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【政宗ファッション】
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小姓のファッションチェックも怠らない
若い頃は奇抜なファッションを楽しんだ人が、歳をとると若者のファッションセンスをけなす、ということは現在もあります。
政宗も例外ではありません。
「最近の小姓どもの髪型、ありゃなんだ? “ぶたがみ”とかなんとかいうやつらしいが、何がいいのか私にはサッパリ理解できん。それぞれの配下の小姓どもに聞き出し、返答を五日以内に報告しなさい」
そんな書状を、小姓頭に送りました。
“ぶた髪”というのは、髪の毛をゆるくルーズに結ったスタイルのようです。
宮城県の方言で“ふだ”というのは、「たっぷりした、豊かな」という意味。
それを豚(ぶた)とわざと言い換えて、「あの豚みたいなだぶだぶヘアー」のようなニュアンスを持たせているのでしょう。
若い頃はやんちゃをしていたのに、自分が年長になると若者のだらしないファッションにダメ出しをしていたわけです。
政宗は小姓の行儀や作法を厳しくチェックする傾向があったそうですが、彼なりのこだわりがあったのでしょう。
水玉模様陣羽織は政宗じゃないかも?
伊達政宗は、お洒落伝説が流布されすぎていて、彼由来ではないものもそうであるとされることがあります。
例えば「伊達者」という言葉は、
【派手な格好をした伊達政宗とその家臣が由来】
という説もありますが、それ以前から用いられていて、実は語源ではありません。
ポップでカラフルな「紫羅背板地五色水玉文様陣羽織」は、近年どうも政宗以降の時代のものらしい、という説が出てきました。
仙台市の各所や施設でもこの水玉デザインは使われています。
政宗自身が用いていなくとも、伊達家の人が使ったものなので、これはギリセーフといったところでしょうか。
ちょっとグレーゾーンになる場合は、「政宗モチーフ」グッズでの使用にすればOKでしょう。
史実では着用していない眼帯がセーフなら、水玉もありという気がします。
平成の世にも生きる伊達伝説
後世の伝説やメディアの影響はあったものの、確実に政宗のセンスだと断言できる服飾品からもその洗練性がわかる。それが政宗です。
そんな政宗のファッションセンスは、今でも宮城県民と仙台市民、そして政宗ファンの誇りです。
ちなみに、「仙台刈り」という新たなヘアスタイルが局地的な人気なんだとか。
“仙台藩祖伊達政宗公の兜をヒントに、フロントはアシンメトリー、後頭部は震災に打ち勝つというヴィクトリーのV、サイドは刈り上げたスタイル”
だそうです。
ちょっと想像がつかないと思いますので、是非この動画や、画像検索をしてご確認いただければ。
生誕から四世紀を経ても、現在のヘアスタイルにまで影響を与える伊達政宗。
まさに戦国一のファッションリーダーにふさわしい人物と言えるのではないでしょうか。
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文:小檜山青
※著者の関連noteはこちらから!(→link)
【参考文献】
仙台市博物館『特別展伊達政宗生誕450周年記念図録』
佐藤憲一『伊達政宗の手紙』(→amazon)