絵・くらたにゆきこ

織田家

若き信長の文書の原本が名古屋で見つかる

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われらが信長のお手紙(文書)が発見されました。

読売新聞によると、

 文書は、1557年に24歳の信長が熱田神宮の神官を務める田島氏に出したもの。弟の反乱などが起き尾張を掌握する前の段階で書かれたもので「あなたが敵から預かった土地やものを侵害しません。兵を立ち入らせたり、燃料の木を要求したりすることは永久にしないと保証します」などとする内容で、「信長」の文字の下に花押かおう(サイン)が自署されている。

 

信長文書

この文書自体の内容は写しがあって分かっていました。

信長研究者たちがつくるHP「第10研究室【文書解読】発給文書」によると、弘治3年(1557)に発給された「尾張熱田社祝師宛判物」です。

判物というのは、本文は右筆(秘書)が書いて、信長は花押を押しているだけのものになります。

原文はどういうものかといいますと、尾張熱田社祝師宛判物でぐぐると、「歴探」という個人の方がやっているブログに載っていましたので、引用させていただきます。

敵味方預ヶ物・俵物并神田、為何闕所之地候共、不有異見候、門外江使入候事、竹木所望・郷質取立候事、一切令免許之上者、末代不可有相違者也、仍如件、

弘治参年

霜月廿七日

上総介

信長(花押影)

熱田祝師殿

ただ、残念なことにこのブログでの読み方は間違っています(コメント部で指摘されているとおりです)

ざっと現代語訳していきますと

敵からでも味方からでもあなたが預かった物とコメ俵そして(熱田神宮なので)神田、私が敵を倒して没収した土地も、あなたの土地・動産についてはなんの問題もありません(私は手出ししません)。敷地内どころから門の外にすら、私の兵が行くこと、敷地の竹や木を要求すること、質を取り立てることは一切しません。これを末代まで保証いたします。

という感じですね。
信長が熱田神宮の有力者に最大限の配慮をしていることが分かります。

桶狭間の戦いにおいて、信長はまず熱田神宮に行って、夜中に兵を集めた節があります。文言的には約束をやぶっているのですが笑、それよりもこうして若い頃から、熱田神宮とのパイプをがっちりつないでいたことが実を結んだのでしょう。

川和二十六・記

 



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