イラスト:富永商太

織田家

信長の剛腕が切り刻んだ!? 正倉院のお宝「蘭奢待」を東京で拝めるぞ!

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奈良の正倉院には、奈良時代の聖武天皇ゆかりの様々な宝物が残されている。

その中で、異色ならぬ芳香を放つ宝物が、香木の黄熟香おうじゅくこう、通称「蘭奢待らんじゃたい」だ。

歴史的にも非常に貴重なこの香木が、東京国立博物館で開催中の「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美」(11月24日まで)で展示されている。

 

最古の記録は『日本書紀』

蘭奢待は「沈香じんこう」という木である。

ベトナムやタイなど、東南アジア原産のジンチョウゲ科の樹木で、高さは20~30メートル。
幹を傷つけるとあふれ出る樹脂が香りを出す。

ただし、香料の高級品「沈香木」となるのは立ち木の状態ではなく、倒木してから地中で長い時間を経て、樹脂の部分だけ残ったものを指す。
つまり「木の化石」である。

黒い墨のようになった沈香木は、燃やすと強い芳香を放つ。

天下一の名香として知られる蘭奢待/wikipediaより引用

この何とも言えない魅惑の香りは、まず中国でブームを巻き起こした。
6世紀の中国――唐の玄宗皇帝が「沈香亭」を宮殿内に作り、楊貴妃や李白らと遊んだとされ、おそらく後世の阿片やたばこのように煙を吸っていたのであろう。

遣唐使を通じて、あらゆる唐のブームを取り入れていった日本にも、沈香がもたらされた。

日本で最古の「沈香」の記録は『日本書紀』である。

推古天皇の時代(595年)に、淡路島(兵庫県)に沈香木が流れ着き、朝廷に献じられた、とあるのがそれ。
『聖徳太子伝暦』(平安時代)や『水鏡』(鎌倉時代)といった歴史書は、この漂流した材木から仏像がつくられたと伝える。

が、東南アジアの地中深くに埋蔵されている沈香木が、淡路島に漂着するというのはありえない。
実際は、遣唐使が唐から持ち帰ったか、あるいは遣唐使船などが淡路島あたりで難破したのかもしれない。

ちなみにこの逸話の影響なのか。淡路島は江戸時代後期から沈香や白檀を使った線香の有数の産地となっている。

いずれにせよ、日本でも6世紀以降に、沈香木を燃やして香りを楽しむ文化が入ってきたことは間違いない。

 

蘭奢待の中にある「東大寺」

正倉院にある黄熟香も東南アジア原産の沈香木だ。

通称(雅名)の「蘭奢待」は、3つの漢字の中に

「東」→蘭
「大」→奢
「寺」→待

が入っているのがポイントで、聖武天皇がこの洒落の効いた通称をつけたとされている。

蘭奢待は長さ1.56m、重さ11.6kgという、見た目はただの巨木である。しかし、戦国時代ファンにとっては、もっとも有名な正倉院宝物の一つといえる。

織田信長が切り取ったことがあるからだ。

聖武天皇の時代には、もちろん天皇が自由に切り取って、燃やして楽しんだのだろう。
しかし、時代が下り、正倉院宝物が門外不出となると、香木だからといって、簡単に切ることはできなくなった。

蘭奢待には、3か所以上の切り取った痕があり、紙を貼られているのは3人分。
室町時代の8代将軍・足利義政、織田信長、そして明治天皇である。

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ただし、紙が貼られたのは後世のことで、明治天皇以外の2人が厳密にその場所を切り取ったのかは不明。

 

権威を示したかったのでは?

足利義政は、銀閣寺を建てるだけではなく、茶道や水墨画など、「東山文化」を興隆した人物として有名で、その文化の一つに「香道」があった。

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織田信長も、茶道など武士の文化を推奨したことで知られている。

信長が蘭奢待を切り取ったのは、天正2年(1574年)3月28日。
東大寺の僧の記録や『信長公記』にも記録が残っており、当時の手紙には次のように記されている。

「就信長南都下向之儀 蘭奢待拝見之望被申入之処」
【意訳】ついに信長が奈良にやって来た。蘭奢待を見たいと申し入れしてきた

信長は、朝廷の許可を得て正倉院の封印をとくと、蘭奢待を持ち出し、近くの多聞山城へ。
そこで周囲に披露して、2片を切り取った。

信長は前年1573年7月に、将軍・足利義昭を追放している。
多聞山城でも、大和を任されていた松永久秀が信長を裏切っていたが、同年12月に降伏して、許されていた。

信長は、蘭奢待を使うことで、室町将軍に匹敵する権威であることを示したかったのでは?と推測されている。

 

津田宗及や千利休にも配られた

切り取った木片の一つは、朝廷に献上し、残りの一つは、茶頭を務める茶人の津田宗及や千利休にさらに細かくして与えられた。

この蘭奢待の切り取り「事件」は、信長が朝廷や室町幕府への軽視のあらわれ、と考えられている。

だが、実は朝廷や古来の文化を尊重していたという逆の見方もされている。
信長は、正倉院から蘭奢待のほか、名香として知られる「紅沈香」も持ち出したのだが、紅沈香のほうは以前に切り取った痕がないことから、切り取らないでそのまま返却している。

さらにその際、蘭奢待と紅沈香がごっちゃにならないように入れ物にきちんと名前を書くように、適切な保管方法を指示している。

どちらにせよ信長の一面を知るには格好のお宝。
それが一般公開されるのだから戦国ファンであればぜひとも目にしておきたいところであろう。

2011年に奈良の奈良国立博物館で開かれた正倉院展以来であり、次に東京で見られるのはいつのことになるかわからない。

◆御即位記念特別展「正倉院の世界ー皇室がまもり伝えた美」
上野・東京国立博物館
会期:令和元年10月14日~11月24日
公式サイト→URL

文:編集部

【参考】
国史大辞典
『日本大百科全集』

 



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