MAGI感想あらすじ

MAGI(マギ)感想あらすじエピソード2東の果ての王【京都篇】

愛とは何か? 真っ直ぐに生きるとは?

マンショは洗礼を受けるのですが、納得できないのか一度は断ろうとすらします。
すべての栄華を捨てるかと問われ、十字架の前で跪く気はないと言うのです。

ヴァリニャーノは、信長の使命を思い出させます。

愛とは何か。真っ直ぐに生きるとは何か。
織田信長は、それを知りたくてマンショに託した。座していてはわからない答えを見いだせ。そう託したのです。

信長は東方の王。
権力者。
それでも、手に入れられないものがある。

愛とは何か? 真っ直ぐに生きることとは何か?
信長は、その答えを探しに行けない。だからこそ、マンショに託したのだと。

マンショは戻り、洗礼を授けられます。

こうした宗教関連の描写は、きちんと描かないといけません。きっちりと監修されているのでしょう。
洗礼をこうして映像で見られることだけでも、ともかく価値があるのです。NHKではできない。

本稿では、マンショで通しておりますが、洗礼名がマンショです。

ヴァリニャーノの中で、マンショは特別な存在になりつつあります。
大学で進学を学んでいた頃。ヴァリニャーノは、マンショと同じ問いかけをする男に出会いました。

半裸の磔にされた男を、ナゼ崇めるのか?
そう言われたヴァリニャーノは、相手を無我夢中で殴り倒しました。
これが一話目で語られた暴力事件の真相です。

暴力では解決しない。
心と心の交流こそ大事なのだ。
東西を結びつける心の旅路――それこそが彼の夢なのです。

しかし、フロイスはだからこそ危険かもしれないと警戒します。

 

マカオへ旅立つ

少年たちは、家族に見送られます。

たった一人の我が子を手放す哀しさを訴える、ジュリアンの母。
マルティノの母は、涙をこらえてしっかり旅をするようにと言われます。
ミゲルは、家の誇りだ、生きて帰るようにと兄から励まされます。

しかし、マンショは一人腕組みをするだけ。彼を見送る者はいないのです。

いくらこの旅は壮挙とされても、家族は寂しいものでしょうし、不安でしょう。
かくして少年たちを乗せた船は、長崎を出発します。

この年は1582年。
つまり「本能寺の変」の年に当たります。

本能寺の変 真相に迫る有力諸説を検証――黒幕はいたのか ただの偶然か

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日本のドラマならば、ここで敦盛を舞う信長を入れ込むところでしょう。

しかし、本作はそうではありません。
船は、マカオを目指しています。
木造帆船! 金! 金! 予算! 予算!

うーん、この船旅の場面だけでもいくらかかっているのか?と涎が垂れそうになります。

船旅は厳しいもの。
荒れれば容赦なく水が流れ込みます。

ジュリアンは母の名を呼び、ミゲルは強がり、マルティノは落ち着かせようとし、マンショはキレ気味。
やっぱ、こういう場面がないとね!

ミゲルは、落ち着くと、マンショに強くなれないことを謝ります。しかしマンショは心を開こうとはしません。
マルティノは、水夫から北極星やガリレオのことを聞き、望遠鏡をのぞきこんで喜んでいます。

本作は人物の描き分けがしっかりしていて、この人ならばこういう行動を取るだろうという納得感があります。

ちょっとここで、安心しました。
昨年の大河ドラマにおいて、西郷隆盛周辺人物の見分けができず、自分の認識能力に首をひねっていたからです。モブの集団に見えてしまって……。

アレはそうだ。
描き分けが出来ていないだけだったんだ!

 

そこには奴隷がいた……

船倉でミゲルは衝撃的な発見をしてしまいます。

そこにいたのは、鎖につながれた日本人の少女でした。ミゲルは衝撃を受け、少年たちに知らせに行きます。
しかし船倉に戻ると、彼女はいない。
つながれた子供たちは連れて行かれて酷い目にあっていると言います。

彼女は水夫に連れて行かれています。
怒り、水夫につかみかかるミゲル。

ここで巨大な彗星が現れ、異変が起きるというナレーションが入ります。

おそらくや「本能寺の変」のことでしょう。

戦国時代&大航海時代は「奴隷時代」多くの罪なき人々はドコへ売られていった?

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MVP:ヴァリニャーノ

見ればみるほど、彼のことが忘れられなくなってしまう。

暴力事件の真相も納得できるものでしたし、そこをふまえて丁寧に作られた、とても魅力的な人物像だと思いました。
こうすればよいという型にはまることができない。
それゆえ、苦労しているところがうかがえる!

彼を演じる俳優について、事前情報はありません。
初めて知りました。

それでも引き込まれてしまうのは、描き込む力があるからでしょう。
これはすごい。もう、目が離せなくなりそうです。

 

総評

まるで大河みたい!

昨年の駄作、今年の近代ものでは納得できない大河ドラマファンはコレを見よう!
そんな熱狂はその通りだと思います。

しかし、これはもう大河ではない。
超越しにきたと確信できた。

それが第二話です。
一つずつ説明して参りましょう。

 

総評1:高い映像クオリティ

撮影に使っている建築物は、大河や他の時代劇と同じはずなのに、違う。
映像のレベルが違うのです!

衣装、屏風といった小道具、それにできあがっている映像一つ取って見ても、全てレベルが高く見えてしまいます。

あれ?
日本のドラマのレベルって大丈夫かな?
これは海外ドラマと比較して、感じていたことではあるのです。

ただ、建築物といったどうしようもない要素のせいかな――と自身を思い込ませたかった部分がありました。

そうではなかったorz

技術面で、日本が失ったものを盛っている。
本作はそれを見せ付けてきて、辛いものがあります。

ネット配信に特化しているということもあるのでしょう。最近はハイビジョンや4K、8Kといった映像技術の進歩があります。

しかし、視聴者がそれに追い付いていないのではないか、という思いが私にはありまして。
それがハッキリと露呈したのが、2012年『平清盛』の時でした。

あの作品は、映像が汚いだの暗いだの、やたらとバッシングされました。

私は放映技術の進歩を念頭に置いて、新たな演出を始めたのだと感じたのでしたが……こうした映像面での取り組みが大河ドラマで感じられたのは、2013年『八重の桜』まで。

シナリオ面では意欲的であった2016年、2017年ですら、映像面では進歩をあまり感じなかったものでした。

やはり、大河は進歩を止めていた。
本作はそうはっきりと突きつけて来ます。

 

総評2:MeTooのあとの世界

世界的に#MeToo運動を無視出来ない流れにある。

しかし、日本はどうでしょうか?

大河ドラマについて言えば、性暴力を連想させる描写はむしろ減少傾向にある気すらします。
最後に描かれたのは、せいぜい2013年『八重の桜』での神保雪あたりではないでしょうか。

この点、最低最悪であったのが2018年『西郷どん』です。

遊女や芸妓の置かれた境遇は無視し、そういう女性を侍らせることをちょっとした娯楽やスパイス気分で描いておりました。

もっと問題だったのが、島妻・愛加那の扱いです。
このことはあとでも触れますが、当時の薩摩藩士は愛加那のような島民を一段下のものとしており、差別がハッキリと存在しておりました。

当時は許されていたとはいえ、性的搾取とされてもおかしくはないもの。
そんなことを一切省き、愛加那が西郷の寝所で自ら裸になるというのは、余りに悪質極まりない描写でした。

大河はもう、世界から遅れてここまで落ちている。そこは認めざるを得ません。
『いだてん』の小梅で挽回出来る可能性も、あるとはあまり思えません。

その時代にあった暴力性、性的搾取を描けない大河は、もはや世界に追い付くことはありえない。
今日の女性奴隷の描写を見ていて、つきつけられた思いがします!

 

総評3:歴史の暗部に迫る

弥助の足首につけられた鎖の重たさ。
船倉でうごめく日本人奴隷の足首にも、同じものがつけられておりました。

戦国時代の人身売買と奴隷に、本作は踏み込んで来たのです。

これは、日本人だけにとっての暗部でもなければ、宣教師側だけのものでもない。

ナゼ日本人奴隷が海外にまで売られたのか?

それは日本人が戦で人を捕縛し、売り払っていたからです。
戦のあとには、人身売買の市が立ち並びました。いくらで人質が交渉されていたのか、史料にも残されています。

そんな描写を大河ドラマができるのでしょうか?

2017大河『おんな城主 直虎』では、会話の中で「人身売買の市が立つ」というところには触れました。
が、あくまで実際に売買した話ではありません。我々の目の前には突きつけられておりません。

「日本人を悪く描くつもりか?」
という話は、的外れです。
この問題には、宣教師側の悪事も描かれております。日本人だけをあくどく描く目的ならば、そこは描かないはず。

どこか特定の国や歴史を貶める意図なんて、そこにはない。
歴史の暗部にも向き合う、そんな誠実性があるのです。

こういう歴史の暗部を描いた作品につけられる
「日本を貶めるつもりか!」
「こんなに自虐的なことをするのは日本だけだ!」
という批判に、私は常々ため息をついておりました。

頼むから、もっと海外の作品を見てくれ!
そう言いたいのです。

『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』ナチスに処刑されたドイツ人女学生の毅然

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海外には、自国がいかに卑劣極まりないことをしてきたか、きっちりと描いている作品が多数あります。

そんな海外作品は、少し前ですと映画館、ソフト、衛星放送や有料チャンネルに加入するか――そういったワンクッションがありました。

そういう時代も変わりつつあります。
歴史の暗部に踏み込んだ海外の歴史ものが、もうそこにはあるのです。

その味を知った視聴者が、漂泊された歴史ドラマに魅力を感じると思いますか?

大河ドラマは、暗部に迫ることを投げ捨てました。
島津の島民差別や東日本の苦境を漂泊した昨年が、その最悪の一例です。

奄美大島のことを西郷はどう見てた?黒糖地獄に美談はムリあり

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このことを確信したのは、NHKのもう一枚の看板である朝ドラ『まんぷく』のせいでもあります。
朝ドラレビューのコメント欄で指摘された記事が、こちらです。

カルロス・ゴーンは現代の立花萬平か 日本が「人質司法」を止められない事情 (1/6)

あの作品は、主人公にあったはずの人種ルーツを削除しました。
暗部に迫るどころか、ウォッシングをしたのです。

こうした事なかれ主義は、世界の中では後退に他なりません。
残念ながら、大河ドラマはもうこの流れを止められないと思うのです。

 

総評4:海外同時配信の強み

BBC制作で関ヶ原の戦いを扱ったドラマ。
『ウォリアーズ 歴史を動かした男たち~徳川家康編』を鑑賞したことがあります。

BBC版の関ヶ原ってイケてる?『ウォリアーズ 歴史を動かした男たち~家康編』

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このころから、格段に進歩したと感じました。

当時はまだ、海外と日本が同時視聴することはありませんでした。
つまり、日本人視聴者の目を意識していなかったと思われるのです。

石田三成が芸者コスプレをしていたり、黒装束の忍者がわざとらしく飛び回ったりするような、そんな歴史的にまちがった受け狙いサービスが挿入されておりました。
歴史考証でも、ミスがありました。

しかし、本作は日本人の目をくぐり抜けることを意識しております。
時代考証のレベルがあがりました。惜しいミスはあるものの、このドラマや駄作大河よりも、はるかに先を歩んでおります。

海外基準のクオリティと、日本人でも鑑賞に堪えるレベルの時代考証が組み合わさった本作。
もう、これは大河を凌駕していても当然のことなのです。

むしろ、大河がここまで進歩すべきでした。

くだらないバッシングに忖度せず、ここまで到達すべきでした。

それをしなかったばかりか、後退し、コスプレながら見用ホームドラマにおちぶれた大河ドラマ。
終わるとすれば、それは当然のことです。

海外同時配信の強みはまだあります。
海外のファンとも繋がることが出来ます。

洋画ファンや海外ドラマファンは、国境を越えてファンアート投稿を楽しむもの。
大河ではそれが出来ないのに、本作が出来るとなれば、敏感な視聴者はそちらに流れてゆくことでしょう。

 

総評5:精神の旅

本作は、大河ドラマを越えたばかりか、一段高いところを目指しているのではないか?と確信しました。

それが、信長、ヴァリニャーノ、マンショの描き方です。

三人は、当時の基準から外れてしまった価値観の中を彷徨っています。
肌の色。
信仰心。
身分。

そうした当時の規範ではなく、人間の精神性がどこにあるのか、もっと高みにある何かを目指して、手を伸ばしている――。
その何かが、愛であり、真っ直ぐに生きることではないか?

三人とも自覚があるのか、ないのかハッキリしない。
けれどもそんな高みを目指している。

だからこそ、彼らはどこか浮いているのです。
型にはまらないし、どこか変わっていて、おかしい。
周囲から理解を得られない。

だからこそ、孤独なのです。
理解してくれる人がいないか、自分と同じ道を目指す者がいないのか、探し求めてしまう。

信長が興味津々でバテレンや少年の話に聞き入ること。
それが理解出来ない明智光秀や蘭丸が止めようとすること。

信長が彼らよりも上だとか、現代的だとか、そういう単純な話でもない。
信長は現代人のように差別意識がない、そんな綺麗事とも、ちょっと違う。

私が理解したのは、信長、ヴァリニャーノ、マンショが他の人とは別の世界を生きようともがいていることです。

これって、すごいことだと思いますよ。
もっとわかりやすいアプローチがあるでしょう?

ともかくマンショはいいひとなんだ。
ヴァリニャーノは優しい。
信長はスゴイ!

そういう単純なキャラにしたほうが、わかりやすくて受けるかもしれない。

しかし、本作は違います。

誰からも理解出来ない、自分たちさえその深淵に苦しんでいる、そんなわかりにくさを持つ人物を正面に据えてきたわけです。

キリスト教徒だからこそ、愛を知っているのか?
そんな単純な優劣を本作は否定し、さらなる高みと深淵を目指すのです。

とんでもない境地を切り拓いてしまいましたね!

 

総評6:海を越えてやってきたんだ

本作を見ていて思い出したことは、駄作大河だけではありません。
2019年新春時代劇の『家康、江戸を建てる』を見ていて感じた絶望感でした。

ありそうであまりない都市建設型ドラマはのようで、中身はコスプレ版『プロジェクトX』型ドラマに過ぎなかったのです。

安っぽくてエキストラもろくにいない、江戸や京都の街並み。
高度経済成長期のようなふるまいをする、主人公の妻子。
距離感や通信の遅さを無視した手紙のやりとり。
安っぽい悪役描写。
都合のいいときにホイホイ出てくる、便利過ぎる家康。
都市建設と言いながら、お留守としかいいようがない技術考証。

それでも、コスプレホームドラマとしてはホッコリしておりました。

こういう安っぽい、昭和ノスタルジーまみれ、時代考証も無茶苦茶、安っぽい時代劇しか日本は作れないのかと、新年早々ウンザリしたものです。

あの惨憺たる新春時代劇と本作を比較すると、希望が湧いてきました。
新しい光は、海を越えてやって来たのです。

ここで思い出すのが、幕末のことですね。
幕末に日本人が驚いたのは、技術だけだと最近は描かれがちですね。昨年の大河もそうでした。

違います。

ペリー来航/wikipediaより引用

海を越えて到達したのは、自由な精神性でした。
先進性でした。
そうしたものをつかみとり、息苦しい世の中が終わるのだと目を見開かされた日本人も多くいたのです。

本作の明るさは、そこにあります。
木造帆船を使いこなせる予算の豊富さも、そりゃスゴイ。
でも、それだけじゃない。
深い精神性を描くテーマの据え方、タブーをおそれない勇気。そんなよさがそこにはあるのです。

そうそう、最後に釘を刺しておきます。

「わーい、日本の時代劇が海外でも受けたぁ〜」
と、本作をもってして浮かれないでくださいね。

本作が優れている理由は、日本的な忖度をブン投げた結果です。
その結果をもたらしたものは、海を越えてやって来たのですから。

日本人の力が本作にはあるとはいえ、日本の体制において、日本人だけではこんなものは作れない――それは図らずも大河ドラマが証明しているじゃないですか。

文:武者震之助
絵:小久ヒロ

【参考】
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