麒麟がくる感想あらすじ

麒麟がくる第40回 感想あらすじ視聴率「松永久秀の平蜘蛛(ひらぐも)」

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帰蝶はすでに信長を突き放している

煕子と光秀のことを思い出しますと……二人は以心伝心、理解ができていた。

その死別により、光秀の精神状態は悪化しています。信長の場合、生きているというのにわかりあえぬのだから、より悪いとも思えてきます。

川口春奈さんは役をきっちりと解釈しているためか、少し冷たい隙があると思えました。帰蝶は信長が何かを怖がっているようだと説明します。

駿河国にある日本一高い富士の山。高い山には神仏が宿り、そこに登ったものには祟りを受けるという。

信長は朝廷より右大将という官職を承った。足利将軍と同じ身分となった。ここまで上り詰めるとは思わなかった。帰蝶はそう言い切ります。

そして、一緒に祟りを受けるやもしれぬと口にするのです。

帰蝶は変わりました。

道三の娘らしいふてぶてしいころの彼女ならば、決して言いそうになかったことを口にしている。

堺から鉄砲を買い付け、信長の戦の後押しをしていた帰蝶ですら、疲れたように見える。

光秀もそこは同じ思いがあるようです。

信長をけしかけたと言う意味では、二人は同罪です。封じられていた魔星を解き放ったことを悟ったような、そんな悔恨が滲んできました。

メインビジュアル第三弾が公開された本作。SFならば、暴走するAIをプログラミングした苦しみがあると以前書いた記憶があります。

魔星にせよ、暴走AI搭載ロボットにせよ。人が制御できない何かを解放した責任は重くのしかかるということです。

帰蝶は信長もそれを恐れているのかもしれず、少々疲れたと言います。

この城も石段が多すぎる。天にも届く立派な城を作っても、人が上がっていくには息が切れる。

近頃は戦の度に親しい者が大勢消えてゆく。

帰蝶はそろそろこの山を降り、美濃の鷺山の麓にある小さな館で暮らすと告げるのです。

「戦が終わって穏やかな世になったら、遊びにおいでなされ。渋くて美味しい茶を一緒に飲もう。約束じゃぞ」

帰蝶はそう言います。

これが彼女の最後の出番かどうかはともかく、退場が見えてきたとは思えます。

本能寺には帰蝶がいないという説の方が有力です。とはいえ、フィクションとしてはそこにいて欲しい。本能寺には姥桜のような帰蝶の亡骸があった……そういう描写は定番です。

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ただ、本作ではもう帰蝶は突き放している。

この帰蝶には、信長のために薙刀を振るって戦うような情熱がないのでは? 彼女は燃え尽きてしまったのでしょう。

妥協のない描き方ではある。川口春奈さんが話題だし、もっと出せという意見はよく見かけました。

けれども本作は、そういうリクエストに応じるよりも描きたい像を追及していく。結果、ぶれない人物像ができている。冷え切った帰蝶がそこにはいる。

 

妻を失った二人が顔を突き合わせ

そこへ信長が入ってきました。

そしていきなり佐久間信盛は役立たずだと不満をぶつける。

松永の茶道具を無傷で持ち帰れと命じたのにこの様だと。光秀が当時の状況から庇おうとすると、信長は命じた佐久間が悪いと不満を募らせています。

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決定的な断絶が見えてきますね。

平蜘蛛など欲しくない!

戦などしたくない!

そう叫んだ光秀と、茶道具を忠臣よりも重んじるような信長。

ここで帰蝶が立ち去ろうとすると、信長はむっつりとし、十兵衛との話は済んだのかと聞きます。

「わしを見捨てて鷺山に行くという話はしたのか?」

「いたしました」

信長は不満でいっぱいだ。その言動には、糟糠の妻への労りも感謝もない。冷え切った関係が残るのみ。

帰蝶が美濃へ戻るという話を、信長は前日に聞いたばかりでした。彼女がいなければ、何かの折、信長は誰と相談してやっていけばいいのか。

そう問われた帰蝶は、十兵衛に相談すればよいとそっけなく答えたそうです。

「弱りましたな……」

「わしがか、そなたがか?」

「殿も、それがしも」

光秀と信長はそう語り合い、また双方精神状態が悪化しそうな事態に……。

妻というクッションなしで現実と向き合う男二人が、顔を突きつけ合わせる。こんなことはもう惨劇の予感しかありません。

こんな生々しい本能寺、おそろしすぎる。

 

小屋での密会は信長に知られていた

信長は咳払いをし、光秀に来てもらったのはふたつの要件があると伝えます。

まずは一つ目。平蜘蛛のこと。

佐久間の家臣が探したのに、破片すら見つからない。これは戦の前に松永がどこかに預けたのではないかと思っているのだと。

そのうえで、久秀と親しい間柄であった光秀が知っているのではないかと尋ねてきます。

「そのようなことは……」

「聞いておらぬか?」

ここで信長はおそろしいことを言い出す。

上杉と密かに通じていると知らせを受けて以来、大和や京に忍びを配して松永を見張らせていた。松永は下京の伊呂波太夫の小屋に行った。

そこで親しい者と会っていた。その中に光秀もいた。

光秀はその事実を認め、小屋で話をしたと言います。光秀は信長に寝返らぬように説得し、それだけかと問い詰められると昔話をしたと返すのです。

「平蜘蛛の話は出なかったのだな?」

うなずく光秀。

「うむそうか、それは残念だな」

信長はそう言う。そして松永を死なせたくはなかったと言うのです。いずれは然るべき国を与えようと思っていたのだと。

信長には決定的に何かが欠けている。久秀にあった、大和への思いを汲んでいない。

「何故裏切る? 帰蝶もそうじゃ。帝もそうじゃ」

信長は思いを吐き出す。蘭奢待はお喜びになると思ったからこそ差し上げたのに、あまりお喜びでなかったという。

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「何故じゃ? 何故皆わしに背を向ける?」

そう言ってから、こう付け加えます。

「これはたわけの愚痴じゃな……」

なんとも哀しい信長の本音です。

本作の信長は、贈ったものを受け取ってもらえないことが実に多い。

母に魚をあげても、喜んだのは最初だけだった。

父に潜在的に危険な敵の首をあげても、かえって叱られた。

足利義昭は関の刀鍛冶に打たせた刀を贈っても、かえって嫌そうな態度だった。

帝に蘭奢待を贈っても、喜んでもらえない。

祝言の日、干した蛸をあげたら食べてくれた帰蝶。その帰蝶すら自分を見捨てていく……。

 

感情のすれ違いが炙り出され

そんな信長は、光秀に彼の娘・たまを通して贈りたいものがあるようです。

たまの嫁入り先として、細川藤孝の嫡男――忠興を指名するのです。

信長なりに考えた悪い縁談ではないとは思います。

父は親友同士で、織田家臣団でも重要な位置にいる。史実では、本能寺の後、命を落とす明智一族の中で、忠興はたまを守った。離縁もしなかった。愛の深さはあるのです。

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ただ……「話は以上じゃ!」と打ち切って、光秀に有無を言わせない、そういう信長の性格が残念でなりません。

なぜにこれほど不器用なのか。

本願寺の連中も長島一向一揆のように焼き殺すとあっさり言い切る。彼は、光秀が比叡山で見せた苦悩をまったく気に留めていない。

こういう感情のすれちがいが、NHKの見出したところだとは思います。

最近は、人間の心理状態を細やかに描くフィクションが増えています。

一年前の朝ドラ『スカーレット』を思い出しました。

あのドラマでは、主人公夫妻が離婚します。ただし、モデル夫妻には明確な不倫があったにも関わらず、ドラマでは描かれなかった。

NHKのお上品さゆえの限界説が囁かれていたものですが、その一年後、朝っぱらからどぎついゲス事情をバンバン出してくる『おちょやん』を見ればそうでないでしょう。

人間の心は、徐々に擦り減ってゆく。二人が一緒にいることでそうなってしまったら、明確な断絶がなくとも修復できない。断

絶の理由を聞かれ説明したところで「その程度で?」と当人以外は理解されなくとも壊れる関係はあります。

そういう描写をすると叩かれやすいことは『半分、青い。』にせよ『スカーレット』にせよ、重要人物の離婚描写あたりでNHK側も把握済みだと思うのです。

それでも、描く必要性を感じればこそ貫いているのではないでしょうか。

本作のそういう描写を「もはやシェイクスピア悲劇の世界!」と例える記事も見ました。

しかしシェイクスピアって、日本人からすれば明治維新以降の新しいものですが、英語圏では戦国時代とそう変わらない時代です。

心理描写がそこまで細やかではなく、もっとわかりやすい。むしろ劇中のセリフを演技演出でどう詰めて細かくするか、そこが重視されているとは思うのです。

そのへんは吉田鋼太郎さんか、北村紗衣さんあたりに聞いてみれば良さそうです。

ともかく、この手の心理的齟齬が破滅的な結末を迎えるパターンは、割と斬新かつ近年の流行最前線だと思えます。

以前も記しましたように、2010年代最大のヒットドラマとされる『ゲーム・オブ・スローンズ』もこのパターンの結末でした。

『鬼滅の刃』も心理描写が細かい。そして自分のことばかり重視して、最愛の仲間たちを思いやれない者は、鬼だけではなく鬼滅隊士だろうがろくな目に合わないというルールがあります。

人間の心がどう破壊されるか?

そこが見所なんですね。

そしてそれゆえに、本作と無縁と言い切れる人間はどこにもいない。どの人間にも心はあるのですから。

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