東本願寺

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寺社・一揆

東本願寺と西本願寺が二つに分裂しているのは信長・秀吉・家康のせい?

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東本願寺と西本願寺
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お父さんの言うこと聞かず徹底抗戦表明の長男を廃嫡

このときトップだった本願寺顕如(けんにょ)はこの決定に従って紀伊の雑賀(和歌山)に移動しました。

※顕如……12歳で本願寺11代宗主となり如春尼(三条公頼の娘・信玄の妻と姉妹)と結婚

しかしその長男・本願寺教如(きょうにょ)は「信長に従うなんてイヤです!」とダダをこねてなかなか退去に応じようとしません。

前述のように、本願寺は親鸞の子孫がその遺影などを守ってきたので、トップはずっと世襲です。

浄土真宗では僧侶の妻帯が許されているため、子供作ってても生臭坊主になりません。

最終的には教如も立ち退くのですが、徹底抗戦を主張する教如に同調する者も多く、本願寺内部が真っ二つに割れてしまうのです。

この事態にプッツンした父・顕如は「お前みたいな不良息子には跡を継がせん!次は准如(じゅんにょ・顕如の三男)だから皆覚えとけよ!」と教如を廃嫡してしまいました。

だからなぜ宗教家で権力争いが発生するのか……というのはさておき、本番はこっからです!

 

秀吉「長男だから君が後継ぎだよね。京都にきなよ」

これにて一件落着……と思いきや、この話はまだまだ続きます。

信長の死後、天下人となった豊臣秀吉が「おいらに従っているようだし、じゃあ京都に土地を用意してやるよ」と命じたのです。

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これが天正十九年1月19日のことで、こうしてできたのが現在の西本願寺にあたります。

京都に戻れると喜んだ顕如パパですが、これで満足したのでしょうか、翌年11月に亡くなります。

すると、秀吉はこれまでの経緯を知ってか知らずか、父ちゃんと反目した長男の教如を浄土真宗の後継者(12代目)に任命してしまうのです。

しかし兄弟の母親で顕如の未亡人・如春尼が弟のほうに肩入れして「違うんです、ホントは准如が継ぐはずなんです!」と申し立て、さらに話がこじれていきます。

しかもこの言い分が通り、翌年、一度は跡を継いだ教如はまた本願寺から追い出されてしまいました。

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