南蛮人が連れてきた黒人奴隷/wikipediaより引用

織田家

日本史上初の黒人武士・弥助~信長に仕え本能寺で巻き込まれた、その後は?

天正九年(1581年)の2月23日、黒人の弥助という人物が織田信長の家臣になりました。

アフリカのモザンビーク共和国出身で、もともとは奴隷の身。ヴァリニャーノという宣教師に連れてこられました。

一体、何がどうしてそうなったのか。

初めて聞いた方は「???」疑問符が消えにくいと思いますので、ひとつずつ説明して参りましょう。

 

「墨を塗ってるんじゃないだろうな?」

当時この国はポルトガルの植民地になっており、多くの人が奴隷として世界中へ送られてしまっていました。

弥助もその一人。
最初はインドに行かされていたのをヴァリニャーノという宣教師に連れられて来日したそうです。

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黒人を含めた有色人種の人権が認められていない時代でしたから、ヴァリニャーノは弥助を見世物もしくは土産物の一つとして織田信長のところへ”持参”しました。

さすがの信長も、初めて見る黒い肌の人間にはビックリ。

「墨を塗ってるんじゃないだろうな?洗い流してみろ」

と命じて、目の前で弥助の肌を洗わせたそうです。

が、当然のことながら白くなるわけはありません。
本当に黒い肌の人間なのだとわかった信長は、その珍しさを気に入り「こいつくれ!」とヴァリニャーノに交渉しました。

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そして無事彼を譲り受けた信長は、「弥助」という日本人の名前を与えて側に置いたのです。

名前の由来は不明です。

一説には、元々の名前が現地に多い「ヤスフェ」だったという話もあります。聞き間違えて弥助になった――ということらしいです。

 

利家と並ばせたら大迫力の身長182cm

そこまでして信長が欲しがった弥助とは、どんな人物だったのでしょうか。

黒人ですから、肌が黒いのは上述の通り。
背も高く、182cmほどあったそうです。

ほぼ同じ身長だと記録されている前田利家と並んだらさぞ壮観だったでしょうね。
そういう記録は残っていませんが、信長のことですからやっていそう……。

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信長も170cmぐらいとされていて、当時の平均としてはかなり大きいほうですし、三人並んだら普通の人には壁にしか見えなかったんじゃないでしょうか。怖っ!

加えて弥助は「十人力」と記録されるほどの力持ちでした。

元々大の相撲好きな信長が、これを見逃す手はないでしょう。弥助も参加したことがあるからこそ、そう記されたのかもしれません。

信長は、ただ単に大会を開くだけでなく、身分問わず参加を認め、上位者には褒美を与えて召抱えるということをしょっちゅうやっていました。

「腕力の強い者ならどんな出自でも構わん!」という主義だったことの一つの証明ですよね。こうした条件を兼ね備えた弥助は、信長からすればかなりの掘り出し物に見えたはず。

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ちなみに他の日本人はどうだったか?

弥助が京都の南蛮寺(キリスト教の教会)にいた頃「あそこに肌が真っ黒なヤツがいるってよ!見に行こうぜ!!」と野次馬が群がり、怪我人が出るほどの騒ぎになったそうです。

弥助が殴られたとか教会が壊されたのではなく、日本人が押し合い圧し合いして怪我をしたというのが興味深いですね。

 

奴隷から解放されて「殿」に昇格の可能性も

さて、信長の下に来た弥助はどういう生活をしていたのかというと、かなりの好待遇だったようです。

そもそも名前をつけてあげるくらいですから、信長は弥助のことを奴隷扱いのままにはしませんでした。きちんと衣食を用意して、従者として側で働くよう命じたのです。

イエズス会の記録の中に「信長は弥助を殿にしようとしていた」という記述があるそうです。

ここでの「殿」は城主を指すのではなく、結婚させるか屋敷を与えるとかして「殿と呼ばれる身分」にしてやろうか?という意図だった気がします。

弥助の心情がどうだったのかははっきりわからないものの、奴隷扱いから一転した生活になったことは充分理解していたでしょうから、信長と織田家には好感を持っていた可能性が高いと思います。

それがハッキリわかるのが【本能寺の変】に関する弥助の行動です。

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彼はこのときも信長の側にいたのですが、主人が自害した後、二条城へ向かい織田信忠へ加勢しているのです。

いったん本能寺を出たのであれば、逃げようと思えば逃げられたでしょう。

でも、弥助は信忠を助けようとした……ということは、信長の命を受けていたか、あるいは弥助が自発的に信忠を助けたいと思ったかどちらかではないでしょうか。

どちらにしろ、信長父子に好意を持っていなければできないことですよね。

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生き延びた弥助のその後は?

結局、信忠も自害してしまいますので、弥助は二人を助けることはできませんでした。

ただし、弥助本人は運良く生き永らえます。そして……。
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