駒姫

駒姫と豊臣秀次/wikipediaより引用

最上家

駒姫(最上義光娘)の死は理不尽の極み~東国一の美女が連座で処刑

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駒姫の死から14日後に亡くなった大崎夫人

この事件の影に、もう一人の犠牲者がいます。

駒姫の実母である大崎夫人です。

娘を追うようにその死からわずか十四日後に亡くなっていますが、これもまた状況はわかりません。

抗議の自殺か、はたまた憂悶のうちにショックで亡くなったのか。

死因ははっきりしません。

大崎夫人は義光が描かせたとみられる美しい肖像画が残されております(→link)。

また、駒姫の菩提を弔うために建立されたという専称寺は、大崎夫人を供養する目的もあり、妻子を思う義光の心を今に伝えています。

娘の影に隠れがちですが、大崎夫人もまたこの事件の「犠牲者」といえるでしょう。

そして父である義光です。

駒姫の儚い生涯がそうであるように、ことあまり評判のよろしくない義光に関しても、この事件がらみでは神話に満ちております。

まず最もよく聞かれるのが、「妻子の非業の死をきっかけにして、義光が急激に徳川に傾倒した」というものです。

義光にとって確かに妻子の死は、豊臣政権を見限るに足る理由ではあったでしょう。

ただし、義光は小田原参陣の前から徳川家康と親しくしており、この事件だけがキッカケとは必ずしも言えないと思います。

天下分け目の関ヶ原において伊達政宗はじめとする東国の外様大名が去就不明瞭であった中、最上義光は終始一貫して東軍として行動しました。東国一の大大名である上杉勢相手に防戦に挑み、粘りきったことは事実です。

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しかし父としての義光の思いは、軍事行動以外でも示されているのです。

山形市内にある専称寺は、義光が妻子の菩提を弔うために移設したと伝わります。

左甚五郎作とも伝わる力士像、山形城にあった駒姫の居室をそのまま移したとされる部屋(非公開)、壮麗な伽藍からは義光の妻子への思いが伝わってくるようです。

さらにここにある桜の古木は「駒つなぎの桜」と呼ばれています。

義光が参拝する際、馬をここにつないだという逸話が残されているのです。愛馬にまたがり山形城からこの寺まで、たくさんの領民に見守られながら義光は参拝していたのでしょう。

さらに、この寺には奇妙な話があります。

今日この寺を訪れると、綺麗な墓石の、駒姫の墓を参拝することができます。しかしこの墓石はあまりに綺麗過ぎるのです。この墓石は近年建てられたものだからです。

ではその前はどうなっていたかと言いますと、山形市内という都市圏にあるのも関わらず、うっそうとした藪に覆われていたそうです。

まるで美しさが災難を招いたから、死後はその姿を隠そうとするかのように、駒姫の眠る場所は隠されていたのです。

 

愛情に満ち溢れ幸福だった少女の面影に

こうした地元に伝わる話をつなぎあわせてゆくと、悲劇的な最期だけではない駒姫のもうひとつの面が見えて来ます。

生前も、死後も、両親から深く愛される姫であったこと。

きっとこの姫は、京都に行くまでは短くも幸せな人生を送っていたであろうこと。

もし駒姫や大崎夫人の姿を想像するのであれば、京で苦しみ亡くなるときの姿ではなく、山形で穏やかに暮らしながら微笑む姿を思い浮かべて欲しいと私は願います。

戦国時代に非業の死を遂げた女性は大勢います。

その中でも、駒姫とその母・大崎夫人は愛情深く、繊細な手段によって弔われた女性ではないでしょうか。

悲劇的な最期を遂げた二人ですが、彼女らが生きた山形では静かに、それでいて市民の生活の中に溶け込んで、今日も弔われています。

実際に専称寺の境内に立つと、きっとおわかりいただけるかと思います。

イチョウや桜の古木、立派な伽藍に梵鐘のある寺で大きく息を吸い込むと、そこで感じられるのは穏やかな空気と静かな弔いの感情。

案内板を読めば駒姫の短く悲劇的な生涯をたどることができます。

しかしそこで終わらせないで欲しいのです。

彼女の父が参拝のために馬を繋いだ桜を眺め、彼女のために作らせた立派な力士像を眺めて欲しい。四百年を経ても伝わってくるぬくもりがあるはずです。

周囲から愛され、豊かな自然の中で育っていた少女、駒姫。

その姿こそが、彼女にとって本当にふさわしいものだと思うのです。

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