黒田長政/絵・富永商太

黒田家

宗像大社の「金銅高機雛形」を持ち出した黒田長政 神の怒りにガクブル

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関ヶ原の戦いにおいて華麗な交渉術を発揮し、西軍から小早川秀秋や吉川広家などの寝返りを誘って、東軍勝利への立役者となった黒田長政

徳川家康から第一の功労者と激賞され筑前五十二万石を拝領するに至った。

そんな豪と知とを兼ね備えた将を恐れさせたのが、筑前領内に鎮座する宗像大社伝来の神宝である。

「平成18年沖ノ島祭祀と宗像・福津の文化財展」(宗像大社神宝館)資料から

「平成18年沖ノ島祭祀と宗像・福津の文化財展」(宗像大社神宝館)資料から

 

天孫を助け奉りて天孫に所祭られよ

宗像大社は、

・福岡県宗像市の釣川河口に広がる村落にイチキシマ(市杵島)姫神
・辺宮の沖合11キロに浮かぶ筑前大島にタギツ(湍津)姫神
・玄界灘を行き50キロの洋上に浮かぶ沖ノ島にタゴリ姫神

以上の3座を合わせた神社だ。

『日本書記』では、九州北部からの朝鮮半島への海路を指す「海北道中かいほくどうちゅう」に、三女神が降臨したと語る。

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平成18年に宗像大社で開かれた「沖ノ島祭祀と宗像・福津の文化財展」

天照大神から
「汝三神は宜しく道中に降居まして、天孫を助け奉りて天孫に所祭られよ」
(三神は海路に座し、皇統を助け、また、天皇から祭りをうけよ)
との勅(命令)を受けたとも言い、古代の日本が、半島と九州との間あいだの水道の航行について、宗像三女神を頼っていたことがうかがえる。

三座のうち特に注目されるのが、タギツ姫が座す沖ノ島だ。

周囲12キロに過ぎない絶海に浮かぶ、米粒のような孤島であるにもかかわらず、縄文・弥生時代の生活跡が出土し、4世紀後半から9世紀末には国家的な祭祀が行われていたことが判明している。

祭祀は巨大な石「磐座いわくら」の上や陰を利用した。
こうしたお祭りの痕跡がそのまま「祭祀遺構」として残り、森を埋めている。

それらの祭祀遺構から出土する、海原での安寧などを祈り神へと捧げられた宝である遺物は8万点に及び、そのすべてが国宝の指定を受けている。

 

櫃の中で織り機が鳴動を繰り返し雷鳴を呼ぶ

この豊富な古代の宝物があるゆえに【海の正倉院】との異称を持つ沖ノ島。
宝物の中に「金銅高機雛形」と呼ばれる金箔が施された織り機のミニチュアがある。

漢字6文字が並ぶとなんだか分からないが、分解すれば下のようになる。

金銅=銅や青銅に金メッキしたもの
高機たかはた=手織りの織機の一種
雛型=ミニチュア

沖ノ島に安置されていた、この小さな黄金の織り機の存在を、筑前に入府して間もない黒田長政が知った。
そして、この美しい宝ものを沖ノ島から持ち出そうと、宗像の神職らにかけあった。

神職は
「島の掟を破ることになる、とんでもないことだ」
と断わる。

沖ノ島には、 上陸する際には、全裸となり浜でミソギをするほか、 一木一草たりとも島のものを持ち出すことは許されない、島で見たもの聞いたことを口外してはならないという掟が現代にも伝わり、今なお変わることなく厳しく守られているのだ。
※「口外してはならない」という決まりはさすがに風化しているようで写真集なども出ている

もっとも、長政はくじけない。

なにしろダミアンとの洗礼名を持つキリシタン大名でもあった長政は、なんと神父を沖ノ島へ渡らせ、織り機を持っきてしまうのだ。
折り機は居城の福岡城へと運ばれひつに収められた。

ところが、櫃の中で織り機が鳴動を繰り返し、ついには空をかき曇らせ雷鳴を誘うという異変がおこった。
さすがの長政もこれには驚き、早々に織り機を沖ノ島へと戻した。

この話は、福岡藩の儒学者・貝原益軒が著した
『筑前国諸社縁起 澳津宮御事略rt>オキツシマオンジリャク
の中にある話だ。

あの時代に、神仏にかかわる掟を破ってまでもことを進めるというのは、長政という人は、やはり剛胆であり、また、開明的なひとだったのだろうと想像させる。
が、そうした長政でさえ驚く神威を、宗像三女神は示したのだった。

沖ノ島を中心に宗像大社は、世界遺産に登録されている。

登録に際して第一には、宗像三女神の神意にかなう形でなければならないと地元の福岡在住の筆者は考えている。

FrcoDon・記

 



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