絵・小久ヒロ

今川家

【戦国愚将伝】薩埵峠の戦いで部下に裏切られた氏真は本当に無能なのか?

投稿日:

永禄十一年(1568年)12月12日、今川家と武田家による「薩埵峠の戦い」がありました。

この戦いは、桶狭間で今川義元が斃れた後の同家を知る上でポイントになる戦です。

実際にはろくに戦ってないんですけど……ともかく戦局を見て参りましょう!

 

すでに氏真に家督を譲っていた!?

一昔前までの今川と言えば【桶狭間の戦い】が起きた頃まで、当主は今川義元と思われていました。

桶狭間の戦い 信長は奇襲していない!戦国初心者も超わかる信長公記36話

今 ...

続きを見る

しかし、最近の研究ではその時期には既に嫡子・今川氏真に家督を譲っていたという説が有力です。
つまり【桶狭間で当主がいきなり殺されちゃって、今川家もバタンキュー】というような、なし崩しな展開ではなかったということになります。

また、
『今川家が滅びたのは氏真が蹴鞠ばっかりやってるアホだったからだ』
と思われがちですが、氏真は決して政治・外交・合戦のことを疎かにしていた愚人ではありませんでした。

父が亡くなり動揺する家臣団をとりまとめ、領国の支配強化に注力。
経済観念も悪くなく、祖母・寿桂尼の助力もありながらですが、無難にこなしていた模様です。

大河ドラマ『おんな城主 直虎』でも、途中から腹を据えて大名としての仕事に取り組む姿勢が描かれておりました。

ただ、やはり運が悪かったとしかいいようがないのでしょう。
当時、敵対したのが武田信玄と松平元康(以下、徳川家康)のダブルコンボという、もはやいじめレベルだったわけで、彼は彼なりにきちんと情勢を理解して戦おうとしているのです。

 

甲相駿三国同盟を破棄した信玄

さて、本題の【薩た峠の戦い】に参りましょう。

きっかけは、家康が今川家から離反したことでした。
多くの方がご存知の通り、幼いころ織田家や今川家の人質になってた家康は、義元が生きている間は逆らうことができず、今川家の武将として信長と戦ったこともあります。

しかし目の上のたんこぶがいなくなれば、当然、自分の家を自分で守りたくなるというもの。
そこで信長と清洲同盟を結び、一応は独立した大名として歩んでいたのでした。

一方、これを横から見ていたのが武田信玄。

武田信玄53年の生涯をスッキリ解説【家系図付】戦国最強甲斐の虎 そのリアル

戦 ...

続きを見る

 

そもそも武田・今川・後北条の三家は「甲相駿三国同盟(こうそうすんさんごくどうめい)」という舌を噛みそうな名前の平和協定を結んでいました。

しかし、その同盟の中で唯一の内陸国である甲斐(現・山梨県)の武田家としては、やはり交易や軍事その他諸々の意味で海が欲しい。

そこに今にも瓦解しそうな今川家がいるのですから、「よーし、ワシ、ちょっとぶん捕っちゃうぞ」と考えるのも無理はない話。
というか何が何でも取る気なので「徳川と協力して今川家を潰そうZE!」と家康に書き送る念の入れようでした。

 

気がつけば薩埵峠に武田軍

信玄が甲府を出たのが12月6日のこと。
そして12日には、駿河・庵原郡(現在の静岡県富士宮市あたり)まで来たというのですから、武田軍のハッスル具合が窺えます。

今なら電車で数時間の距離ですが、当時はもっと道も悪かったでしょうし、一人二人の旅行じゃなくて当主率いる軍勢ですからそれなりの人数がいたはず。
武田軍の統率の素晴らしさも見てとれますね。

しかし、今川氏真としては( ゚д゚)ポカーン

同盟を組んでいたはずの相手が急に攻め込んできた上、もう目と鼻の先にいるというのですからどうにもなりません。

薩埵峠から描かれた 歌川広重「東海道五十三次・由比」/wikipediaより引用

それでも武士の意地でしょうか。
薩埵峠で迎え撃てと部下に命じます。

一方で、もう一つの同盟相手で嫁の実家である北条氏康・北条氏政らにも援軍を要請。

北条氏康の関東制覇!謙信や信玄と争った57年の生涯【戦国北条五代記】

【 ...

続きを見る

自らも出陣するなど行動を起こしました。
きちんと総大将としての覚悟はあったワケです。

 

先陣を命じた部下にいきなり裏切られ

氏真が偉いのは、すぐ背後といっていいくらいの清見寺というところまで自分も行っていること。
ここは義元の軍師だった太原雪斎(たいげんせっさい)が住職を務めていたお寺でした。

雪斎は桶狭間の前に亡くなっていますから、その弟子あたりと戦略を練ろうとしていたのかもしれません。

しかし、さすがに信玄のほうが一枚も二枚も上でした。

既に今川家の重臣にまで「氏真を見限ってこっちにつけば、悪くはしないよん」と調略をしかけ、裏切るよう根回しをしていたのです。

そして運の悪いことに、氏真から迎撃を命じられた武将がその一人でした。
出陣はしたものの、あっという間に陣を畳んで引き上げてしまうのです。

こうなると他の武将たちも「どうせ氏真じゃ信玄に勝てっこないし、もう止めるか」と考えてしまい、戦う前に解散してしまう始末。
富士川の戦い】のごとくあっという間に戦は終わってしまうのでした。

富士川には、将兵のやる気を挫く妖怪でもいるんですかね。

味方の不甲斐ない顛末を聞いた受けた氏真は、愕然としつつも急いで駿府へ戻ります。

そして……続きは別記事の【今川館の戦い】に詳細がございます。
恐れ入りますがそちらをご覧ください。

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『戦国時代人物事典(学習研究社)』(→amazon
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon

 



-今川家

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.