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【まんが戦国ブギウギ103話】
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秀吉襲撃事件
◆遅れた和睦に納得できなかった島津歳久は、なんと秀吉の襲撃事件を敢行し、そして失敗します。
秀吉には事前に情報が流れていたようで、この段階ですでに大きな実力差があるってことがわからないワケじゃないんでしょうけど、それが武士の意地ってやつでしょうか。
薩摩のサムライって、何か他のエリアの武士たちと違うイメージがありますよねぇ。
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家久死す
◆【沖田畷の戦い】で龍造寺をぶっ倒し、さらには豊臣軍の仙石秀久・長宗我部元親・長宗我部信親を追いやったのが島津家久です。
その最期は、あまりに呆気無く、しかも戰場ではありませんでした。
もともと四兄弟の中では母親が異なり、出自(母の身分が低かった)を補うかのように武芸・軍学の鍛錬は欠かさず、凄まじくストイックな一面が垣間見えますので、ストレスもきつかったんではなかろうか、と。
それが切腹へと向かったか、あるいは病死だったのか。
いずれにせよ息子の豊久は、後に、義弘の【島津の退き口】で大活躍し、島津の血の強さをあらためて天下に知らしめるのでした。
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著者:アニィたかはし
文:五十嵐利休
書籍版『戦国ブギウギ』です!