織田信長が最も愛した女性は誰か?
2020年6月現在、そう問われて真っ先に答えたくなるのが「帰蝶(濃姫)」であろう。
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大河ドラマ『麒麟がくる』で川口春奈さん演じる姿が美しく利発で、非常に魅力的な女性だが、こと史実に関しては帰蝶が信長最愛の女性だった――とは必ずしも言いきれない。
というのも
といった織田家に重要な子息を3年連続で産んだのは帰蝶とは別の女性だったからだ。
その名も生駒吉乃(いこまきつの)――。
織田信長の側室である。
色白で細面の美女であり、かつ優しく控えめだったと伝わる吉乃は、いわば切れ者のドラマ版・帰蝶とは真逆のタイプ。
39才の若さで亡くなったとき、一説には「信長が男泣きした」とも伝わるほどであり、話半分だとしても重要な存在であったことは間違いないであろう。
では一体どんな女性だったのか?
本稿では、生駒吉乃の生涯に注目してみたい。
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生駒吉乃は信長の姉さん女房だった
吉乃が生まれたのは享禄元年(1528年)。
父は尾張で馬借(運送業)を営む地元の有力者・生駒家宗であった。
信長が天文3年(1534年)生まれなので、6才上の姉さん女房になる。
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美女と伝わる吉乃であるゆえ、最初から信長に見初められたと思われるかもしれないが、実際は土田弥平次という人物に一度嫁いでおり、その夫が戦死をしてしまってからは実家に戻っていた。
そこへ足繁く通っていた信長。
いつしか彼女を側室とし、弘治3年(1557年)に長男の織田信忠が誕生したのである。
帰蝶が子供に恵まれなかった可能性は低くない。
そうなれば織田弾正忠家の当主である信長としては当然、側室を迎えることも考慮せねばならない。
ただし、斎藤家(道三)の娘である帰蝶を蔑ろにはできないという事情もあったようで、当初、吉乃にひっそりと子供(織田信忠)を産ませた信長は、後に、正室である帰蝶に渡して赤ん坊の義母とし、後継者候補として育てることになった。
なお、信忠の幼名を「奇妙丸」といい、信長の事績をつぶさに記した『信長公記』には「奇妙」として登場している。
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しかし、母である生駒吉乃については、同書で何ら言及されていない。
長男はじめ3年連続で信長を子を産む
前述の通り、吉乃が信忠を産んだ翌年の永禄元年(1558年)には次男の信雄を出産。
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さらにその翌永禄2年(1559年)には女児の徳姫に恵まれる。
信長の生涯は、ほぼずっと戦乱の最中にあり、1557年~1559年という期間はちょうど尾張統一のため、親族衆との戦いに追われていた。
ざっとこのころの年表を記すと……。
帰蝶の父・道三という後ろ盾を失いながら、尾張の統一戦略をかなり前進させ、美濃への侵攻を画策していた頃である。
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そんな多忙な折に、吉乃との間には毎年、子が出来ていたのだからよほど二人は仲が良かったのだろう。そして……。
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