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最上家

山野辺義忠(義光の四男)と最上騒動~御家改易も水戸で復帰し血を繋ぐ

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不良息子だった水戸光圀の教育係に任ぜられ

ほんの少し前まで罪人扱いだったのに、突然の超出世――。

なぜ義忠がここまで厚遇されるようになったのか。

ハッキリしていないのですが、家光が「能力のある者には最大限の立場や権力を与える」ことをモットーとしていた感があるので、その一例でしょうか。

神君・徳川家康と、藩祖・最上義光の間柄が昵懇だったのも考慮されましたかね。

あるいは当時不良息子だった光圀の教育係を探していて「コイツなら矯正できそう」と白羽の矢を立てたのかもしれません。

義忠が水戸藩に行ってから教育係になるまで数年あり、その間、義忠の能力を見極める期間だった……と考えてもよさそうです。

 

最上家の地位を繋げた唯一の一族

義忠は光圀の代になってから隠居・出家し、一年後に亡くなりました。

最上義光の息子たちの中で、唯一、天寿を全うしたという点で特異ですが、その子孫たちも水戸藩の家老として存続しているため

「大名にあらずとも、しかるべき立場で最上家の血を伝えた唯一の一族」

ということもできます(※旗本として生き残ったご子孫もいる)。

ただし、最上騒動と義忠のたどった経緯を踏まえてか。

藩内で権力を握ろうとはしなかったようです。

江戸時代のお家騒動の中で、家臣同士の権力争いによって悪化したものが少なくないことを考えると、賢明な判断ですね。

地味といえば地味ですが、血を繋げていくことが武家の最大の目的であり、義務でもありますし。

最上の姓ではないとはいえ、これなら義光も安心したかもしれません。

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長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『御家断絶-改易大名の末路 (別冊歴史読本 15)』(→amazon
『江戸三〇〇年 あの大名たちの顚末』(→amazon
山野辺義忠/wikipedia

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