剣豪・忍者

なぜ武士はチョンマゲ・月代スタイルだった? 一本ずつ毛を抜く血まみれの苦行

こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
チョンマゲ・月代
をクリックお願いします。

 

一本一本抜きました それも木製の毛抜で

ハゲた月代の部分をどう整えていたか?

刀で剃った――。

ブブー!

専用の剃刀があった――。

ブブッ、ブブー!

答えはなんと、木製の毛抜で一本一本抜いたのです!

なんという恐ろしい所業。

これは江戸初期の風物を記した『慶長見聞集』にも、その様子が「黒血流れて物すさまじ」と記されています。

昔の武士は毎日激痛に耐え、血だらけになりながら頭頂の毛を抜いていたのです……。そりゃ切腹なんて凄まじい文化も生まれてくるワケですよね。

ただ、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた頃からはカミソリで優美な形に整えられるようになり、日本男子達もやっと血だらけのゾンビ状態から解放されます。

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

こうした苦行が背景にあったからでしょうか。

合戦を前提とした月代という髪型は、「いつでも主君のために戦える!」という意思表示でもありました。月代を剃らないということは主君をないがしろにし、自分は武士ではないと言っているようなものだったのです。

それこそが、江戸時代にも丁髷(ちょんまげ)と月代が続いた理由であります。

 

一銭剃が庶民の間でも大流行

江戸時代は徳川幕府により260年も平和な世が続きました。

ただ、いくら平和だったとはいえ、社会の根本システムは武力による封建体制。

侍は弱体化したとの声に抗うように、彼らは常に帯刀し、日々文武両道に励んで月代を剃り、武士道精神を重んじていたのです。

いつでも戦うぞ!

そんな心構えが残っていたためでしょうか。

幕末に異国が次々と来航した時も国を守ることができたのかもしれません。

腰には刀を差し、頭のテッペンには鉄砲を載せている日本男児。

ペリーをはじめ、日本に来航した欧米列強の面々にとって、そんな武士の姿は、さぞかし威圧的な姿だったでしょう。

彼らの目には、まさに「気が満ちた」東洋の神秘に映ったかもしれません。

なお、こうした月代は戦国末期(16世紀末)から庶民の間でも行われるようになり、「一銭剃(いっせんぞり)」と呼ばれる新たな職業も生まれました。

江戸時代になると、大きな橋のたもとに床屋ができ、月代部分を剃っていたのです。

今で言う駅の1,000円カットみたいなものですかね。

さほどに生活に馴染んでいたんですなぁ。

あわせて読みたい関連記事

源頼朝
源頼朝 史実の人物像に迫る!出生から鎌倉幕府の設立 死因まで53年の生涯

続きを見る

足利尊氏
足利尊氏は情緒不安定なカリスマ将軍? 生誕から室町幕府までの生涯まとめ

続きを見る

豊臣秀吉
豊臣秀吉 数々の伝説はドコまで本当か? 62年の生涯まとめ【年表付き】

続きを見る

戦国時代にあった恐怖の風習『鉄火起請』マジでやるとどうなる?

続きを見る

信長・秀吉・家康たち天下人に愛された菓子 そして甘美は全国に広まった

続きを見る

カッコよすぎる刀のネーミングBEST10! 布都御魂剣・破邪の御太刀・雷切

続きを見る

「居合」って一体何なんだ? いまさら聞けない武術用語を優しく解説

続きを見る

夢想権之助
武蔵を破った唯一の男・夢想権之助~伝説的剣豪の武器は“杖”だった?

続きを見る

外国人が選んだ忍者の伝説10選
外国人が選ぶ「忍者(NINJA)の伝説10選」がなかなかマニアック

続きを見る

必殺◯◯剣!
喰らえ 必殺◯◯剣! カッコよすぎる剣術ネーミング十選はこれだ!

続きを見る

監修:編集部

【参考】
国史大辞典
日本大百科全書

TOPページへ

 



-剣豪・忍者