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櫛橋光/wikipediaより引用

黒田家

黒田官兵衛の妻・櫛橋光(くしはしてる)の生涯~官兵衛唯一の室は理想の女性!?

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豊臣秀吉の右腕として知られる黒田官兵衛
彼は、戦国時代の武将としては珍しく、側室がいなかったことで知られます。

嫉妬が怖いとか。
女性がさほど好きではないとか。
いろいろな理由が考えられますが、黒田夫妻の場合は「おしどり夫婦」という見方で良さそうです。

正室の名は櫛橋光(くしはしてる)。

稀代の名将を支えた女性とは一体どんな人物だったのか?
その歴史を追ってみました。

黒田官兵衛/wikipediaより引用

 

志方城主・櫛橋伊定の娘

官兵衛の正室・光。
大河ドラマ『軍師官兵衛』では中谷美紀さんが演じておりました。

名前の読み方は【てる】が一般的です。

大柄で体の丈夫な健康美人で、しかも賢い女性と評判でした。
教養にもあふれており、夫主催の連歌会に彼女が参加した記録も残されています。

連歌とは、五七五七七の短歌を【上の句・下の句】で複数人の人が詠むものです。

本能寺の変」直前に明智光秀が意味深な句を詠んだことで知られる「愛宕百韻(あたごひゃくいん)」も連歌会で、当時、官兵衛のみならず、多くの戦国武将がハマっていたことは以下の記事でご覧いただければ幸いです。

戦国武将も愛した連歌が実はメッチャ面白い! 信繁も義光も官兵衛もハマってた

光は志方城主・櫛橋伊定(くしはし これさだ)の娘で、小寺政職(こでら まさもと・ドラマでは片岡鶴太郎さん)の養女とされました。

 

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夫は囚われ留守を守る

結婚したのは、官兵衛22才、光15才の時と伝わります。
ハッキリとした時期は判明しておらず、嫡男・松寿丸(のちの黒田長政)の生年である永禄11年(1568年)から逆算での推定となります。

夫妻の間には、二人の男児が生まれました。
長男の長政、二男の熊之助です。

熊之助は、慶長2年(1597年)、朝鮮で戦死を遂げてしまいました。
光にとって痛恨の出来事であったことでしょう。

それと等しく辛かった、人生最大の苦難は、夫・官兵衛が荒木村重によって幽閉された時でしょう。

織田信長を裏切った荒木村重。官兵衛はその説得に向かい、逆に城の中に囚えられてしまうのです。

そして、その状況を聞いた信長は、
「官兵衛も裏切ったか!」
と思い込んでしまい、松寿丸に対して殺害命令を出しました。

竹中半兵衛の機転で、松寿丸の命は救われ、官兵衛の誤解もほどなくして解かれますが、その間、逆境の黒田家を支えてきたのが光です。

栗山利安(栗山善助)や井上九郎右衛門井上之房)、母里太兵衛など。

官兵衛の忠臣と共に留守を守る妻。
彼女の人生で、最も結束が必要とされた時期でもありました。

 

石田方の命令で人質とされそうになり

関ヶ原の戦いの際には、石田三成の命令によって人質とされそうになりました。
ここで、智恵と勇気を総動員された救出作戦が展開されます。

石田三成/wikipediaより引用

実は以前から長政は家臣たちに命じていました。
もしも人質に要求されたら、母・光と、妻・栄(えい・黒田長政の継室・徳川家康養女であり【ねね】とも・ドラマでは吉本美憂さん)を脱出させよ。

「もしそれが叶わぬ時は、母と妻を殺害し、そなたらも自害せよ」

生きて辱めを受けるくらいならば、いっそのこと――というギリギリの覚悟だったのです。
託された側の家臣も、これには必死にならざるを得ません。

そして、この懸念は的中します。

石田方からの使者が来る前に、黒田家は情報を掴んでいました。大坂城にも、ぬかりなく間者を潜り込ませていたからです。

このとき対応にあたったのが、以下3名の家臣たちでした。

・栗山四郎右衛門利安(濱田岳さん)
・母里太兵衛友信(速水もこみちさん)
・宮崎助太夫

彼らは、いざというときは商人・納谷小左衛門に匿って貰うところまで打ち合わせ済みです。
そして、そのミッションがいよいよ始まりました。

母里太兵衛とは? 黒田官兵衛の家臣でNo.1の暴れん坊! お酒を呑んで名槍ゲットン!

 

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ガラシャの自害が二人を救う!?

このとき光は、息子・黒田長政の正室・栄ともに米俵に入り込みました。

屋敷の裏手にある湯殿(風呂場)の壁を壊し、ここから二人は外へ。屋敷の周囲にはすでに人がおり、裏手から逃げ出したのでした。

こうして出てきた二人を、商人に変装した母里太兵衛が本物の商人・納谷小左衛門の家にまで運びます。

黒田屋敷には、身代わりの女性を置くことにしました。
しかし、相手もそう簡単にはごまかせません。

「失礼ですが、顔を改めさせていただきますぞ」
と、光の古い知り合いという侍女2名を遣わしてきたのです。

栄の方は、よく似た侍女を病気と称して蚊帳の中に入れて、遠目から確認させました。
ドラマでは、この身代わりの侍女はお道(福島リラさん)とされています。

また相手は光の若い頃しか知らなかったため、なんとかチェックをくぐり抜けることができました。

「御内室二名、しかと確認できました」
うまくいったわけですね。

一方、大坂では官兵衛が送り込んだ迎えの船が来ました。
官兵衛は、このころ中津城(大分県)にいたのです。

警備は厳しく、船はなかなか動けませんでした。
特に女の乗船は見とがめられ、脱出できそうにない――そんなとき、火災が発生し、町は騒然とします。

今がチャンス!
とばかりに船は港を離れ、二人は無事、脱出できました。

実は火災は、大坂玉造にあった細川屋敷からのものでした。

細川忠興の妻であり、明智光秀の娘でもある、細川ガラシャ。
彼女が自害し屋敷に火を放ったことで石田方は動揺しますが、官兵衛と長政の妻も、間接的にはガラシャによって救われていたのです。

 

長寿であった光

健康であった光は、当時としては大変長生きしております。
夫の官兵衛のみならず、息子・長政の死すら看取ることになりました。

そして寛永4年(1627年)。
75年の生涯を終えました。官兵衛の死から23年後、長政の死から4年後のことでした。

黒田家の安泰を見届け、悔いなく世を去ったことでしょう。




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