絵・小久ヒロ

毛利家

吉川経家と鳥取城渇え殺し――切腹直前に子供たちへ残した“ひらがなのてがみ”

・秀吉は厭戦気分を高めるため城外で歌舞音曲をやらせた

戦略だとはいえ、これを最低以外の何と言えばいいのでしょう。

・開城後、秀吉軍は生存者に食事を与えたが、消化機能がマヒしたところにいきなり大量にかきこむ者が続出。かえって死者を増やしてしまった

鳥取城の前に攻めた三木城でも同じことをやっています。
これは秀吉が残酷な性格だったというよりも、まだ、この段階では【極度の空腹時に食事をかきこむ】危険性を認知していなかった可能性もあります。

ただ、現実的にリスキーであることは、歴女医まり先生が次の記事で言及されておりますのでよろしければ併せてご覧ください。

鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し人肉の恐怖~極度の空腹でメシ食うと死ぬ

続きを見る

 

確かに人名の損耗は避けた ただし味方に限る

これだけ詳細な記録が残っているからには、おそらく秀吉軍から城内の様子がはっきり見えていたのでしょう。

本人達にはそんなことしてる余裕なんてなかったはずですからね。
戦国時代とはいえ、むごいにも程があります。

もし「人道に対する罪」が当時にもあったとしたら、間違いなく秀吉は真っ先に裁判にかけられたでしょう。

秀吉に好意的な方の間では
「秀吉は人命を大切にしていたので、味方の損耗を避けるため、あえて時間と金をかけて兵糧攻めをした」
ということになっています。

豊臣秀吉 62年の生涯まとめ【年表付き】多くの伝説はドコまで本当か?

続きを見る

しかし、本当に人命を優先するのであれば、むしろ短期決戦で済むような策を講じたほうが被害は少なかったと思います。

まぁ、敵を人とも思わなければ、人命もクソもないんですよね。
特に中世は「敵=人外扱い」が当たり前な時代のことではあり、しかも戦乱ど真ん中で大国の【毛利vs織田】だけに、血も涙もない処置は避けられなかったという事情もわかります。

それでも心情的には許しがたいものがありますよね。
戦国期とはいえ、他にここまでの例がないだけに余計そう感じます。

 

城兵・住民の命を助ける代わりに切腹

そして10月に入り、
「これ以上は無理だ……」
と判断した経家は、自らの切腹と引き換えに城兵と農民の助命を申し入れました。

経家は非常に責任感の強い人物だったようです。

秀吉から「経家は責任取らなくてもいいよ。代わりに何人か別の人に切腹してもらうから^^」(超訳)と言われたのを断り、結局、その”別の人”たち(森下道誉もりしたどうよ・中村春続)と共に自害しています。

石見から鳥取へ来る際に自ら首桶(取った御首を入れる桶)を用意していたとも言われているので、負けると決まったら即座に死ぬつもりでいたのでしょう。

「そこまでするならとっとと降伏しろよ」
と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、責任感が強いだけにさっさと城を明け渡すこともできず、経家は義務と人道の間で板ばさみになっていたものと思われます。

そもそも経家個人の思惑だけで戦局を切り開ける場面ではありませんした。

 

吉川経家の涙を誘う遺書とは……

経家は、切腹を控えて父・吉川経安(つねやす)や吉川広家(吉川元春の息子)、家臣たち、子供達へそれぞれ違った遺書を書いておりました。
彼の心境を詳しく伝えてくれています。

大人たちへは候文(そうろうぶん・語尾に「候」をつけて書く文体)で書いており、広家には詳しい報告を入れ、家臣に対しては「俺たちが責任を取るから、皆は生き残れ」(超訳)という簡潔なものでした。

父親には子供達の事をくれぐれもよろしくと頼んでいます。

余談ですが、父の経安は関が原の直後(慶長五年=1600年11月)まで長生きしていたので、晩年の秀吉の錯乱振りを見ていろいろ思うところがあったでしょうね。

子供へ宛てたものが一番特徴的で、ほぼひらがなで書かれています。
上記のような極限状態で「子供達が自分でが読めるように」とかな書きにする心遣い、それでいて脱字があるなど、経家自身も相当な混乱の中で書き記したことが生々しく伝わる遺書です。

内容を現代語訳しておきますと……。

「お父さん達は鳥取城で長いこと頑張ったけど、兵糧が尽きたからもうダメだ。これからみんなを助けるためにお父さんは切腹する。吉川家の名は上がるから、大きくなったらその幸せな話を詳しく聞いてね」

責任感の強さ、家名への誇り、子供たちへの愛情。
涙なくしては読めない内容です。

どれをとっても武士として立派な人物であったことがうかがえますね。

 

真っ白な歴史などないゆえに「かつ江さん」は必要では?

こうして経家と家臣たちが切腹して鳥取城は開城。
秀吉はまた一歩駒を進めました。

そもそも”飢え殺し”という字面だけでも穏やかではありませんが、これを画像で再現しようとするととんでもないことになりますので、大河ドラマですっ飛ばされてしまいがちなのは、ある意味致し方ないといえなくもありません。

でも、やっぱりかつ江さんは必要じゃないかなと思います。

鳥取県では郷土の歴史として詳しく習うそうですが、全国的に見るとほぼ知られていませんのでいい機会ではないでしょうか。
どこかで復活できればいいのですが。

鳥取の渇え殺し&三木の干し殺し人肉の恐怖~極度の空腹でメシ食うと死ぬ

続きを見る

長月 七紀・記

【参考】
国史大辞典
『山陰・山陽の戦国史 (地域から見た戦国150年 7)』(→amazon
『戦国武将合戦事典(吉川弘文館)』(→amazon
吉川経家/wikipedia

 



-毛利家
-

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2020 All Rights Reserved.