1566年)に再び一条家に攻められ滅亡した。

吉良きら

領地:吾川あがわ郡5,000貫
天文9年(1540年)に本山茂宗もとやましげむねに攻められ滅亡。永禄6年(1563年)に吉良親貞きらちかさだ(長宗我部国親の次男・元親の弟)が養子として復興する。

長宗我部家に飲み込まれた。

津野家

領地:高岡郡5,000貫
長宗我部家に対抗するが、長宗我部家への従属を勧める家臣たちにより当主(津野定勝)が追放され、従属化。

後に長宗我部元親の三男(津野親忠つのちかただ)が養子に入り、飲み込まれる。

本山家

安芸国虎さんと同じくアンチ長宗我部家!

本山茂宗の代にピークを迎えるが、本山茂辰もとやましげとき(茂宗の子)が永禄3年(1560年)【長浜の戦い】で長宗我部国親・元親の親子に大敗する。

大劣勢の中、本山茂辰は4年後に病死。跡を継いだ本山貞茂もとやまさだしげは滅亡寸前となり、元亀2年(1571年)に降伏した。長宗我部元親に従属して一字をもらい「本山親茂もとやまちかしげ」と改名する。

【系譜メモ】本山茂宗―茂辰―貞茂(親茂)

安芸家

領地:安芸郡5,000貫

安芸国虎さんの代にピークを迎える。

アンチ長宗我部家の代表的存在として長宗我部元親と戦う。詳しくはこの後!

以上、土佐七雄の上には、リーダー的立ち位置で別格の「一条家」もいました。

この一条家は特殊な存在で、元々は京都にいた一条教房いちじょうのりふさという元関白が、応仁元年(1467年)に始まった【応仁の乱】から逃れるため、土佐国にあった領地の幡多荘はたのしょう(四万十市)に下向したことがスタートとされる大名家です。

つまり公家から戦国大名化したんですね。非常に珍しい一族であり、領地も16,000貫と別格でした。

【四国戦国譚】なぜ名門一条家は土佐に下向した?初代教房から七代政親で滅亡

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中村御所(一条家の本拠地:高知県四万十市) の後には、現在一條神社が建っている/本社拝殿と天神社/photo by Saigen Jiro wikipediaより引用

 

ご先祖様はあの蘇我氏!?

飛ばし読みされた皆さま、お帰りなさいませ。

とりあえず土佐七雄については、安芸国虎さんの時代に土佐国でブイブイ言わしていたのが「一条家」「長宗我部家」「本山家」そして「安芸家」だと思っておいてください。

さて、今回の主人公・安芸国虎さんは享禄3年(1530年)に生まれたと言われています。タメには上杉謙信や大友宗麟などがおりますね。

安芸家の家系はスタートがよく分かっておらず、諸説あり、一説には蘇我赤兄そがのあかえが家祖ともされています。

蘇我氏といえば?
皇極天皇4年(645年)の【乙巳の変いっしの変】で中大兄皇子なかのおおえのおうじ(後の天智天皇)と中臣鎌足なかとみのかまたりのクーデターにより、滅亡した一族というイメージが強いかと思います。

しかし、滅ぼされたのは、あくまで蘇我蝦夷そがのえみし蘇我入鹿そがのいるかの親子であり、実はクーデター側についた蘇我氏もいました。

蘇我倉山田石川麻呂そがのくらやまだのいしかわまろといいます。名前、長っ!(笑)

乙巳の変が描かれた『多武峰縁起絵巻』/wikipediaより引用

ちなみに、乙巳の変で蘇我入鹿を討ち取った実行犯・佐伯子麻呂さえきのこまろについては、拙著『あの方を斬ったの…それがしです』(→amazon)でまとめております。

ぜひお手にお取りくださいませ!(すいません、宣伝です・笑)

話を戻します。
安芸国虎さんの家祖とされる蘇我赤兄は、蘇我倉山田石川麻呂の弟でした。

赤兄は、兄がクーデターに協力したこともあり天智天皇の重臣となるも、その天皇が亡くなった天武天皇元年(672年)に、皇位継承争い【壬申の乱じんしんのらん】が勃発。

蘇我赤兄は大友皇子おおとものみこ(天智天皇の子)に味方をし、敵方である大海人皇子おおあまのみこ(天智天皇の弟)に敗北しました。敗者の蘇我赤兄は、死は免れるものの配流となってしまいます。

この配流先が詳細不明でして……伝承の1つとして挙げられるのが、古代から配流先の定番だった土佐国なんです。

そして、その末裔(?)というのが安芸国虎さん!

いやぁ、長くなりましたが、話を安芸国虎さんの時代へぶっ飛びましょう。

 

名門の管領・細川家や一条家との深い繋がり

安芸家は、室町時代後半からグーンと力を伸ばしていきます。

まず安芸国虎さんの父・安芸元泰あきもとやすが大永6年(1526年)、隣接する香美郡の香宗我部家を攻撃。西に勢力を拡大していきました。

跡を継いだ安芸国虎さんは、歴代安芸家の当主と同じく室町幕府の管領かんれい・細川家からへんき(名の一字)である「国」を貰います。

当時の管領は細川高国ほそかわたかくに
歴史好きには“魔法使いになりたかった男”としてお馴染み細川政元の養子で、第10代将軍・足利義稙あしかがよしたね(別名「足利義材あしかがよしき」)を擁立した実質的な天下人でもあります。

高国は、対立した三好之長みよしゆきなが(大河ドラマ『麒麟がくる』で話題の三好長慶みよしながよしの曽祖父)を死に追い込むものの、逆にその孫・三好元長(長慶の父)に攻められて自刃しています。

将軍擁立にまつわる室町時代の権力争い、詳しくは『ヘッポコ征夷大将軍』(→amazon)で!

宣伝ばかりでダメですね、こりゃ(笑)。

ともかく安芸国虎さんと繋がりのあった権力者は細川高国だけではありません。土佐国の盟主である一条家とも強い繋がりを持ちました。土佐湾を挟んだ西の一条家から正室(名は「峰子」とも・一瞬感じるルパン三世感)を迎え、名門の親戚となったのです。

これにより安芸家の存在感はぐぐーんとアップ!

父の代で香美郡を支配下に置いていたため、新たに領地を接した長宗我部元親が敵となります。

ちなみに、長宗我部元親は天文8年(1539年)生まれなので、安芸国虎さんの9歳年下。両者は永禄年間(1558〜1570年)のはじめ頃(1560年前後?)、初めて本格的なご近所トラブルへと発展していくのでした。

 

岡豊城に攻め込み落城寸前まで追い込むが……

土佐国に夜須やす(香南市)という地域があります。

この地域は安芸国虎さんが支配していたのですが、長宗我部元親が侵攻して重臣の吉田重俊(幕末の土佐藩士・吉田東洋はその末裔!)を派遣していました。

安芸国虎さんは、これを奪還しようと画策。長宗我部家と一触即発の緊張関係となります。

そして両者が激突したのが1563年(永禄6年)のことでした。口火を切ったのは長宗我部……。
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