こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【伊達秀宗(政宗の長男)】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
カリスマ父から離れて自由になったのにウザイお目付け役が
普通こういう時って後継者問題から発展することが多いんですが、このときは【家臣vs家臣】の対立で、主君の家に火がつくという誰得な展開でした。
なんと、父親が付けたお目付け役の重臣が殺されてしまったのです。
しかも大名になったばかりの秀宗。
【報告・連絡・相談】のいわゆる【ほうれんそう】があまりよくわかっていなかったのか無視したのか、死人が出てるのに幕府にも父親にもこれを知らせませんでした。
当然、政宗はブチキレて
「あいつもう勘当しますんで、領地を取り上げていただいて結構です!!」
と幕府に申し入れてしまいます。
まぁ、ちょっと落ち着こーぜ、トーチャン。
ここで運よく仲裁が入りました。ときの老中・土井利勝です。
-
土井利勝は家康の隠し子?参勤交代や寛永通宝など江戸時代の基盤を作る
続きを見る
「まあまあ二人とも落ち着きなさいよ。言いたいこと溜まってるからこうなったんでしょ? 一回顔を合わせて話せばわかるって」(※イメージです)
そう諭された親子は頭を冷やし、助言通りに直接話し合うことにしました。
息子の怒り爆発! それを受け止める父・政宗 エエ話や
秀宗は、これまで父に抱いていた不満を全部ぶちまけます。
ずっと人質生活に耐えてきたのに家督を継がせてもらえなかったこと。
独立したのに家臣の一部が政宗の言いなりで秀宗にケチをつけてくることなど。
「はっきり言って恨んでます」と伝えたのです。
ドラマだったらここで刃傷沙汰になってもおかしくなさそうな展開ですが、そこは秀吉や家康の嫌がらせをやり過ごしてきた(たまに悪戯もした)政宗ですから、子供に不満をぶつけられたからといってキレることはありません。
「そりゃそうだよな。トーチャンも悪かったよ(´・ω・`)」(※イメージです)
ということで、この親子ゲンカは無事丸く収まります。
その後スッキリした秀宗は藩政に力を注ぎ、名君と称えられるようになりました。
幕末の宇和島藩主(伊達宗城・むねなり)などがより有能だったため、どうしてもそっちの方が目立ってしまいますが、政宗譲りの肝の据わりようや、年貢制度の整備などの働き振りが伝えられています。
-
政宗の子孫が幕末四賢侯に!伊達宗城(宇和島藩主)って何をした人?
続きを見る
ともかく話し合いがよかったのでしょう。
政宗とは、以前よりも率直な手紙をやり取りできるようになったようです。
特に和歌に関するものが多く、「和歌はある程度早く詠めないと、人前で恥をかくぞ」とか「この前の歌は良かった。ここをこうしたらもっと良くなるぞ」とか、和やかな雰囲気が漂っています。
とはいえやはり支藩・分家扱いは本意ではなかったようで。
政宗の死後・二代目・伊達忠宗の代には「家光の御前に出るとき、忠宗の上座に座った」なんてエピソードも残ってたりするんですが。
これが原因でトラブルになった記録もないので、おそらく忠宗も「兄上はいろいろあったから仕方ない」と思っていたんでしょうね。

絵・小久ヒロ
忠宗は忠宗で、父親が隠居しないまま危篤になっちゃってハラハラしたり、凄まじく苦労してますが。こちらもエエ人や。
-
政宗の嫡男・伊達忠宗はデキる息子?仙台藩二代目の知られざる功績
続きを見る
愛媛の郷土料理「じゃこ天」に秘められた親子の思い
ところで愛媛県には「じゃこ天」という郷土料理があります。
魚の頭と内臓を取り、皮・骨ごとすり潰して形を整え、油で揚げたものです。
日本各地にもありますが、愛媛のそれは「初代藩主・秀宗が仙台を偲んで作らせた」といわれています。
上記の通り秀宗の前半生はほとんど人質でしたし、それが終わって間もなく宇和島に来ていますので、仙台に行ったことがあるかどうかはアヤシイ=こじつけの予感大ですが。
でも、そういうこじつけができるということは、秀宗が父親に似て料理好きだったか(政宗は家臣に料理をふるまったことでも知られます)、食にある程度うるさかったかのどっちか、あるいは両方だった可能性がありますよね。
-
日本人が意外と知らない和食の歴史~戦国武将は包丁握り紫式部は鰯好き
続きを見る
そして少なくとも、存命中は領民から慕われていたのではないでしょうか。

宇和島城
上記の上座云々の件といい、この辺を見ると「やっぱり似たもの親子じゃんw」と微笑ましい気分になります。
もっと早く腹を割って話せていれば、また違った関係になっていたんでしょうねぇ。
じゃこ天は、地元以外でも、新橋にある愛媛・香川のアンテナショップで食べられるそうなので、お近くの方はお試しになるのもいいかもしれません。
私もそのうち行ってみたいと思います。
あー、でも、鯛めし(こっちも宇和島名物)と迷いますね、じゅるるるるる。
あわせて読みたい関連記事
-
史実の伊達政宗 ド派手な逸話はどこまで本当?生涯70年の検証まとめ
続きを見る
-
政宗の正妻・愛姫(陽徳院)が背負った名門の重責~坂上田村麻呂の家
続きを見る
-
政宗の嫡男・伊達忠宗はデキる息子?仙台藩二代目の知られざる功績
続きを見る
-
独眼竜を躍進させた猛将・伊達成実の生涯~伊達家を出奔したことも
続きを見る
-
政宗の参謀・片倉小十郎景綱は冷徹苛烈な武将?59年の生涯まとめ
続きを見る
-
政宗の母で義光の妹「義姫」は優秀なネゴシエーター 毒殺話はウソ
続きを見る
-
最上義光(政宗の伯父)は東北随一の名将!誤解されがちな鮭様の実力
続きを見る
長月七紀・記
【参考】
佐藤憲一『素顔の伊達政宗~「筆まめ」戦国大名の生き様 (歴史新書)』(→amazon)
小和田哲男『戦国武将の手紙を読む―浮かびあがる人間模様 (中公新書)』(→amazon)
伊達秀宗/wikipedia
じゃこ天/wikipedia
せとうち旬彩館(→link)