絵・富永商太

明智家 織田家

本能寺の変、真相は? なぜ光秀は信長を討ったのか 有名諸説を徹底検証!

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家康謀殺計画からの発展説

明智家のご子孫・明智憲三郎さん執筆で、ベストセラーにもなった書籍が『本能寺の変 431年目の真実』(→amazon)です。

当書籍では、主に5つの定説に疑問を投げかけ進んで参ります。

1 信長は、何故わずか数十人の少人数で本能寺に入ったのか。

2 光秀はなぜ謀反に走ったのか。

3 光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか。

4 家康は本能寺の変にどう関わっていたのか。

5 秀吉の「中国大返し」は何故可能だったのか。

家康謀殺計画からの発展説 答え合わせ

ここで引っかかるのが3です。

突然、「光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか」という提言がありまして。

これ、要は、織田信長は「本能寺で家康を討とうという計画を持っていた」ということが前提になっているのです。

最大の読みどころであり、かつ、最大の弱点とも言える論点ながら、人気の一冊。説としては可能性が低く感じます。

ただし、最近はマンガもヒットしており、エンタメとして読むにはオススメです。

文庫『本能寺の変 431年目の真実』(→amazon
マンガ『信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~』(→amazon

最後にちょっとした疑問にも触れておきましょう。

 

結論:突発的単独犯行説

事前にアレコレ手回ししたとか。

計画を連歌に詠んだとか。

物語に描く以上、そういったディティールが必要なわけで、これまで数多の諸説が語られてきた本能寺の変。

個人的な結論は【突発的な単独犯行説】です。

千載一遇のチャンスが来たから襲った。

京都近くには、味方になってくれるであろうと踏んでいた細川幽斎細川忠興筒井順慶たちがいたので、まずは行動を起こして巻き込もう――。

光秀は、そう考えたのではないでしょうか。

重要なのは【千載一遇のチャンス】というところです。

織田家の最高権力者たる【織田信長】と【織田信忠】を同時に討てる機会であり、それはほとんど偶然やってきたものでした。

織田信長は意外と優しい!? 生誕から本能寺まで49年の史実解説【年表付】

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織田信忠(奇妙丸)信長の長男は家督を譲られるも光秀に命を狙われて

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逆に言えば、事前にそんなことは予測できないから、計画的な犯行はハナから無理だと感じます。

呉座勇一先生のご著書と同様の結論なので、なんだか乗っかってしまったみたいで気が引けるのですが、とにかく光秀が事前に誰かに話してしまうようなアホには思えません。

恨みもあったかもしれない。
老齢だったかもしれない。

たしかにそういう要因はありますが、だからといって背中を押すほどの熱量ではなく、とにかく信長・信忠親子が揃って初めてなし得るものでしょう。

信長 直接の死因は?

信長の死因は、確認されておりません。

自刃の可能性が高そうですが、中で誰か介錯したのか、しないのか。

あるいは燃え盛る本能寺の中で、首尾よく自害などできたのか。

その辺の疑問を考察しているのが以下の記事です。

信長は一酸化炭素中毒で亡くなった? 本能寺でのリアルな死因を現代医師が考察

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現役の女医が死因を合理的に分析していますのでよろしければ。

信長の遺体はなぜない?

前述のとおり、光秀は信長の遺体を回収できず、それがクーデター失敗の遠因の一つになったとも考えられます。

おそらくや跡形もなく燃えたのでしょう。

しかし前述の通り、それとは別に清玉上人が遺灰を阿弥陀寺へ持ち去ったという説もあります。

よろしければ以下の記事をご参照ください。

信長の遺体は清玉上人が阿弥陀寺で埋葬した?本能寺もう一つのミステリー

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信長に襲いかかった武将の行く末が面白い

本能寺の変と言いますと、ほとんど信長と光秀の話に収束されてしまいます。

死ぬ前に『人間五十年~』とか舞ったのかな?
とか
「敵は本能寺にあり!」って本当に言ったのかな?
とか、そういう場面が気になってくるでしょう。

しかし、ここで一つ注目しておきたい方がおられます。

安田国継です。

またの名を天野源右衛門と言いまして、斎藤利三につかえていた武士です。

地味な名前ではありますが、この安田国継が信長に【一番槍】を突き刺したとされているのです。それが致命傷だったとしたら、死因はこの槍になってきますよね。

他には森蘭丸も討ち取っているとされ、なかなか大活躍されているのに、その後はほとんど注目されませんよね?

その辺も含めたマトメたのが以下の記事になります。

信長に一番槍を喰らわせた安田国継~アフター本能寺の生き様が面白い!

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長篠の戦い】で大人気の鳥居強右衛門と競るぐらい面白い、この無名なツワモノ。

本能寺の変からちょうど15年後の6月2日に亡くなるという数奇な運命の持ち主でもありました。

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文:五十嵐利休

【参考】
『陰謀の日本中世史』(→amazon
『人物叢書 織田信長』(→amazon
『戦国武将合戦事典』(→amazon
国史大辞典

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