こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【竹ヶ鼻城の水攻め】
をクリックお願いします。
一夜堤
◆一般的に秀吉の水攻めって備中高松城だけが知られており、その後、和田竜さんの『のぼうの城』で忍城も一気に有名になりました。
しかし、水攻めは他にもあり、こちらの竹ヶ鼻城に続き、1585年には紀伊(和歌山県)の太田城でも実施。
雑賀衆や太田左近の矜持~紀州征伐を強行する信長と秀吉に徹底抗戦だ
続きを見る
敵の首を真綿で締めるように……しかも味方が死なないという戦法は実利が大きく、経済感覚に長けた人物にとっては色々なメリットを感じられたのでしょう。
木曽川出身の川並衆・蜂須賀小六は、ここぞとばかりに頑張った気がします。
竹ヶ鼻城の水攻め
◆実際は不明ながら、ジリジリと大きな展開のない合戦だっただけに、意外とこんな話がマジであったのかもしれませんね。
にしても加藤清正と福島正則の二人は、頼りになるんだかならないんだか……。
加藤清正ならば秀吉亡き後の豊臣を救えたか?子飼い大名49年の生涯
続きを見る
福島正則は秀吉子飼いの武将なのに~徳川政権で転封改易の悲劇を辿る
続きを見る
あわせて読みたい関連記事
小牧・長久手の戦いは秀吉vs家康の総力戦!一体どんな合戦だった?
続きを見る
徳川家康はなぜ天下人になれたのか?人質時代から荒波に揉まれた生涯75年
続きを見る
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ
続きを見る
豊臣秀次(秀吉の甥)はなぜ自害へ追い込まれ殺生関白と呼ばれたか?
続きを見る
鬼武蔵と呼ばれた森長可~信長お気に入り蘭丸の兄は戦国無双の暴れん坊だった
続きを見る
長宗我部元親は戦乱の四国をどう統一した?失意に終わった61年の生涯
続きを見る
細川藤孝(幽斎)は文武芸術に通じた光秀の盟友~しかし本能寺後は
続きを見る
明智の妻を偏愛した細川忠興~名門武家 狂気の御曹司83年の生涯とは
続きを見る
史実の明智光秀は本当にドラマのような生涯を駆け抜けたのか?
続きを見る
雑賀衆や太田左近の矜持~紀州征伐を強行する信長と秀吉に徹底抗戦だ
続きを見る
著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!