戦国武将に限らず歴史上の有名な人物は、やはり大河ドラマをきっかけに知られることが多いですよね。
今回の主役は、その代表ともいえるあの人。
寛永十三年(1636年)5月24日に70歳で亡くなった伊達政宗です。
ちなみに誕生日は8月3日で、その生涯については以下の記事にバッチリまとめられておりますので、よろしければご覧ください。
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伊達政宗のド派手な逸話はどこまでマジ? 史実で振り返る生涯70年が面白い!
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本稿では、ちょっと変わったアプローチをしてみたいと思います。
大河ドラマ以前はマイナーキャラだった!?
今でこそ戦国系のゲームや漫画でひっぱりだこの政宗さん。
しかし、意外や意外、大河ドラマ『独眼竜政宗』で取り上げられるまでは、ほとんど認知されてなかったみたいですね。
渡辺謙さんの名演技もさることながら、波乱万丈としか言いようのない生涯や度胸の良さ、その他諸々のエピソードですっかりファンになってしまったという人が多かったのでしょう。
一説には、大河の前と後で東北新幹線の乗客数が倍増したとかしなかったとか。真偽は不明ですが、それぐらいの影響力だったということですよね、すげえ。
未だに全国の自治体が大河を誘致するのも、こうしたイメージがあるからかもしれません。
まぁ、最近は期待に反して関連施設やイベントがふるわなかった年もあるようですが……。
ともかく、今回は政宗さんの生涯ではなく、由来する事物に注目したいと思います。
ずんだもち……政宗果汁1%未満
今も仙台名物の代表選手。枝豆でつくったあんをのせたお餅のことですね。
やたら鮮やかな黄緑色で「甘い枝豆ってナニよ!?」ということで、見慣れないとなかなか手を出しにくい感もありますが、一度食べてハマったという方は多いのではないでしょうか。
私もその一人です。
由来にはいろいろ説があるのですが、その一つに「伊達政宗が陣中(戦で布陣している最中)に、枝豆を太刀で潰して餅にのせたのが始まり」というものがあります。
陣中に砂糖があったのかという点も気にかかるものの、もしかしたら江戸時代になってから砂糖がプラスされたのかもしれませんし。
名前の由来も”陣太刀がなまって「ずんだ」になった”とか、”豆(ず)を打ったから「豆打」→ずんだになった”とかいろいろいわれていて、これといった定説はないようです。
と、ここまで書いておいてなんですが、当サイトにも寄稿している作家・恵美嘉樹さんが「仙台すずめ踊りが伊達政宗に由来にするなんて真っ赤なウソぴょ~ん」の中で答えを書かれておりました。
仙台のお土産の定番の一つ「ずんだ餅」。
なんでもある情報誌に「寛永11(1634)年に領内巡視をしていた政宗に、家臣が差し上げたところ、政宗が気にいった」というストーリーで説明されていたそうです。
ところが、寛永11年には、政宗は京都に上洛しているので、領内巡視できるはずはないし、そうした史料は同業者(歴史研究者)の誰も見たことも聞いたこともないそうです。
おわた……。政宗果汁1%未満ですね。
伊達巻……政宗果汁20%
お正月のおせちに入っている黄色いアレです。
こちらは「政宗が好きな料理だったから」という説と、「政宗のようにド派手だから」伊達巻と呼んだ説があります。
私見ですが、後者の場合は朝鮮出兵で諸将が兵を連れて上京した際の出来事が関係しているかもしれません。
このとき、政宗は自分の兵にキンキラキンの武装をさせ、豊臣秀吉好みの豪華絢爛な趣向で並み居る大名を驚かせました。
伊達巻の切り口も黄金といっていいほどの真っ黄色ですから、少なからず影響はあるんじゃないでしょうかね。
食べ物ネタが多いのは、政宗が料理好きだったという理由もあると思われます。
晩年にもてなしの心がうんたらという教訓を残している他、「お母さんに毒殺されかけて神経質になったんじゃね?」なんて説もあったりして世知辛いものです。
しかしずんだもちも伊達巻も甘いもの=当時の贅沢品=殿様らしいというかなんというか。
ちなみに、仙台名物の食べ物としては牛タンも有名ですが、こちらは政宗とは関係ありませんね。
戦後の食糧難の時期に「焼いてみたら美味かった」という理由で広まったものだそうです。
明治時代まで、日本には肉を食べる習慣があまりなかったですし。当時牛を食べていたら、それはそれでまた何か別の料理を生み出していたかもしれませんね。
これは政宗果汁80%は認定いけるか???
えっ、なになに?
「食べ物の伊達巻は着物の小物の一つ伊達巻に似ているのでこの名がついた。かまぼこには卵白だけを使うため、残った卵黄の利用法として考えられたものという」(日本大百科全集)
ガクガク、着物の小物の伊達巻が政宗由来かもしれん!!!
……20%にしておこう。
……いや、それ以下か。
もう食べ物はやめてそれ以外でもう一つ行きましょう。
伊達男(伊達者)……政宗果汁0.1%未満
今はあんまり言われなくなった気もしますが、「身なりも行動もカッコイイ男性」のことを
「伊達男(だておとこ)」
「伊達者(だてしゃ・だてもの)」
と言います。
平たく言えば、心身ともにイケメンという意味ですね。
あの有名な三日月の兜や、彼がデザインしたといわれる陣羽織などは現代の基準でもカッコイイ。
多趣味で諸々のセンスにも長けていた政宗は、今で言うなら「料理好きのチョイ悪オヤジ」ってところでしょうか。
政宗の場合、首も国も吹っ飛びそうなことを何回もやってますけどね。
まぁ、それでも切り抜けちゃうあたりがまたスゴイ人であり「運も実力のうち」といいますし、これはさすがに政宗100%でしょう!
と思ったら、本サイトの伊達政宗マトメ記事で、こんな風に記されておりました。
この言葉自体は政宗以前にもあるのです。
ただし、「田舎者とは思えないほどセンスいい物を持ってるじゃん」と他の大名に褒められたこともあります。朝鮮出兵前のパレードがかなり話題になり、京都の人々が大騒ぎして見物したのは事実です。現存する政宗の武具もセンスのよいものばかりです。
しかし、このときのド派手ファッションを秀吉に気に入られ、渡海せずに済んだ――というのは史実ではありません。
政宗は渡海しております。
しかも「やったー、朝鮮に渡ったぞ、頑張るぞ!」と浮かれている強烈な好奇心の持ち主です。
伊達政宗のド派手な逸話はどこまでマジ? 史実で振り返る生涯70年が面白い!
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あららららorz
まぁまぁ。それだけ政宗が人気者だってことでいいじゃないですか。
他にも政宗については色々とエピソードがあります。
以下の記事に、史実の正誤表がありますので、よろしければご覧ください。他にも伊達家関連の記事も掲載しておきました。
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長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
伊達政宗/武将ジャパン
ずんだ/wikipedia
伊達巻/wikipedia
伊達男/wikipedia