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織田家

兄・信長を裏切り、謀略の末に成敗された織田信行 どこで道を誤った?

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弘治三年(1557年)11月2日、織田信行が兄の織田信長に殺されました。

ここだけ聞くと「さすが魔王、酷い兄だなぁ……」という印象かもしれませんが、こうなるまでには当然、双方に事情と経緯はあります。

では早速、振り返ってみましょう。

 

勝家だけでなく生母も信行推し?

青少年時代の信長が「うつけ者」と呼ばれていたのはよく知られた話ですよね。

そう言われてしまったのは、武家のお坊ちゃんらしく行儀正しいお勉強や習い事などをしていなかっただけで、信長は毎日のように騎馬訓練や水泳など、武士にとって大切な体力づくりに励んでいたという見方もあります。

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しかし、周囲は必ずしも好意的には見てくれません。

他ならぬ家族ですらもそうで、一説には生母である土田御前までも「信行に跡を継がせるべき」としていたのでは?という考えもあります。

意外に?女性の意見が重要視されていた戦国時代のこと。
生母の姿勢に倣う家臣もいます。

例えば柴田勝家など、後に織田家で大活躍する武将もこの当時は信行派でした。
最初から信長に味方してくれたのは父である織田信秀と「じいや」こと平手政秀の二人だけだったといっても過言ではありません。

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稲生の戦い

かくして兄弟は一触即発の状態に。
火花を散らすどころか本物の戦へとなだれ込んでいきます。

1556年【稲生の戦い】です。

何度かの小競り合いの後、勝家が信長方に敗れ、勝負はつきました。
仮にも家臣筋でありながら嫡子に逆らった咎で、何らかの処罰が降るものと思った勝家は、信長のもとへ赴きました。

しかし、信長は勝家に大した罰を与えずに済ませます。
ここで勝家は一気に目が覚めます。

信長様と信行様の器の差たるや……
もはや悩む必要もない(以下に稲生の戦いの詳細記事がございます)。

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もともと勝家は信秀から「次男をよろしくな☆」ということでお目付け役を任じられていたので、信長のほうが優れているということを潜在的に認めたくなかったのかもしれません。

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翻って勝家は信行を説得し、兄弟力を合わせるよう説きます。

しかし、この期に及んでも、信行は兄をうつけ者だと思い続けたのか。
柴田勝家の話に耳を傾けるどころか、男色相手の家臣を取り立てて勝家を蔑ろにしたため、いい加減、見限られてしまいます。

程なくして勝家は、信行が再び謀反を企てていることを信長に忠言するのでした。

 

仮病を使って清州城へ呼び出し、暗殺

家中の争いを長引かせると後々に響く――。

そう考えた信長は、ついに最後の手段を決意します。
といっても普通に呼び出しても警戒されるかもしれないので、一風変わった作戦を講じました。

「信長が病気になった……明日をも知れない容態だってさ」

もちろん仮病。
信行をおびき出すための噂を流したのです。

『そんな作戦に引っかかるバカ、おるんか?』
と思われるかもしれませんが、ここで出番となったのが他ならぬ勝家です。

「ご兄弟ですから見舞いに行くべきです」

そう伝えて、信長の下へ出向くよう促します。
そして信行は、見舞いのために出向いた清州城で、信長配下に殺されてしまうのでした。

誰が直接手を下したのかについては諸説あり、はっきりわかっていません。
信長公記』では「河尻・青貝」と記されていますが、殺されたのではなく覚悟を決めて自刃したのでは?と考える説もあります。

 

信長を裏切ったのは弟・信行だけじゃなく

山岡荘八の小説では
【殺されたものの、手を下した家臣が「見事に自刃なさいました」と信長や土田御前に配慮した】
という流れになっておりました。

もしかしたらそんな感じだったからこそ記録が入り乱れているのかもしれませんね。

どうでもいい話ですが、城主の仮病を全力でサポートした家臣たちの演技力も凄いなぁ、と。

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なお、信長は弟の信行だけでなく、1552年に家督を継いだときから周囲の親類衆に裏切られまくってます。
そのため尾張を完全に統一するのは約10年後の1562年まで待たねばなりません。

統一までの数々の戦い、流れについては以下の記事を御参照ください。

天下統一も大変でしたが、若かりし頃の信長が毎日のように戦闘に明け暮れていたことがよくわかります。

尾張統一に信長が費やした10年の軌跡をスッキリ解説!1552年から1562年まで

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長月 七紀・記

【参考】
『織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)』(→amazon
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon
織田信行/Wikipedia

 



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