食・暮らし

信長・秀吉・家康たち天下人に愛された「菓子」そして甘美は全国に広まった

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天下人に愛された菓子
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将軍自ら菓子を配った

規模も相当にデカイです。

「嘉祥頂戴」の日になると、江戸城の大広間には2万個を越える羊羹や饅頭がズラリ。この菓子を御目見え※以上の大名や旗本に配るのです。

※御目見え……将軍に直接謁見できる武士

しかも、二代目の徳川秀忠までは自ら配ったため、数日間は肩が痛むほどだったとか。

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三代目の徳川家光以降は各自で取る形式となりました。

将軍家が勝利に通じる菓子を大名旗本に配る。これぞまさに徳川流の天下取りパフォーマンスですね。

こうして菓子をもらった大名は、自分の屋敷で家臣とともに嘉祥を祝います。さらに国元でも祝い、時代がくだると庶民まで祝うようになります。

庶民の間では「嘉祥喰」といい、一と六を足して七種類の菓子を食べる行事として定着しました。

「嘉祥」の風習は明治まで行われたものの、残念ながら現在では廃れてしまい、現在は全国和菓子協会指定の「和菓子の日」として残っております。

江戸幕府の「嘉祥」は、日本全国に菓子を普及させる行事として、役割を果たしたと言えるでしょう。

個人的には、現在でも復活して欲しい行事ですが。

 

お殿様から庶民まで「EDO LOG」でブランド化!

各大名が国元でも和菓子を食べるとなると、地方にまで菓子屋ができあがります。

茶道が好きな殿様の場合、お茶菓子を作れと命じることもあり、かくして各地で、殿様の御用商人としての菓子店が開店するわけです。

「うーん、何とも美味い菓子だのう」と喜んだお殿様が「ワシの名前を使って良いぞ」「ワシの考えた名前をつけてよいぞ」……といったお菓子が現在も伝わります。

例えば愛媛の「月窓餅」は、この餅を好んだ大洲藩主・加藤泰興の号が由来です。

290年の伝統を誇る「秋田もろこし」、名前からするとトウモロコシと関係があるように思えますね。

違います。秋田藩主・佐竹義格(よしただ)に「このもの諸々の菓子を越え風味よし!」と絶賛されたことが由来です。

このように殿様も大好きなお菓子が、今も各地で愛されているのです。

しかし、殿様ブランドを使うだけでなく、もっといろいろな人に売れば商売はより繁盛しますよね?

江戸時代に入ると、砂糖の普及に伴って価格も下がっており、戦国時代を終えて平和になった街道・名所には人の行き来も増えております。

となると、こう考える商人も出てくるワケでして。

「この寺の門前で菓子を売ったら、参拝客が買うんじゃないかなぁ」

「市場で菓子を売れば土産に買っていくんじゃない?」

「旅人だって疲れた時は甘いものを食べたいはずだ」

こうして人の集まるところ、参拝客の多い寺社の前、街道沿い、市場、宿場に和菓子屋が開店し始めたのです。

とりわけ有名なのが、下鴨神社のみたらし団子、伊勢神宮の赤福等あたりでしょうか。

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名物菓子があまりに美味しいため、更に時代がくだると「菓子を食べることが主目的」で、そのついでに寺社参りするようになる人も出てきたそうで。

旅行者が増えれば、旅のガイドである道中記も出版されるようになるわけです。

そして、こうした道中記には「あの店で買える飴は最高! 絶対食べないと損!」といった記述が出てきます。

さしずめ「EDO WALKER」というか、今なら「EDO LOG」って感じですね。

かくしてガイドブックを読んだ旅行者は現地で土産を買い、家族や近所の人に配るという、現代人と同じ行動パターンが江戸期に確立し、同時にブランド化も進むのです。

「大切な人の贈答品には、最高級のお店のものを選びましょう」

日本の、あるいは日系企業の贈り物文化は、こうした長いバックボーンあってのものなのですね。

 

飢饉で苦しむ母親の姿を見て作られた「じろあめ」

お菓子は、食べて美味しいだけではなく、贈っても貰っても嬉しく日持ちもする、贈答品として優れておりました。

菓子は更に、嗜好品以外にも利用されるようになります。

時は天明の大飢饉(天明2-8年・1782-1788)、所は加賀百万石の城下町・金沢。

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乳飲み子を抱えているにも関わらず、母乳が出なくなった母親の姿を見て、雑穀屋を営んでいた俵屋次右衛門は心を痛めます。

次右衛門は、子供でも食べられる、米と大麦を原料にした柔らかい飴を作ることを思いつきました。

人々はこれを「じろあめ」と呼び喜びました。

以来180年にわたり、老若男女が安心して食べられる飴を作り続けているのが「俵屋」。優しい思いやりから生まれた優しい味は、今も健在です。

かつて天下人の権力の象徴として登場した甘い菓子は、時代が降るにつれて各地へ広がり、庶民も愛する味として定着しました。

お茶請けとして菓子をつまむのも、旅先で菓子を買って土産にするのも、そうなるまでに長い歴史があったのです。小さな菓子に詰まった我々祖先の思いを一緒に味わえば、きっといつもと違う楽しみがあることでしょう。

また、こうした歴史的経緯を知れば「男の俺が甘い菓子なんて」というのもナンセンスだとわかるはずです。

むしろ積極的に、職場の同僚や部下に菓子を配り、ちょっとした天下人気分を味わってみてはいかがでしょうか。

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文:小檜山青

【参考文献】
山本博文監修『江戸時代から続く老舗の和菓子屋』(→amazon
黒川光博『虎屋 和菓子と歩んだ五百年』(→amazon
コロナブックス『京都のおいしい和菓子』(→amazon
中島久枝『人と土地と歴史をたずねる 和菓子』(→amazon

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