こちらは2ページ目になります。
1ページ目から読む場合は
【蒲生氏郷】
をクリックお願いします。
お好きな項目に飛べる目次
お好きな項目に飛べる目次
最後に上洛したのは今生の別れだったのかも
文禄の役では名護屋まで出向きながら、体調を崩して文禄二年(1593年)11月に会津へ帰国。
それから半年もしない文禄三年(1594年)春、養生のために上洛してきました。
-
15万の豊臣軍が名護屋城から朝鮮出兵~なぜ秀吉はこの地に超巨大城郭を築いた?
続きを見る
会津に着いたのが11月なのか、名護屋を出たのが11月なのかで少し変わるかとは思いますが、移動時間を考えると、たぶん会津にいたのは1ヶ月あるかないかでしょう。雪の時期も挟んでますし。
上洛するより、湯治にでも行ったほうが良かったんじゃ……という気がします。
会津から京都までの間にも、当時から知られていた保養地はいくつかありました。
上洛して半年後に秀吉や諸大名を招いて宴を開きますが、その頃には誰の目から見ても「黙って首を横に振る」ような状態だったようです。
秀吉も、方々から医師を招いて氏郷を診せるのですが、結局、宴会からおよそ3ヶ月後の文禄四年(1595年)2月7日に亡くなっています。
もしかすると、治らないことをわかっていて、今生の別れのために上洛したのかもしれませんね。(`;ω;´)
一応、現在では「氏郷の死因は直腸がんか肝臓がんだろう」と言われておりますが、ここで仮説を提示してみたいと思います。
氏郷は逸話が多く残っている武将の一人で、彼の場合「部下にいかに気を使っていたか」という類の話が多いことが特徴です。
特に有名なものをいくつかピックアップしてみました。
氏郷の人柄が見える3つのエピソード
・戦国時代の議会制民主主義?
氏郷は月一で家臣を全員集めて会議をし、年齢や立場にとらわれない自由な発言を許していました。
その後は、自ら風呂の火を沸かして部下に入らせたり、料理を振舞っていたそうです。
伊達政宗も料理を振る舞うのが好きだった――という話がありますように、戦国時代、家臣に食事を提供するのは一つのおもてなしだったようです。
・信じる者は結果出すんやで
筒井順慶(洞ヶ峠の人)のとある旧臣が蒲生家にやってきた際のことです。
臆病者と笑われていた、その者に、氏郷はいきなり一部隊を任せました。
周りの反対を押し切り、氏郷が戦を始めると、その人物は大将首を二つも取る大手柄を上げます。
「どんな人間でも、責任を与えれば必ず役に立つ」
と氏郷は信じていたようで。
現代の心理学でも似たような話がありますね。
確か「才能があると名指した子は、それに応えるように良い成績や結果を出す」という話だったと思うのですが……スイマセン、例によって名前忘れました(´・ω・`)
・おサボりは許しまへんで!
小田原征伐の際、氏郷は自ら自陣の見回りに行きました。
そしてとある部下が指示した位置から離れていたので注意したのですが、帰りがけに再び見たところ、また持ち場を離れていたので手打ちにしたそうです。
氏郷は仏様じゃなかったみたいですね。まあキリシタンだし。
★
どの逸話も彼の人柄が窺える話ですよね。
これだけ細々したことを気にかけているとなると、何だか気の休まらない生活をしてそうな感じがしませんか?
もしかして、氏郷はストレスや過労で命を縮めたのかもしれません。
大腸がんも肝臓がんも、ストレスの影響が大きいといわれていますし、他の病気にとってもストレスで悪化することは珍しくありません。
その場合、戦国時代の過労死……ともいえそうです。
あわせて読みたい
-
信長と義昭 上洛戦の一部始終! 岐阜から京都までどんな敵と戦っていた?
続きを見る
-
織田信長 史実の人物像に迫る!生誕から本能寺まで49年の生涯まとめ年表付
続きを見る
-
長島一向一揆で信長が宗徒2万人を虐殺! 徹底的に潰したのは何故か?
続きを見る
-
なぜ本能寺の変で光秀は信長を裏切ったか?諸説検証で浮かぶ有力説はコレ!
続きを見る
-
山崎の戦い(明智軍vs羽柴軍)で秀吉が勝てた理由!敗者の光秀は何処へ?
続きを見る
-
小牧・長久手の戦い(豊臣vs徳川の総力戦)複雑な戦況をスッキリ解説
続きを見る
-
小田原征伐で秀吉相手に退かず! 北条家が強気でいた小田原城はどんだけ強い?
続きを見る
-
15万の豊臣軍が名護屋城から朝鮮出兵~なぜ秀吉はこの地に超巨大城郭を築いた?
続きを見る
-
明智光秀の史実を振り返る!麒麟がくるとは何が違ったか?55年の生涯まとめ
続きを見る
-
帰蝶(濃姫・信長の妻)って史実ではどんな人?麒麟がくるで川口春奈さん熱演
続きを見る
長月 七紀・記
【参考】
国史大辞典
『現代語訳 信長公記 (新人物文庫)』(→amazon)
『信長研究の最前線 (歴史新書y 49)』(→amazon)
『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺まで (中公新書)』(→amazon)
『信長と消えた家臣たち』(→amazon)
『織田信長家臣人名辞典』(→amazon)
『戦国武将合戦事典』(→amazon)
蒲生氏郷/Wikipedia